川崎F加入濃厚の元クロアチア代表DFは「粘り強さ」の体現者。日本一詳しいフィリップ・ウレモヴィッチ紹介
川崎フロンターレにクラブ史上初のクロアチア人選手が誕生するかもしれない。ハイデュク・スプリトの選手登録から外れ、今夏の移籍が取り沙汰されている元同国代表DFフィリップ・ウレモヴィッチのことだ。トッテナムへと去った日本代表CB高井幸大の穴埋めとしても期待される28歳の知られざるキャリアを、連載『炎ゆるノゴメット』でお馴染みの長束恭行氏に日本一詳しく紹介してもらった。
フィリップ・ウレモヴィッチは生まれつきのリーダーだ。ピッチ外では笑顔を絶やさず、チームに調和を生み出す一方、ピッチに立てば仲間を叱咤激励し、相手や審判に噛みつくことを一切厭わない。10代から多くの試合でキャプテンマークを腕に巻いてきた彼は、4年前にクロアチアの配信番組『スポーツクラブ・ポッドキャスト』で自身の性格をこのように分析している。
「自己評価は馬鹿げていると思うので他人に任せたいところだけど、あえて何かを挙げるとしたら『パーソナリティの強い人間』と言えるかもしれないね。サッカーだけでなく、人生の他の面でもそうなんだ。その性格が僕の最大の強みだと思っているし、勝利への意思と欲求は常に抱いている。負けず嫌いすぎて、今日のトレーニングに負けた際も怒り狂っちゃってね(苦笑)。でも、そういうことこそが真のフットボーラーを生み出す要素だと思うんだ」
このクロアチア人CBの名前が日本で挙がり始めたのは今夏、7月下旬のこと。ハイデュク・スプリトから川崎フロンターレへ加入するのではないかと報じられている。移籍元の現地報道によれば移籍金は150万ユーロ。ウレモヴィッチには6キャップのクロアチア代表歴があり、スロベニア、ロシア、イングランド、ドイツと国外でのプレー経験も豊富だ。テクニックやビルドアップは平均的だが、デュエルが最大の武器であり、ゲームの状況を読みながら周囲へのコーチングも欠かさない。身長184cm(本人は185cmと公表)は高い部類でないものの、ボールの落下予測には優れている。しばしば闘志剥き出しのハードタックラーに変貌するとはいえ、いつだってチームの精神的支柱として頼れる存在だ。クロアチア代表やルビン・カザンで右SBを難なくこなしたように戦術的な順応性も備えている。
また、ウレモヴィッチは数学科の高校を卒業したのち、国内名門のザグレブ大学経済学部情報学科に進学している。高校時代はオール5の優等生だったアンドレイ・クラマリッチが1年で通学を断念し、アンテ・ブディミルが在学14年目の今でも学士を目指しているほど卒業が困難な学部だ。ウレモヴィッチは大学3年生でルビン・カザンに移籍した後も試験日にはロシアから帰国。『スポーツ競技における情報通信技術』という論文を書き上げて23歳で卒業した。大学2年生の頃に受けたインタビューでも彼の性格がうかがえる。
「大学とクラブの義務が何度も重なることで、多くの選手が学業へのやる気を失ってしまう。そのせいで僕も腹が立ったり、落ち込んだり、再試験を受けたり……。でも強い意志は持たなければならない。それは大学だけでなく、サッカーでも人生全般でも必要なことだ」
「スポーツと学業の両立は粘り強さが最も重要」と述べるウレモヴィッチだが、今のプレースタイル、これまでのサッカー人生も「粘り強さ」で築き上げてきた。川崎Fにたどり着くまでウレモヴィッチがどんなキャリアを過ごしてきたか、彼の28年間を振り返ってみよう。
スロベニアで転換点を迎え、ロシアで「バイキング」に
1997年2月11日、クロアチア東部、スラボニア地方にある人口2万人強の小都市ポジェガで、ウレモヴィッチ家の長男フィリップが誕生した。父親ダミールが地元の下部リーグでプレーしていた分、彼の関心もサッカーに傾いた。地元クラブのパプク・ベリカでサッカーをはじめると、16歳で2部リーグのチバリア・ビンコブチに入団。17歳でトップチームでデビューし、2016年4月にはクロアチアU-19代表に初めて選ばれた。
同年7月、名門ディナモ・ザグレブがウレモヴィッチを買い取って5年契約を結ぶと、1部に昇格したばかりのチバリアに1年残して経験を積ませようと試みた。ハイデュクとの開幕戦に先発出場したものの、起用が少ないことに不満のディナモはわずか2カ月でローンバック。クロアチアで「裏口から入る」と表現されるような、ひっそりとしたディナモ入団だった。
19歳のウレモヴィッチは選手層の厚いトップチームに食い込める状況になく、2部参戦のセカンドチームに送られた(セカンドチームに関しては連載最新回『U-21 Jリーグ創設決定の今知っておくべき、クロアチアのポストユース問題とセカンドチーム騒動』を参照)。2年目の2017-18シーズンはキャプテンに指名され、1試合を除く前半戦すべてにフル出場。国内カップではトップチームで初めて公式戦出場も果たした。そんな彼に対して密かに熱視線を送っていたのが、隣国スロベニアで古豪オリンピヤ・リュブリャナを率いるイゴール・ビシュチャン監督(現アル・アハリ・ドーハ監督)だ。
ディナモOBのビシュチャンは前シーズンに2部ルーデシュの監督を務めており、対戦チームにいたウレモヴィッチを高く評価していた。ビシュチャンは冬の移籍期間における最大の補強を彼に定め、なけなしの20万ユーロで手放してもらえるようディナモに頼み込んだ。
「ウレモヴィッチ獲得に払えるお金が足りないことはわかっていたが、ディナモは彼の価値をしっかり把握しておらず、選手層でも下の方に属していた。そのおかげでオリンピヤが何とか工面したお金であっさり手放してくれたんだ」(ビシュチャン談)
ウィンターブレイク後の初戦でウレモヴィッチはミスから失点を招くと、名物オーナーのミラン・マンダリッチが「騙したな!」とビシュチャン監督に詰め寄ったという。それでも指揮官が絶大な信頼を寄せたウレモヴィッチは、毎試合のように実力を証明していく。残りシーズンのリーグ18試合すべてにフル出場を果たし、チームは後半戦負けなし(11勝7分)で逆転優勝。さらにカップ戦も制して2冠を達成すると、シーズン終了後にロシア1部のルビン・カザンが移籍金100万ユーロで買い取った。その年のロシアW杯ではクロアチア代表が準優勝と大躍進したが、ウレモヴィッチもロシアで躍進を遂げていく。
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。
