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「完ぺきを求めてはダメだ」指導者のパワハラ問題と向き合う

2019.11.01

中野吉之伴の「育成・新スタンダード」第3回

ドイツで15年以上にわたり指導者として現場に立ち続け、帰国時には日本各地で講演会やクリニックを精力的に開催しその知見を還元。ドイツと日本、それぞれの育成現場に精通する中野吉之伴さんが、育成に関する様々なテーマについて提言する。

第3回は、サッカー界に限らず大きな社会問題となっている「パワハラ」問題について。

 「パワハラ」という言葉がここ最近また頻繁にニュースで見られるようになっている。

 私が見たSNSを中心に出回っていた動画では、紅白戦の最中だろうか、選手を呼びつけると、蹴りつけ、張り倒す大人の姿が映っていた。そういえばペットボトルで小学生の頭をずっと小突いていたり、ビンタをしたりする動画も以前見かけたことがある。他の子どもたちが見ている前で、無防備に大人の暴行を受ける。そして耐えることを強要される。子どもがおびえていても、なぜだか誰も止めない。それどころか、同じような態度を見せていたり、時に外からニヤニヤしながら楽しんでいるようにさえ感じさせる人間もいる。あの光景は何なのだろう。

 こうした体罰だけではなく、日本に帰っている時にトレーニング風景や試合会場に行くと、不必要に大きな声で怒鳴り、不寛容にミスを神経質に指摘し、不誠実に子どもたちを馬鹿にするような人間を目にする。1、2人ではなく、たくさんいる。暴行シーンを目撃したことはないが、汚いというレベル以上に薄汚れた言葉を投げつける人間がいるのだ。あまりに酷いと思って声をかけたことがあるが、「いや、この地方ではこのくらいの言葉は普通のことですから。子どもたちも気にしてないですよ」と涼しい顔をして言い返してくる。パッと子どもたちの顔に視線を動かしてみた。どんよりした沼底のような目の色をしているように私には見える。だが、ここの人間にはこれが普通の色のようだ。たまらない気持ちになる。

 日本では部活動を中心に精神性ばかりを強調する根性論とやらが今でも人気らしい。これがブームであればそのうち跡形もなくなくなるのだろうが、どうやら昔からずっと根強い“人気コンテンツ”のようだ。だから、なかなかなくならない。こうした暴力性を肯定する人がいる。パワハラだなんて考えない人がいる。追い込みを美徳と捉える人がいる。「それで成功を収めている人がいるではないか!」と声高に叫ぶ人がいる。

 確かに実際の成功例はある。いくつもある。汗をかき、涙を流し、苦しみ、苦しみ、苦しみ、それでもあきらめずに、そこから這い上がり、立ち上がり、そして栄光を手にするというサクセスストーリー。なんて素晴らしいんだと感動する観衆たち。ストーリーとして感動はするだろう。興奮もするだろう。

 でもだから全部それでオッケーなんだというのはあまりに軽率だ。だって、それではただの見世物ではないか。ローマ時代のコロッセオのそれと同質のものではないか。

 成長するにはそうするしかないと、逃げ場を失った子どもたちは、そこであがくことしか先に進む可能性がないと思い込んでしまう。そして明日は我が身にならないようにと、ミスをしないように、とどんどん縮こまっていく。どんどん恐怖下にいることが日常化し、自分の能力を育むことからどんどんと遠ざかっていくとも知らず。そんな悲しい現実が起こっている。どこかで、ではない。平和な国、とされている日本でだ。

 みんなではもちろんない。多くの人は愛情を持って子どもたち・生徒といっしょに取り組んでいることを知っている。でも、指導者や先生という立場にいる人が、子どもたちをそうした手段で管理していることがある。そして、大人→子どもの関係性だけではなく、大人同士の中でも上下関係を武器に相手の人間性をまったく顧みないやりかたをしている人たちがたくさんいる。

