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“ファン”としてプレーした英雄が帰ってくる、ノーブルがウェストハムのSD就任へ

2022.09.23

 “ウェストハム流”を知り尽くす男が、クラブのスポーツダイレクターに任命された。ウェストハムで18年間プレーしてきたマーク・ノーブル(35歳)が、来年1月から同クラブのフロントに入ることが発表された。

試合後は控え室を掃除

 ノーブルほどウェストハムを知り尽くした男はいない。クラブの旧本拠地アップトンパークから車で10分ほどのところで生まれ育ち、熱狂的なハマーズ・サポーターの親に育てられたノーブルは“生粋のハマー”となった。最初はアーセナルの下部組織で練習を始めたが、ウェストハムも地元の逸材を確保するために奔走。クラブスタッフがノーブルの自宅を訪れて「ウェストハムと契約するまで帰らない」と午前2時まで粘ったそうだ。

 こうしてノーブルは「アカデミー・オブ・フットボール」と呼ばれるウェストハムの下部組織に入団し、トップチームまで駆け上がると、2度のローン移籍を除いてウェストハム一筋のキャリアを送ることになった。2004年に17歳でデビューしてから今年5月に引退するまで、18年間で公式戦550試合に出場。イングランド史上最高の選手の1人であるボビー・ムーアやフランク・ランパードの父親などが名を連ねるクラブの歴代最多出場ランクで堂々6位に入っている。

 そんなノーブルだが、イングランドの年代別代表でこそ主将も務めたものの、A代表に呼ばれることは一度もなかった。18年のプロキャリアで獲得タイトルだって1つもない。それどころか、2011年にはプレミアリーグからの降格も経験した。それでもノーブルはフットボール界で最もリスペクトされる選手の1人だった。2015年から引退する日までクラブキャプテンを務め、コロナ禍で英国中が苦しい思いをしている時には「こういう時期だからこそ、みんなが互いに手を取り合うべきだ」として3万5000ポンド(約500万円)の寄付をした。

 そして、常に模範的なリーダーだった。アウェイゲームの試合では、たとえ後半追加タイムに決勝ゴールを奪われる悔しい敗戦でも、勝敗に関係なく控え室の掃除をしてきた。それは対戦チームに対する敬意の表れであると共に、ウェストハムというクラブを代表してプレーしていたからだ。「(控え室の掃除は)アカデミー時代にはみんなやっていたことだしね。控え室を汚したままにするようなクラブにしたくなかったのさ。結局、試合後に控え室を掃除するのは30~40年間もそのクラブに仕えているスタッフさんだからね」とノーブルは説明した。

 「新たに加入した外国人選手には理解されないこともある」と漏らしたノーブルだが、彼の振る舞いは徐々に若手にも浸透してきている。生え抜きのDFベン・ジョンソンなどは、アウェイゲームの試合後に控え室を出ようとして、ノーブルの顔が脳裏に浮かんだので控え室を掃除したという。

“ファンの1人”としてプレー

 1つのクラブで献身的にプレーしてきたノーブル。今年5月に引退した際には、様々なフットボール関係者から祝辞が寄せられた。その一人がマンチェスター・シティのペップ・グアルディオラ監督だ。「彼のような選手のことは心から尊敬する」とグアルディオラは語った。「彼は生涯、地元のウェストハムでプレーした。世界中を見渡しても、こういった選手は少なくなっている。彼がフットボール界に残ることを願っている。彼の知識と経験は、ウェストハムやイングランドフットボール界にとって財産になるからね。シティを代表して彼の素晴らしいキャリアを称えたい」

 もちろん彼は“ワン・クラブ・マン”の偉大な選手であり、素晴らしいリーダーだった。だが、彼がサポーターたちから愛された最大の理由は、彼が「自分たちと同じファン」だったからだ。2007年のシーズン終盤、まだキャリア駆け出しのノーブルは、ローン移籍から復帰すると残留争いを演じるチームでスタメンに抜擢された。そして、トッテナムとのロンドンダービーでプレミアリーグ初ゴールを決めてみせたのだ。しかし、残り2分間で2点を奪われて逆転負けを喫すると、ノーブルはピッチ上で涙した。最下位に沈む絶体絶命の状況だったが、彼の涙は間違いなくサポーターにも伝わった。当時チームを率いていたアラン・カービッシュリーも「あの瞬間、サポーターも『こいつは俺たちなんだ』と思ったはずだ」と振り返っている。

 結局、ウェストハムはスパーズ戦の直後から9試合で7勝を挙げて奇跡の残留を果たすことに。歴史には「カルロス・テベスがウェストハムを救った」と書かれるかもしれないが、分裂しかけたクラブを再び1つに団結させたのは20歳の青年の涙だった。生粋のウェストハムサポーターにして、ウェストハムを題材にした映画にも出演している俳優のダニー・ダイアーも「マークは“ファンの1人”としてプレーしている」と賛辞を送っていた。

 そんなウェストハムの英雄が来年1月にスポーツダイレクターとしてクラブに戻ってくるのだ。デイビッド・モイーズ監督も「彼以上にウェストハムというクラブとクラブの精神を理解する者はいないだろう」と元キャプテンに信頼を寄せている。

 思い返せば2年前、クラブ生え抜きの有望株であるMFグレイディ・ディアンガナが22歳でウェストブロミッチに引き抜かれた際、怒りを露わにしたのがノーブルだった。「彼のような将来性のある選手がクラブを去るのは、キャプテンとして残念だし憤りを覚える」と公に発信してクラブを非難したのだ。そんな“ウェストハム愛”に満ちた男がスポーツダイレクターに就くのだから、二度と若い才能を簡単に手放すことはないだろう。


Photo: Getty Images

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ウェストハムカルロス・テベスジョセップ・グアルディオラマーク・ノーブル

Profile

田島 大

埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。

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