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林舞輝。新世代コーチが語る、「日本サッカーの日本語化」とは?

2018.04.11

Tactical Tips 戦術的ピリオダイゼーション


欧州各地に広がりつつある現代サッカーの新常識、その中でも代表的な理論の一つ「戦術的ピリオダイゼーション」はポルト大学教授ビトール・フラデが考案した概念だ。その総本山であるポルト大学の大学院で学ぶ日本人がいる。英国のチャールトンとポルトガルのボアビスタでコーチ経験を積み、2018年3月からモウリーニョが主催する指導者養成講座に合格した23歳に、ポルトガル発祥の謎に包まれた戦術理論と日本サッカーの課題について聞いた。


10代で指導者の世界へと飛び込み、アカデミックな知識と理論を駆使する新世代の監督――ジョゼ・モウリーニョが世界を驚愕させたことを契機として、プロ経験を持たない多くの若手指導者が欧州各地で花開き始める。日本からも指導者養成の名門ポルト大学に飛び込んだ若者が現れた。彼の名は、林舞輝。同大学院で世界トップクラスの指導者教育を受けつつ、モウリーニョが講師を務めることでも知られる「High Performance Football Coaching」という指導者養成コースにおいて「日本人として初の合格者」となった青年とは何者なのか?

英国経由ポルトガル行き


── まずは指導の道に進まれることを決めた理由から教えていただけますか?

「もともと環境としてサッカーが生活の一部だったというのはあると思います。実は、父が読売クラブでプレーしていた元選手で、母も女子サッカーをプレーしていました。母は当時女子サッカーの人口が少ない中でも本格的に取り組んでいて、女子サッカー部がありアメリカに交換留学できるからという理由で進学する大学を決めたような筋金入りのサッカー好きで、生まれた時からずっと周りで両親がサッカーの話をしているような家庭でした。W杯で日本が敗北してしまった後は、今後の日本サッカーを強くする方法について数時間にわたって激論したりも(笑)。母がずっと小学生男子の指導に携わっていて、14歳の時から自分も朝練を手伝い始めました。それが最初の指導経験ですね」


── まさにモウリーニョが10代の頃、父親のチームを手伝っていたようなエピソードですね。選手としてはサッカーを続けられていたんですか?

「部活でプレーをしていましたが、選手として飛び抜けた存在ではなかったです。高校が進学校だったこともあり、部活動が盛んではなく、小学生チームの総監督から本格的にコーチにならないかと声をかけていただきまして。高校2年のタイミングで選手を引退して、指導だけに集中することになりました。もう少し選手を続けていれば、また違うものが見えたのかもしれないので、良い面、悪い面あるとは思うのですが」


── そして日本の高校を卒業後、イギリスの大学に留学されるわけですね。

「高校を卒業したタイミングで、1年間のファンデーションコース(英語・英国文化・論文の書き方などを学ぶコース)を受講した後に3年制の大学に入学することになりました。学部は、スポーツ科学・コーチングをメインとしているところを選びました」


── イギリスの大学を選ばれた理由は?

「どこに行くにしても、まずは英語ができないと勝負にならないなと。プレミアリーグが好きだったのもありますが。例えばイタリアに留学していたら、ポルト大学に進学する選択肢もなかっただろうし、英語能力が選考の基準として重要視されているモウリーニョの指導者育成コースにも合格していなかったと思います。将来を見据えた時に英語力は必須だと考えました」


── 日本の大学に行くという選択肢はありましたか?

「それはなかったです。必ずしもコーチになりたかったわけではないのですが、『サッカーを職業にしたい』とは思っていたので、サッカーを勉強することを考えたら日本の大学は選択肢から消えましたね。海外の方が高いレベルで勉強できると考えたので、迷いはありませんでした。両親も留学経験や海外在住経験があったような人なので、まったく反対はされませんでした」


── コーチになるという決意があったわけではなかったということですが、どのタイミングで指導者の道に進むことを決められたのでしょう?

「私が通っていた大学と提携していたチャールトンFCでインターンシップをする機会があり、コンディショニングなどのスポーツ科学部門とコーチング部門のどちらかを選ぶことになりました。その時、迷うことなくコーチングを選択したのは、明確な意思ではなかったのですが、当時から指導に興味があったのかもしれません」


── チャールトンの指導については、どのような印象が?