 目を覚ましてみないか。

 作られた感動話の裏で傷つき、心をへし折られ、表舞台から消えていった存在に私たちは大して見向きもしない。残念だったね、でもがんばったね。それですべてが帳消しになると信じている。それでいいのか。

 努力は嘘をつかないという。でもそれは僕らが、費やす努力に嘘をつかなかった時にだけ通用する言葉なのだ。どれだけの時間と量を費やしたとしても、どれだけ苦しんだとしても、間違った方向に進むことを努力とは言わないのだ。だからこそ、指導者とされる人物は、努力を実らせるために正しい方向に導くことができなければならないのだ。

 「厳しいのは良くないから」と子どもたちがやりたいことだけをやらせて、周りでニコニコしていればそれでいいのか、というのは極端過ぎる。それだとなんの基準値も持たないゆるゆるの人間になってしまう。だから大事なのは、やり方を、接し方をしっかりと学び、知ることだ。

 厳しい言葉が人間を成長させることはあるのだ。規律正しい生活が人間の振る舞いに好影響を及ぼすことは間違いなくあるのだ。同時に、こちらの不用意な一言や表現が著しく彼らを傷つけてしまうことを忘れてはならない。絶対に。いつまでも癒えることのない傷になってしまうことだって普通にあるんだ。だからこそ、いつ、どこで、どんな場面で、どのような厳しい言葉だと子どもたちにとって財産となるのか、どのくらいの規則正しい生活が求められるのか。そして、どの場面ではどんな言葉や表現を使ってはいけないのか、という知識を正しく身につけることが大事なのだ。

 私だって怒鳴ることはある。真剣に、気持ちを込めて取り組んでいればうまくいかない時にイライラだってする。練習態度や選手同士のやり取りでは、その場で修正しなければならない大事なことだってたくさんある。でもそんな時でも言葉遣いには気をつける。相手の人間性を傷つけるような言葉なんて使わない。

写真は19年9月の「DFBエリートユースコーチワークシップ」でのもの

「選手が自分の意見を口にできること」

 今年7月にカッセルにてドイツサッカー連盟とドイツプロコーチ協会の共催された国際コーチ会議で、元オリンピックホッケー代表監督マルクス・バイゼによる講演があった。男女ともに金メダル獲得に導いた唯一の指導者であるバイゼによるチームマネージメントの話はとても興味深く、学ぶことの多い訓示として響いた。

 「相手がこちらの言葉を受け入れられる関係性が取れているかどうかを考慮することが非常に大事である。

 指導者としての価値は正直さ、筋の通った決断力、信頼にある。私たちの、そのアプローチが選手との関係を壊すことがない、許容範囲のものであるかどうか。ここが非常に重要な点だ。なぜなら、我われ指導者の目的は個々のベストパフォーマンスを引き出し、チームとして“僕ら”の感情を生み出すことなのだから。それぞれのドアを見つけ出す。そのために汗をかくべきだ。チームミーティングの他にも、それぞれと個別で会話をする。選手に響くように言葉を探す。みんな違うんだ。はっきりとした伝え方をしたほうがいい選手もいれば、黙って話を聞いてほしがる選手もいる。監督が持つ理想的なイメージと選手のそれが必ずしも一致するわけではない。選手と監督がともに同じ絵を描けるように、コミュニケーションを取り合って、成長していくことが大切だ」

 そうなのだ。目的を見誤ってはならない。結果が目的ではない。彼らの人間的、そして選手としての成長こそが最大の目的だ。特に育成においては、ベスト選手とかベストチームを望んでしまってはいけない。勝ちを求める、自分のイメージ通りのプレーを求めるあまりに、選手の人間性を否定することはあってはならないことなのだ。「選手のためだ!」といって厳しさだけを強調する人がいるが、選手のためになどなっていないことの方が多いというのに気づかなければならない。

