東京2025デフリンピックでデフサッカー男子日本代表が初のメダル(銀)を獲得した。「deaf(デフ)とは英語で「聞こえない人、聞こえにくい人」という意味。「とても難しかったがとても楽しかった」――今年7月からチームの指揮を執ることになった元JFL鈴鹿監督・斎藤登は、自身が全く経験してこなかった音のない世界のコーチングをそう振り返った。67歳の指揮官がコミュニケーションの原点を気づかされたという4カ月間の冒険をレポートする。
(写真、資料提供:日本ろう者サッカー協会/手話通訳:冨永涼介)
短くもあり、とても濃密な4カ月を戦い終えた斎藤登・デフサッカー日本代表監督は解散日となった11月27日、デフリンピックで獲得した初めての銀メダルを胸に互いを労う選手たちを少し離れた場所から見つめていた。
そして監督就任からの4カ月をユニークにこう表現した。
「前人未踏という意味では選手たち、スタッフ全員と手を取り合ってジャングルに分け入っていくまるで冒険のようでした。とても難しかったがとても楽しかった。67歳の私をさらに成長させてくれる冒険だったと思っています」
斎藤は24年6月までJFL鈴鹿で監督を務め、今年5月、日本サッカー協会の公認S級コーチングライセンス(JFAプロライセンスに名称変更)保持者として長年指導者の指導にあたってきた経験から「日本ろう者サッカー協会」強化委員長に就任。聴覚に障がいをもったアスリートによる4年に一度の国際大会「デフリンピック」東京大会(11月15日~26日)でメダルを狙う代表をバックアップするはずだった。
3つの指導スキルのうち、使えるのは1つのみ
しかし代表チーム内でのハラスメント問題で前任者が辞任する緊急事態に新監督に就任。地図のない冒険が始まった7月、斎藤が指揮する初合宿が秋田市(25日~27日)で行われた。この合宿で受けた衝撃は今も忘れないという。ピッチで選手と対面し、「まずは君たちのサッカーを見せて欲しい」と紅白戦を行った。
「ロングボールを蹴り合うスタイルではありましたが、止めて蹴る、といった技術の高さは本当に素晴らしかった。デフの選手たちも日本サッカーの中にしっかり組み込まれているのだと実感でき嬉しかった。もう1つの衝撃は、自分が今まで学び、指導者の皆さんに伝えてきたはずの方法論は全く通じなかった点でした。選手が聞こえているのが当たり前の前提に成り立ったものでしかなかった、と気づかされました。常に“DOの確保”つまり動く中での現象について選手に伝えるものだ、現象が起きていないところで話をするのは無意味だとずっと守ってきた指導がデフの選手たちには全く適さないからです。さて、どうするか……そんな気持ちでした」(斎藤)
基本的な指導のスキルには「①プレーをしながら指導するシンクロコーチング」、「②ピッチ上でプレーを止めて行うフリーズコーチング」、「③現場を離れて伝えるミーティング」の3つがある。しかし、①は聞こえない選手には通じず、②もプレーに関与した全選手が広いピッチで手話通訳を読み取るのは不可能となる。
そんな困難の中、斎藤は「通用しない、と分かってむしろ面白くなった。よーし、と1カ月30日のうち27日はパワーポイントを作成していましたね」と笑う。①と②が選手に適さないなら③のミーティングを徹底的に磨き上げればいい、そう考えた。
「30枚のパワポ」に込められたメッセージ
少しでも選手がわかりやすくするためにパワポにアニメーションを入れ、動きや練習メニューも言葉で書き込む方法で手話通訳と視覚の両方で情報を浸透させた。スライドは1時間のミーティングで30枚ほど。

GKの松元卓巳キャプテン(36/あいおいニッセイ同和損保)は監督が「30日のうち27日」をかけて作りあげたパワポを、両方向の関係を築いてくれたメッセージだったと感じた。
「代表での活動を始めて19年ですが日本サッカートップのS級を持っている指導者は斎藤さんが初めてでした。ミーティングの行い方、いかに選手に伝えるかを考え抜いて、片道ではなくて選手と指導する側の両方向の関係性を築いてくれた。パワポや練習の組み立て、声かけすべてが僕らのサッカー人生で初めての経験でもあり本当に大きく強いモチベーションになりました。プロに指導される毎日が充実していた」




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Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。