「現在リバプールで活躍しているイングランド代表のジョー・ゴメスもチャールトン出身で、名門アカデミーだと思います。だからこそ、両親の期待は非常に大きいなと感じました。将来のプレミアリーガー、イングランド代表になることを期待されている子どもたちを預かるわけですから。日本人がコーチをしているとなれば、それに嫌悪感を示す人もいましたし。とはいえ毎週、チェルシーやトッテナムと試合ができるような環境は刺激的でしたね」

写真はチャールトン時代のジョー・ゴメス。17年11月にA代表デビューも果たしたリバプールDFや、元イングランド代表MFスコット・パーカーなどを輩出した名門だ


── 指導されていたイングランドのU-10は、どのような特徴がありましたか?

「7対7ですがまさに『小さなプレミアリーグ』が目の前で展開されている感じで、ユース世代でも容赦なく足を削るような世界です。U-8から普通にフィジオセラピスト(理学療法士)がいて、選手のケガをケアしなければならないほどに試合は激しい。正直、初めは圧倒されました」


── 海外で子供たちを指導する中で、意識していたことはありますか?

「文化的なところですけど、日本だとコンビニに行けば何も言わなくてもお弁当を温めてくれるし、お箸も一緒に袋に入れてくれますよね。でも、海外だと違う。彼らにやってほしかったら、ハッキリと『今から説明するから、よく聞け。アツアツの弁当が良いから、そこの電子レンジで30秒間加熱してくれ。それにすぐに食べたいから、箸も一緒に用意してくれ』と強く主張しないと伝わらないし、対応してくれない。だからこそ、英語で指導する時は大げさな表現になっていると思います。『お前がマークにつかなければ、俺たちは全員死んでしまうぞ』というくらいに選手には強く伝えますし、選手もそれを求めている。Jリーグにユルゲン・クロップみたいなリアクションが派手な監督がいないのと関係があるのかもしれませんが、コミュニケーションの方法は大きく異なりますね。英語で指導している時は、自分も性格が変わっていると思います」


── その後、名門ポルト大学の大学院に進学される形になりました。その理由については?

「イギリスの大学院に進学しようかと思っていたのですが、他国のアプローチについても学びたいとは常々考えていました。より厳しい環境に身を置きたかったこともあり、指導者養成で有名なポルト大学を選びました。ポルトガルには1人も知り合いがいなかったのですが、それはイギリスに留学した時も同じだったので。チャールトンで指導者として積み上げたものがあり、英語も習得してきていたところだったので葛藤はありましたが、イングランドで肌身で感じていた『チェルシーユースのような選手たちに、日本のユース世代が10年後にどうやったら勝てるんだろう』という思いに対する答えを、どうにかして見つけたかった」


── 日本人のユース選手に、足りない何かを実感されたということでしょうか?

「日本人選手は、世界で一番ボールを扱う技術があると思っています。チャールトン時代にU-12以下を統括していて、カタールのU-17でも指導歴がある私の上司、デイビッド・チャットウィンというイングランド人指導者が日本のチームを見て感銘を受けたことがあったようで、『日本のユース世代はスペインやブラジルの選手より技術がある。あれほどの選手を作り出すために、日本はどのような練習をしているのか教えてくれ』と聞いてきたくらいです。確かに、日本人選手は練習の中ではトップクラスに正確なプレーをします。ただ、ユース世代もトップも欧州の選手たちは強烈な速さとプレッシャーの中で『普通に止めて、普通に蹴る』能力がある。その差こそ、私が戦術的ピリオダイゼーション理論に興味を持った理由でもあります」

戦術的ピリオダイゼーション=方法論×思考法×哲学


── 欧州のフットボール界では非常に注目されている理論ですよね。詳細を教えていただいてもよろしいでしょうか?

「まず、『サッカーはサッカーでしかうまくならない』というのが基本的な考えです。日本だとよくコーンを置いてその間をドリブルする練習がありますよね。戦術的ピリオダイゼーション理論に基づいて考えると、こういった練習は意味がないとされています。コーンドリブルの練習をどんなに一生懸命しても、単にコーンドリブルが巧くなるだけ。サッカーがうまくなるのとは別の話だと。ジョゼ・モウリーニョの有名な言葉に『ピアニストは、ピアノの周りを走らない。だから我われもグラウンドの周りを走る必要はない。サッカーは、サッカーをすることによってうまくなるのだから』というものがありますが、戦術的ピリオダイゼーション的な論理で言えば、日本的な(サッカーをプレーしない)練習では試合で使える技術は鍛えられない。例えばコーンドリブルやボレーの練習は、プレッシャーがない状態での練習です。ただ、実際の試合ではプレッシャーから解放される状態というのは存在しないわけです。だからこそ戦術的ピリオダイゼーションは、練習において常にボールを使ったりプレッシャーを与えたりといったことを非常に重要視しています。こういった指導理論をベースとしているからこそ、欧州の選手たちは猛烈な速さや激しいプレッシャーといった中での技術が磨かれているのではないかと考えています」