 バイゼが見せてくれたスライドの中には、まだ小さな子どもに対して威圧的な態度で怒っている指導者の写真もあった。日本だけの問題ではない。ドイツであっても、スペインであっても、イタリアであっても、ブラジルであっても、アメリカであっても、世界中のあらゆるところでパワハラや体罰は存在している。大人であることを都合良く解釈して、子どもが子供であることを理解しないまま、「できない大人」のように勘違いをしてしまう。

 だが、上下関係のまま自身の持つ知識ベースで上から絶対的なアプローチをすると、その選手の理解度やシステムに依存した上昇曲線になる。つまり、わかる選手にはわかるけど、わからない選手にはちっともわからないというアプローチだ。そしてわかる選手だけが高く評価され、わからない選手は失格の烙印を押されてしまう。でもそれだと生まれ持った才能を持つごくごく一部の子どもしか成長できないということになってしまわないだろうか。

 指導者はコーチとして選手それぞれの現在地をちゃんと把握して、相手の価値観を尊重したうえで何に取り組むべきかを明確にし、内的な心理変化に反応し、個々それぞれの成長を考慮しながら取り組んでいくことが大切。選手からの共感性の高いコーチングを行うことで、個々のポテンシャルを引き出すことができるのだ。

 少なくとも私の周りでは、多くの指導者や保護者がそうした間違った指導者や教育者のあり方にはっきりと「ノー!」ということができるし、言わないでいいなんて思っていない。間違いは間違いのままでいいわけがない。難しかろうと、いろいろと問題があろうと、改善すべきことは改善するために動き出さなければならない。

 あなたの声は子どもたちにしっかりと響くだろうか。響くような、受け止めてもらえるような信頼関係が築かれているだろうか。バイゼは互いに信頼し合えている関係とは、「選手が自分の意見を口にできること」を挙げていた。みなさんのチームでは、選手は自分の意見を積極的に口にできているだろうか。日本人は消極的だからそもそも発言なんてしない? そんなことはない。みんな話したいことでいっぱいなんだ。でも、話すことをあたかも悪いことのように扱われるから誰もしようとしないだけなんだ。

 選手は、子どもたちはみんな監督やコーチとコミュニケーションを求めている。それは傍目から見てうまくいっている選手もそうだ。うまくいってるから放っておいて大丈夫ということではない。いつでもそれぞれを気にかける姿勢を持ちたい。とはいえ、監督一人ですべてをすることは現実問題難し過ぎる。だから、協力体制を整えることが必要になる。気になるしぐさを見せる子供がいたら、コーチが声をかけて話を聞いてあげる。問題がありそうだったら、監督に「○○と話をした方がいいですよ。悩んでいるみたいです」と助言をする。そうやってお互いに支え合うことでクラブ全体の風通しをどんどん良くすることができる。

  指導者だって、保護者だって、子どもたちだってみんな人間だ。イライラしてしまうことなんて普通にある。うまくいかなくて途方に暮れることなんて当たり前にある。でも、だからしょうがないではなく、そんな他の人が助けてあげたり、支えてあげたり、受け止めてあげられる環境を作ることで、お互いやりやすい空気を作り出すことができるのではないだろうか。指導者は保護者に、保護者は指導者に、そして子どもたちも保護者や指導者に、完ぺきを求めてはダメだ。お互いミスをする。ミスをした時の対処法を学び合う方が、ミスをけなしあうより数万倍いい。

 「1人がみんなのために、みんなが1人のために」

 そんな標語でチームとして戦うことを大事にしているところも多いと思う。それならば、チームのためにという言葉で個々それぞれの思いを犠牲にしないようにも気をつけてほしい。チームのために個々の力を最大限引き出せるようになることが大切なのではないか。本当のチームとは、チームと個における相互関係がとてもしなやかにできているものだから。そうした関係性を築くことができたら、パワハラだなんだという話はまったく出てこなくなるはずだ。そしてそれは、できないことなどではない。


Photos: Bongarts/Getty Images

Profile

中野 吉之伴

1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。