『We’ll Live And Die In These Towns』の大合唱とともにプレミアリーグ昇格へ!盛衰と復活のコベントリーで坂元達裕が愛される理由
2025-26シーズンも最終盤に差し掛かり欧州各国リーグの優勝争いが熾烈を極める中、7節を残したEFLチャンピオンシップで首位を快走する日本人選手所属クラブがある。四半世紀前にプレミアリーグからの降格を余儀なくされ、一時は4部にまで落ちながらも這い上がってきたコベントリー・シティのことだ。今やフランク・ランパード監督の下、坂元達裕らと2部優勝&1部復帰に近づく“スカイブルーズ”が晴らしてきた暗雲と景色を、第38節サウサンプトン戦の解説を担当した秋吉圭氏と眺めてみよう。
「We’ll live and die, we’ll live and die in these towns(俺たちはこの街で生き、そして滅していく)」
「Don’t let it drag you down, don’t let it drag you down now(その絶望に引きずり込まれるな)」
3月14日に行われたEFLチャンピオンシップ第38節コベントリー対サウサンプトンの一戦。『DAZN』での中継解説の任を仰せつかった私は、当日の昼に実況担当の瀬﨑一耀アナウンサーに連絡して、今日は試合前のファンの合唱にぜひ注目したいとお願いをした。日本人対決を含め様々な論点がある試合で、試合が始まるまで1分足らずという状況下で黙るという選択はとてつもない勇気を要するものだが、瀬﨑アナは快くそれに同意してくれるばかりか前半のうちにもう一度この話題を振ってくれまでした。本当にありがたい限りだ。
こうして我われは、今シーズン英国内におけるコベントリー・ビルディング・ソサイエティ・アリーナの中継においてニューノーマルとなった光景を、日本の中継でも踏襲することができた。
時としてどんな言葉よりも、中継カメラによる画作りと生の出来事が、彼の地で今現在起きている事象をつぶさに捉えることがある。
コベントリー出身の3ピースバンド、The Enemyが歌う 『We’ll Live And Die In These Towns』は、ファーストアルバムにして2007年7月に全英アルバムチャート初登場1位を獲得した彼らの代表曲だ。これがクラブアンセムとなったのは今から2年前、2024年4月のこと。その経緯はまた後述するとしよう。
そのクラブ名は読んで字のごとく「コベントリー・シティ」。実に25年ぶりとなるプレミアリーグ復帰が目前に迫る彼らの昇格ロードを振り返る上では、近年ファンが苦しめられ続けてきた痛ましい歩み、そしてまさにコベントリーという街の盛衰を避けて通ることができない。
F1関係者も数多く応援も…「新スタジアム」に撒かれていた混乱の種
『We’ll Live And Die In These Towns』の歌詞でフロントマンのトム・クラークが描いているのは、荒廃した街で自暴自棄になりながらも、必死に希望を探して彷徨う人々のいたいけな現実だ。「It never happens for people like us, you know(私たちのような人間には何も起こりやしない)」「Just a matter of time before you break, well(ぶっ壊れるのも時間の問題だ)」 ――当然ながら、その「荒廃した街」とは、コベントリーのことだ。
コベントリーの街は第二次世界大戦後の1950~60年代にかけて自動車産業で隆盛を極め、イギリス国内でも最高水準の市民可処分所得を記録したほどの賑わいを見せた(余談ながら、コベントリー・シティが初めてのトップリーグ昇格を果たしたのも1967年だ)。元レッドブル代表のクリスティアン・ホーナー、現ハース代表の小松礼雄(ウォリック大学に在学経験)に代表されるF1関係者にかねてからコベントリー・シティのファンが多いのはその名残だ。
しかし70年代以降にイギリスの自動車産業は急速な衰退を見せ、その影響を最も強く受けた結果、1981年までには市民の6人に1人が失業するという壊滅的な状況に陥ることとなる。時はサッチャリズムの時代、「英国病」真っ只中のイギリスにおいて、コベントリーもまた為す術なく没落していった都市の1つだった。
コベントリー・シティもまた緩やかな下降線に苦しんでいた。2026年現在でもチーム唯一のメジャータイトルとなっている1986-87シーズンのFAカップ優勝の後、経営層の中で二転三転する方針に翻弄され、新しく設立されたプレミアリーグのボトムハーフが定位置となった。多くの主力選手がクラブを去りファンの怒りばかりが増大する中、2000-01シーズンにトップリーグでの34年間の歴史が幕を閉じた。
この時すでに、のちの四半世紀にわたってクラブを混乱に陥れる大きな問題の種が撒かれていた。新スタジアムである。
1997年、当時の会長であるブライアン・リチャードソンは、収容能力に限界のある当時のホームからの移転計画を発表した。「アリーナ2000」と銘打たれたそのスタジアムは当初新ウェンブリーとナショナルスタジアムの座を争い、当時展開されていた2006年W杯の招致キャンペーンにおいても開催予定地の1つに名を連ねるほどの規模が想定されていた。
しかし市議会も含めた予算繰りの問題から建設が遅れ、その間にコベントリーはプレミアリーグから降格。そしてスタジアムの大スポンサーだった高級車メーカーのジャガーが市の大工場から撤退するなどの数々のアクシデントの末、規模を大幅に縮小しネーミングライツも直前で変更された「リコー・アリーナ」は2005年にようやくの開場を迎える。
その間もスタジアム建設費用はクラブの財政を圧迫し、選手スタッフへと投じられるべき人件費が犠牲となった。そしてそこまでしたにもかかわらず、スタジアムの管理者は市議会らが運営する第三者企業となり、コベントリー・シティはテナントとして入居する形を余儀なくされた。
ホームゲームも遠征化…分断を和らげるべくThe Enemyが再生リスト入り
2007年12月(『We’ll Live And Die In These Towns』が発売された年)、「破産まであと20分」という状況にまで陥ったクラブは、土壇場でロンドン拠点のヘッジファンド “SISU” に買収された。SISUは最初の1年半こそギャンブル的に投資を注ぎ込みプレミア復帰を目指したものの、そこで結果が出ないと見るや即座に緊縮財政へと移行した。
彼らが目をつけたのはリコー・アリーナの所有権だった。何としてでもスタジアムの権利を取得し数々の恩恵を得るため、チームが3部に降格することとなる2011-12シーズンの終盤、彼らはスタジアム管理会社への家賃支払いを拒否するという極めてナンセンスな行動に出る。賃料をめぐる争いが激化したことで翌2012-13シーズンにはクラブの持ち株会社が破産、10ポイントの勝ち点剥奪を受けた。
その次の2013-14シーズン、クラブ史に残る汚点とも言うべき日々が始まる。SISUはリコー・アリーナを去り、コベントリーの街から約55km離れたノーサンプトンのシックスフィールズをホームスタジアムにしたのだ。

……
Profile
秋吉 圭(EFLから見るフットボール)
1996年生まれ。高校時代にEFL(英2、3、4部)についての発信活動を開始し、社会学的な視点やUnderlying Dataを用いた独自の角度を意識しながら、「世界最高の下部リーグ」と信じるEFLの幅広い魅力を伝えるべく執筆を行う。小学5年生からのバーミンガムファンで、2023-24シーズンには1年間現地に移住しカップ戦も含めた全試合観戦を達成し、クラブが選ぶ同季の年間最優秀サポーター賞を受賞した。X:@Japanesethe72