リスボン大学でスポーツ科学を学んだモウリーニョは、欧州サッカーのトレーニング理論の変革に大きな役割を果たした。彼が用いた戦術的ピリオダイゼーションは、今ではトップレベルの常識になりつつある


── 今のヨーロッパの指導者は基本的にこの考え方がベースになっていますよね。

「これは日本サッカーにおける『テクニックはあるけど、スキルはない』という状況を打破するための大きなヒントになるのではないでしょうか。絶対的に正しいものだとは思いませんが、サッカーの1つの重要な見方ではあります。個人的にも『ウォーミングアップでボールを使う』『どんな練習でも何かしらのプレッシャーを与える』などを積極的に取り入れています」


── 日本でも頻繁に講演しているレイモンド・フェルハイエン氏が提唱している「サッカーのピリオダイゼーション」もその点は共通しています。だからこそ、ポルトガル発祥の「戦術的ピリオダイゼーション」と日本では混同されやすいという弊害もあるのですが……。

「おそらく、2つの考え方で最も異なるのはレイモンド氏が提唱するサッカーのピリオダイゼーションは『実践からスタートした理論』ですよね。逆にビトール・フラデは『学問からスタートしていて、サッカーを解釈した理論』と言えるのではないでしょうか。戦術的ピリオダイゼーションにおいて、重要視されるのは『ゲームモデル』(編注:ポルトガル語の「Modelo de Jogo」。JogoにはPlayとGameの2つの意味があるのでプレーモデルと訳されることが多いが、林氏は後者の方がニュアンス的に正しく理解しやすいと考えている)の概念です。これは文字通り『試合の模型』、もしくはもっと単純化すると『理想形』になるのですが、それに合わせて練習が組まれていきます。つまり、バルセロナとチェルシーでは求められるサッカーが違うし、またバルセロナを相手にする時とチェルシーを相手にする時では求められる対策や戦術が違うのだから、同じ練習をする意味はないというのが戦術的ピリオダイゼーション的な考えですね」


── フェルハイエン氏は戦術的ピリオダイゼーションについて「大学で研究されているような難解な学問であり、実践的ではない」と考えているようです。

「私も、戦術的ピリオダイゼーションを本当に理解しているのはビトール・フラデ本人だけではないかと思っています。余談ですが、ビトール・フラデってとんでもなく凄い人なんだろうなと思っていたのですが、実物はただのお茶目なお爺ちゃんです。この間はなぜか食堂の周りを走っていました(笑)。ただ、理論についてはポルトガル人でも理解に苦しむような難解な表現で説明します。なので、私も今は『戦術的ピリオダイゼーションを完璧に理解する』というよりは、『戦術的ピリオダイゼーション的な思考を手に入れたい』と考えています。その理論自体ではなく、1つの視点として。思考論や哲学といった方が正確かもしれません」


── 理論そのものが複雑であることに加えて、アカデミックな知識を有していなければ読み解けない。さらに欧州の理論ではありがちな話ではありますが、「包括的な概念」なのでどうしても範囲が広くなってしまう。そうなると、完璧な理解は簡単ではない。

「なので、『戦術的ピリオダイゼーションのメニューを教えてほしい』と言われても答えがないんですよね。練習するチームによって異なりますし、それこそ次の対戦相手によっても変わってくる。今では日本でもバルセロナの練習の本が売られていて、YouTubeでは誰もが世界中のビッグクラブの練習を動画で見ることができる。現代のこうした情報化が進んだ状況では、誰もがアッと驚く革新的な練習メニューなんてものはもう存在しない。だけど、ただ練習メニューの本を読むだけで簡単に練習の効果が出るかというと、そうでもないわけです。どれだけ、サッカーの大事な要素を組み込んで練習に落とし込むことができるのか、そして自分がどれだけサッカーの本質を理解しているか。そこを磨かないと、どうしようもないかなと」


