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「無所属」から始まった海外挑戦。なぜFC町田ゼルビア・今井智基はAリーグ最多出場者になれたのか(前編)

2026.03.26

穏やかな笑顔の裏に、極限の決断があった。契約先もないまま海を渡り、パンデミック下の隔離生活を乗り越え、異国で141試合に出場――。今井智基がオーストラリアで築いたキャリアは、日本ではほとんど知られていない。なぜ彼は、異国の地で必要とされ続けたのか。その答えは「選択」と「適応」の中に隠されている。

 「最近は試合に出ていなかったので、インタビューと聞いてびっくりしました」

 穏やかな笑顔で椅子に座るその男は、こう言って屈託なく笑った。

 昨年9月にFC町田ゼルビアへ入団した35歳のベテランDF今井智基。彼が日本を離れていた約5年半の間、南半球で築き上げた金字塔を知る者はどれほどいるだろうか。

 29歳で単身オーストラリアへ渡り、積み上げた出場試合数は「141」。

 これは、本田圭佑や小野伸二といった名だたる名手たちもプレーしたAリーグ(オーストラリア1部)において、日本人選手の最多出場記録だ。

 なぜ、彼はこれほどまでに異国の地で必要とされ、揺るぎない評価を獲得したのか。その物語は、所属先すら決まらぬまま、一通の契約書を求めて海を渡った決断から始まった。

「サッカーができない」絶望の中で

 今井は2015年に加入した柏レイソル時代、出口の見えないトンネルの中にいた。

 大宮アルディージャ(現RB大宮アルディージャ)から柏へ移籍し、さらなる飛躍を誓った矢先、今井を待っていたのはたび重なるケガだった。

 「結構つらかったですね。一番長い時で1年ぐらい(プレー)できなかった。チームメイトが活躍するのを見ながら、(僕は)ずっとリハビリで練習もできずにいて、メンタル的にきつかった。サッカーがしたくてもできなかったので、選手としての将来の不安も当時はありました」

 2016年4月の練習中に右第5中足骨を骨折。全治3カ月の診断を受けてリハビリを続ける中、8月に同箇所を再び骨折してシーズンを棒に振った。

 さらに今井は、その後「グロインペイン症候群」に苦しんだ。グロインペイン症候群とは、股関節や足の付け根に痛みや不快感を引き起こす疾患。今井自身も、激痛で「ボールも蹴れなかった」という。

SBからCBへ――キャリアを変えたポジション転向

 柏で苦難の時を過ごした今井は、2018年8月、再起の場を当時J2の松本山雅FCに求めた。 その頃は、馬力のある右SBとしてプレーしていた今井だが、ここで大きな転換期を迎える。3バックでの起用が増えたことで、CBとしての才能が開花。2019シーズンはJ1の舞台で守備の要として18試合に出場し、存在感を示した。しかし、充実のシーズンとは裏腹に、チームはJ2降格という非情な現実を突きつけられた。この時今井は29歳。年齢を考えれば、松本に残り、日本で安定したキャリアを模索するのが定石だろう。だが、今井の胸に宿っていたのは「もう若くもない」という焦燥感だった。

 「ずっと海外に行きたい気持ちはありました。でも当時は0歳と2歳の子どもがいて、子どもが大きくなって友達と離れるのがつらくなる前に……と考えると、もうこのタイミングしかないなと」

「契約書を獲ってくる」と言って家を出た

 驚くべきは、その退団のプロセスだ。松本との契約を解除した時点で、次のチームはどこも決まっていなかった。

……

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Profile

白谷 遼

2025年度まで縄手猟名義で活動。サッカー専門媒体『エル・ゴラッソ』で東京ヴェルディを担当。これまで日本代表、Jリーグ、大学・高校サッカーなど、プロアマ問わず幅広く活動している。小学校の頃に見たパク・チソン、イ・ヨンピョの活躍に感銘を受けて韓国サッカーにハマった埼玉県民。韓国サッカーに深い造詣があり、興味の守備範囲は広い。

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