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運命を変えた練習試合。中山雄太を育んだ柏レイソルアカデミーの日々【土屋雅史コラム】

2021.03.26

東京五輪に挑むU-24日本代表のキャプテン、中山雄太。現在はオランダ1部のズウォレに所属し、A代表でもポジションをつかみつつある新鋭は、ある練習試合で柏レイソルU-15にスカウトされた。彼を育んだ関係者の証言から、五輪代表キャプテンのルーツに迫る。

張ヶ谷が受けた衝撃、吉田達磨が一目惚れ

 張ヶ谷知樹は今でもその姿を鮮明に覚えている。

 「試合全体を通してはレイソルの方が一方的に攻めていたんですけど、雄太にゴールを決められたんですよ。そのシーンは圧倒的な雄太の個の能力にやられた感じでしたから」

 東京五輪に挑むU-24日本代表でもキャプテンマークを託されている中山雄太にとって、自身の運命が大きく変わった試合。それはどこでも行われているような、ごくごくありふれた1つの練習試合だった。

 龍ケ崎市立愛宕中学校サッカー部。中体連所属のチームに在籍していた14歳は、茨城県の地域トレセンに選出されると、ある冬の日に練習試合が組まれる。相手は柏レイソルU-15。のちにJリーガーとなる大島康樹や会津雄生など、実力者ぞろいのチームを向こうに回し、中山は獅子奮迅の活躍を見せる。

 当時はレイソルでトップチームの強化部長を任されていた吉田達磨の中で、その日の光景はクリアな記憶のままだ。

 「午後で、夕暮れになる前の試合で。それを見ていたら『おいおい、ちょっと待てよ。相手の中盤のヤツ、だいぶいいぞ』ってなって(笑) 。姿勢が良くて、しっかりボールを蹴れて、なにせボールを前に運んでいく勢いが素晴らしくて、『こんな子いるんだ』って」

 「もう、1人だけ抜群に上手かったです。僕はCBで出ていたんですけど、点も取られましたし、雄太のところだけ凄くやられた印象はあります。それは強烈に覚えていますね」

 その試合にレイソルの選手として出場していた張ヶ谷も、名前も知らない相手のレフティに衝撃を受けた。

 吉田はすぐさま動く。試合後。トレセンを率いていた監督のもとに赴き、ストレートに質問する。

 「『すみませんが、彼はどういったところでサッカーをしているんですか?』って聞いたら、『中学校のサッカー部です』と。その監督さんが『彼に興味ありますか? いい選手ですか?』とおっしゃったので、『素晴らしいので、ぜひ1回サッカー部の監督さんとお話をして、次のステップに進みたいんです』とその場で話したら、雄太の中学校の顧問の名前と連絡先を教えてくれて」

 翌日すぐに学校へ電話をかけ、サッカー部の顧問に直談判すると「ぜひご家族とお話してください」という返答が。次の電話は中山の自宅。母親にも熱意が伝わり、まずは来れる日だけU-15の練習に参加してもらう約束を取りつける。すでにこの時点で吉田の中では「この才能は100%間違いない」確信があったそうだ。

レイソル時代の中山。トップチーム昇格2年目の2016年に10代でレギュラーの座をつかみ、チームに欠かせない存在へと上り詰めた

“中体連”からの異例の加入、ケガで適応に苦しむ

 レイソルのアカデミーマネージャーを務めていた増本伸弘は、初めて中山が日立台へ来た日のことを懐かしそうに思い出す。……

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ズウォレ中山雄太日本代表柏レイソル

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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