── アカデミックな知識と現場での実践を融合させることが、ポルトガルの指導者教育の特徴だと思います。

「大学とクラブが連携することにより、大学側は選手を研究の対象にできる一方で、クラブは専門的な知識が必要になった時に専門家のサポートを得られるようにしています。例えば、練習を始める前にストレッチをするのは日本の常識ですよね。ところが、(可動域限界まで体を伸ばす)静的ストレッチはケガの予防やパフォーマンス向上と相関関係がないというのが現時点でのアカデミックな結論です。その2つに相関関係を見出せた論文がないんです。ただ、20年後にはまた新たな発見があって、この結論も変わっているかもしれない。ポルトガルのサッカークラブは常にそうした最先端の知見が現場に取り入れられています。

 なぜポルトガルはここまでアカデミックな知識を取り入れることに必死になり、戦術の研究を含めた指導者教育に注力するのか。その問いに対する答えは、非常にシンプルです。東京都にも満たない人口しかいないポルトガルは、そうしなければ勝てないからです。イタリアやオランダですら脱落するヨーロッパ予選を勝ち抜くことの難しさを考えれば、ワラにもすがるではないですが、スポーツ科学や戦術に頼っていかないと勝てない。一方で、日本はW杯に出ることができてしまう。ポルトガル人は人口が少ないのでタレントを取り逃がすことに強い危機感を持っているから、代表のメンバーは国中から徹底して選び抜かれ育てられた11人です。それと比べてしまうと、日本は徹底できていないのかもしれません」


── モウリーニョやビラス・ボアスを筆頭にポルトガルは選手としては無名だった若手監督を多く輩出していることでも知られますが、必ずしも元有名選手ではない指導者がチャンスを得られるのには何か理由があるのでしょうか?

「選手の話と共通するとは思うのですが、指導者もたった1人の損失が大きなダメージになるという意識があるのかなと。ポルト大学のように選手経験がない監督を育てる環境もある。そして何より、これはモウリーニョの功績なのかもしれませんが、見る側に偏見がない。非常にフラットに評価してくれるというのは、特徴だと思います。大学でも元プロ選手とそれ以外の生徒は完全に平等ですね。同級生と食堂に集まれば、いろんなものが机の上に並べられ、机を戦術ボード代わりにして議論が始まります。逆に、日本では年功序列的な文化がありますし、自分より優秀な若者を評価するのは簡単ではない。例えばホッフェンハイムのナーゲルスマンは監督自身も確かに素晴らしいのですが、本当に凄いのは彼を抜擢して支えている周りの年長者ですよね。年下の青年が自分よりも実力があるとフラットな視点で認めているわけですから」

モウリーニョのコーチングスタッフとしてポルト、チェルシー、インテルに帯同したビラス・ボアス(中央右)。彼も選手としての経歴を持たずにキャリアアップを果たした人物だ


── ホッフェンハイムの関係者は「最年少の監督だからではなく、一番優秀な監督だからナーゲルスマンを抜擢した」とコメントしていましたね。年齢もですが、指導者の国籍についても重要視しない時代になってきているのでしょうか?

「この世界は、結局は結果だと思います。国籍や年齢なんて関係なく、結果を残せば認めてもらえます。チャールトン時代にも、チームを3つに分けて強豪チームと練習試合をした時に、自分が指導するチームが全勝したことがあって。その結果があったから、チャールトンからインターン期間終了後も残ってほしいという話をもらえたし、選手や両親たちにも認められたという感覚がありました」

16年2月にホッフェンハイム監督に就任したナーゲルスマン。初年度は降格の危機に瀕していたチームを救い、続く2年目は4位でシーズンを終え、クラブ史上初となるCL出場権を獲得した

“モウリーニョ講座”初の日本人


── そのチャールトンからポルトガルに渡り、今回モウリーニョが講師の1人として登壇する「HIGH PERFORMANCE FOOTBALL COACHING」の受講を決めることになった理由を教えてください。

「もともとポルトガルに進学しようと考えた時、リスボン大学とポルト大学のどちらかで考えていました。その時に、リスボン大学で多くの著名な指導者から学ぶことができる当コースの存在を知りました。モウリーニョの授業を受けるのは、彼を倒すために学ぶことが目的だと思っています。個人的にはグアルディオラのようなスタイルが理想ですが、さっきも言ったように結果がすべての世界ですからどんな指導者の中にも“モウリーニョ”はいると思うんですよね」


── コースのプログラムは、どのような形になっているのでしょうか?

