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「1」を持たない強さ――日本は北中米W杯の“解答”を先取りしているのか?

2026.04.04

「1+9は10ではない」――では、それは10より大きいのか、小さいのか。北中米W杯を前にした現代サッカーは、この単純な不等式に突き当たっている。スーパースター1人に9人が奉仕するのか。それとも10人で均質な強度を保つのか。あるいは、そのどちらも超えた“新しい解”があるのか――。かつては才能を足し算することで勝つことができた。しかし、プレッシングとビルドアップが極限まで進化した現在、その前提は崩れている。スターは「1人まで」が限界となり、ついには「0」が最適解となりつつある。それでも代表チームは、合理だけでは割り切れない。国民的スターという“例外”を抱えながら、勝利の構造をどう設計するのか。そして、その問いに対して、図らずも1つの答えを提示しているのが日本代表である。

 発明王トーマス・エジソンの逸話に「1+1=2を理解できなかった」というのがある。理解できなかったというより、「2つの粘土を合わせても1つの粘土にしかならない」と主張していたそうだから、子供の頃から妙に頭は良かったのだが。

 北中米W杯の戦術トレンドを探るにあたって、1つのテーマになる式がある。

 1+9<10か、1+9>10なのか。

 いずれにしても、1+9=10とはならない。前回カタール大会のアルゼンチンは1+9のチームだった。1人のスーパースター(リオネル・メッシ)を残りのフィールドプレーヤー9人が支えていた。9人は10人分の攻守を、特にメッシによるマイナス1人分の守備タスクを負っていた。

 不平等の極みのようだが、元来サッカーとはそういうものだ。平均的な選手2人の組み合わせは1+1=2にしかならないが、2人の歪な才能が組んだ場合には1+1が2より大きな効果をもたらす。例えば、攻撃で稀有な才能を持つが守備は平均以下のジネディーヌ・ジダンの側に、特異な守備能力者クロード・マケレレを置けば、平均値の2人にはないパワーがチームにもたらされる。アンドレア・ピルロ+ジェンナーロ・ガットゥーゾも然り。

 単に2つの粘土をくっつけても体積が倍の粘土になるだけだが、違う種類の才能をくっつけると、足し算に終わらないのがサッカーの妙である。

スターは何人まで許されるのか。「1」が限界になった理由

 アルゼンチンには1+9の伝統があった。メッシの登場でより鮮明になっただけで、ディエゴ・マラドーナや、もっと以前から、かけがえのない能力を輝かせるために他の選手たちが献身する文化があった。かつてのイタリアも、偉大なソリストをハードワーカーたちが支えていたものだ。そのためマラドーナとリカルド・ボチーニは併用されなかったし、サンドロ・マッツォーラとジャンニ・リベラ、あるいはロベルト・バッジョとアレサンドロ・デル・ピエーロが共存できるのか、という問いが常にあったわけだ。

 年金制度ではないが、1人を支えるのに何人が適当なのかは時代によって、あるいはチームの事情によって変わる。1970年のブラジルはペレ、トスタン、リベリーノ、ジャイルジーニョを平然と並べて当然のように優勝した。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの82年は優勝できなかったがスーパーではあった。02年の3R(ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ)は控えめな方で、06年はロナウド、ロナウジーニョ、カカー、アドリアーノと再びのカルテット。才能はいればいるだけ使うという太っ腹だったが、この06年が最後だった。4人も5人もスターを並べたら、かえって勝てないことがはっきりしてきたからだ。

 現在はもう2人でも苦しい。キリアン・ムバッペとビニシウスがいることで、相手チームにボールを握られてしまうレアル・マドリーのジレンマを見てもそう思う。スーパースターの許容人数は「1」になってしまった。

“0スター”の新潮流と「1」の高齢化

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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