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先がまったく見えないアルゼンチンサッカー。年内の活動再開は不可能か

2020.06.23

 欧州に続いて南米諸国でも次々とサッカー界の活動が再開する中、依然として先がまったく見えないのがアルゼンチン。6月19日現在、シーズン開幕の予定日どころか、練習をリスタートするまでのガイドラインさえも公表されていない。

「フェーズ4まで再開しない」

 関係者の間では様々な憶測が飛び交っているものの、それらの情報には何の保証も裏付けもなく単なる噂に終わっており、選手たちはすでに丸3カ月もの間、コーチのオンラインによる指導に従いながら黙々と自宅で単独トレーニングを続けるしかない状態が続いている。

 そんな中、去る6月16日、AFA(アルゼンチンサッカー協会)のクラウディオ・タピア会長は同組織の公式チャンネルを通じてビデオメッセージを発信し、「アルゼンチン全土がフェーズ4に入るまでサッカーは再開しない」と発表した。

 フェーズ4とは、アルゼンチン政府が設置したコロナ感染予防対策の検疫フェーズにおいて、最も厳しい第1フェーズから徐々に緩和される第5フェーズのまでのうち「感染者数倍増に要する日数が25日以上」で「人々の移動が75%まで許可」される段階を指している。

 この決断が公表されたことにより、これまで出ていた感染が少ない州でキャンプを行なうアイデアや、すでに感染者数が減少している州のクラブによるトレーニング開始許可申請がすべて却下されたこととなった。

 その理由として、タピア会長は「全国にある123のプロサッカークラブのうち59%が(感染者数が増加中の)ブエノスアイレス首都圏にあること、また登録されているおよそ3900人の選手のうち75%が首都圏に滞在していること」から「他の州に感染を広げるわけにはいかない」と説明。トレーニング可能な環境にあるクラブだけに許可を出すことについても「スポーツ的なアドバンテージを与えることはできない」と語っている。

大会形式はいまだ発表されず

 これを受け、一部メディアが感染症専門医などに相談したところ、アルゼンチン全土がフェーズ4に入るのは早くても春先(9月下旬から10月初旬)から初夏(11月から12月)だろう、という見解が多数を占めた。

 試合を行うまでには少なくとも2カ月間のトレーニングが必要と考えられていること、またアルゼンチン1部リーグは来年から1月開始の新シーズンがスタートすることを考慮した場合、仮に9月からトレーニングを始めても、11月からクリスマス休暇までの約1カ月半で、24チームによる大会を開催しなければならなくなる。

 だが、その場合を想定した大会の形式が発表されることもなければ、トレーニング開始のためのガイドラインさえ定められていない。そこで声を上げたのがリーベルプレートのマルセロ・ガジャルド監督だ。

強硬に異を唱えたガジャルド監督

 タピア会長のビデオメッセージが公表された翌日、ガジャルド監督はラジオ番組の取材に応じ、トレーニング可能な州のクラブに練習を許可するべきであること、再開に向けてプランを準備しておくべきであることなどを主張した。

 「今、政府はサッカーよりももっと重要な問題に直面しているが、だからと言ってサッカーがこのまま停滞し続けるわけにはいかない」と語りながら、関係者が一斉に沈黙を保っていることについて「多分クラブ役員の間で『AFAの決断には背かない』という暗黙の了解があったのだろう。私は(歯向かうことによる)報復など恐くない」「(サッカーが)いつ、どのように、どのフォーマットで始まるのかさえまったくわからない。滅茶苦茶だ。この先どうなるのか議論くらいしてもいいだろう。もっとアイデアを生み出さなければ」と強く訴えた。

 また、ガジャルド監督は、ヒネス・ゴンサレス・ガルシア保健相に対して「従業員500人の工場が始動しているのに、ガイドラインに沿って4人ずつのグループに分かれてトレーニングを行うことがなぜ不可能なのか説明してもらいたい」とも。

 これについてゴンサレス・ガルシア保健相は、3月にリーベルが新型コロナ感染の危険を理由に試合を放棄したことを引き合いにしながら「試合ができる状況にあった時に拒否したのはガジャルドだ」などと答え、世間では双方の意見が賛否両論を巻き起こしている。

 6月19日には南米サッカー連盟が中断しているカップ戦の9月再開に向けたガイドラインを定めたが、アルゼンチンのクラブはまだ練習さえも始めていない状況。新型コロナウイルス感染が勢いを増す中、アルゼンチンサッカー界はますます迷走しそうだ。


Photo: Getty Images

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ガジャルドリーベルプレート

Profile

Chizuru de Garcia

89年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。