「毎年行われているプログラムですが、今年で3回目ですね。3月~11月の間に1週間ずつの合宿形態で授業があるのですが、メインになるのは夏ですね。講義してくれるのが現在進行形で活躍している指導者なので。どうしても、彼らが時間を作れるのはオフシーズンですから」


── 20枠のうち5枠はサウジアラビアが買ったんですよね(笑)。

「そうなんですよ。サッカー界はこんなところまでオイルマネーかよと(笑)」


── 世界的にも有名で、競争の激しい指導者育成コースに林さんが合格したのは、日本人というのも理由としてはあったのでしょうか?

「それもあったとは思います。スカイプ面接の時に聞いたところ、ポルト大学で勉強しているということだけでなく、若さやチャールトンで指導した経歴、現在ボアビスタで指導していることなどを総合的に評価してくれたようです。コースをなるべく多国籍にしようという方針で、かつ今まで日本人の受講者はいなかったので、日本人というのも1つのポイントになったようですが、それも含め珍しい経歴だったので面白がってくれたのかもしれません」


日本サッカー界に必要なのは正岡子規


── 近年のサッカーの進化、新たな戦術用語についてどう考えますか?

「個人的な意見ではありますが、戦術に進化や進歩はないと考えています。近いのは、流行や変化という言葉なのかなと。11人と11人、ボールが1つ、ゴールが2つという基本的な原理原則というのは、どうあっても変わらない。そうなってくると、戦術というのは突き詰めれば『どうやってサッカーというゲームを解釈するか』だと私は認識しています。『5レーン理論』も新しくなったのは解釈であって、サッカー自体は別に進化していません」


──「戦術は解釈である」というのは現在はザルツブルクのアシスタントコーチとして活躍中で、戦術サイト『シュピールフェアラーゲルング』の分析チームの一員だったレネ・マリッチも同じことを言っていましたね。

「日本がその解釈によって不利になるのは、日本語化ができていないことが原因だと考えています。日本のスポーツ、例えば柔道であれば『大外刈り』『背負い投げ』という文字を見れば技を知らなくても漢字から推測できる。でも、サッカーでは『ピリオダイゼーション』と言われても、どういったものなのかわからない。英語ネイティブは“Periodization”という単語を見れば“Period”という名詞をベースとして、動詞の“Periodize”に変化し、そこからさらに名詞化していることが直感的に理解できます。日本の漢字と同じですよね。オシム監督は『日本サッカーの日本化』と言いましたが、私は『日本サッカーの日本語化』が求められていると感じています。例えばピリオダイゼーションではなく区分法とか。野球は明治時代に正岡子規先生がすでにそれをやっているんです。バッターは打者、ピッチャーは投手など外来語をイメージしやすい日本語に置き換えているんですね」


── 日本語化することの重要性は間違いなくありますよね。ただ、ポジショナルプレーやピリオダイゼーションのような難解な用語は日本語ではニュアンスを表現し切れない部分もあります。これらの言葉は選手たちに直接伝えるというよりは指導者が知ればいい話なので、まずは指導者側が英語を学ぶところからスタートしてもいいのでは?

「それもありますが、そもそもまだそこまで多くの指導者が本気で深く考えていないから日本語が生まれていないというのもある気がします。実績を残しながら、新たな言葉を生み出すようなカリスマ性のある日本人指導者が生まれてくると面白いのかもしれませんが……」


── 最後に、林さんの最終的な目標を教えていただけますか? 日本に戻って指導をするのか、海外で指導を続けるのか。

「正直に言えば、監督になるというような夢は持っていません。極端な話、自分がグアルディオラのような監督になっても、それだけで日本代表がW杯で勝てるようになるとは思えないので。もっと根本的なところから変えていかなければならない。ヨーロッパにいる間に可能な限りいろいろなアイディアを吸収して、日本に還元することができれば良いなと思っています。日本が勝つためなら、私にできることは何でもしていくつもりです」

Maiki HAYASHI
林 舞輝

1994年12月11日生まれ、23歳。イギリスの大学でスポーツ科学を専攻し、首席で卒業。在学中、チャールトンのアカデミー(U-10)とスクールでコーチ。2017年よりポルト大学スポーツ学部の大学院に進学。同時にポルトガル1部リーグに所属するボアビスタのBチーム(U-22)のアシスタントコーチを務め、主に対戦相手の分析・対策を担当。モウリーニョが責任者・講師を務めるリスボン大学とポルトガルサッカー協会主催の指導者養成コース「HIGH PERFORMANCE FOOTBALL COACHING」に合格。


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Photos: Getty Images

Profile

結城 康平

1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。