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ラングニック派でも異色の策士。オリバー・グラスナーの「継承と独創」

2020.01.14

ストーミングの旗手#6

現在のサッカー界における2大トレンドとして、「ポジショナルプレー」とともに注目を浴びている「ストーミング」。その担い手である監督にスポットライトを当て、指揮官としての手腕や人物像に迫る。

 オーストリア出身のオリバー・グラスナーは、様々な運命の連鎖で監督になった。現役中は母国のリートで主将を務めてカップ戦で優勝し、クラブの終身名誉キャプテンになった。同時にドイツのハーゲン通信大学で経営学の修士を取得。引退後はザルツブルクのスポーツコーディネーターに就任し、フロント陣で活躍すると思われていた。だがある朝、ラルフ・ラングニックからジョギング中にかけられた言葉で人生が変わる。「本当にやりたいことが別にあるのでは?」と聞かれ、ロジャー・シュミット監督のコーチに転じることを決意した。

 2014年、シュミットがレバークーゼンに引き抜かれ、一緒に行く予定だった。しかし、またしても予想外のことが起こる。リートの監督に就任予定だったアディ・ヒュッター(現フランクフルト監督)がザルツブルクに指名され、古巣リートから監督オファーが届いたのだ。グラスナーはすぐに才能を発揮し、1年で古豪リンツ(当時オーストリア2部)から声がかかった。リンツを2年目に昇格させ、3年目は1部で4位に躍進、4年目は2位でCL予選出場権を獲得。結果を出し続け、今季ボルフスブルクの指揮を任された。

 基本布陣は[3-4-3]。最大の特徴は古典的なリベロを復活させたことだ。グラスナーは語る。

 「攻撃では両SBを高い位置に置きたい。ただ、最終ラインがCB2人だけになってしまうと危険だ。そこでリベロを置く。3人なら相手FWが速くても対応できる」

 両ウイングバック(WB)が高く上がるため、ウイングは外で張る必要はない。中へどんどん入っていくことをグラスナーは求める。「シュートがうまい選手をゴール近くに置く」のが目的だ。いわゆるハーフスペースの活用でもある。左ウイングのクロアチア代表ヨシップ・ブレカロは言う。

 「自分はライン際で勝負するタイプだったが、監督から『君を中央の選手として見ている。中に入れば、次のステージへ行ける』とアドバイスされた。まさにロナウドがそう。だんだん強みを出せるようになってきた」

 試合では左WBのジェローム・ルシヨンがクロスを上げ、右WBのウィリアンが飛び込むというシーンも見られる。CFのボウト・ベフホルスト(身長197cm)に気を取られていると、死角から他の選手が飛び込んでくる。

 戦術がシステマティックな印象を受けるが、土台にあるのはやはり“ラングニック流”だ。選手たちにスプリントを求め、トレーニングを工夫している。例えば『フィットライト』という商品の導入。点滅するディスクが複数セットになったもので、タッチすると消える。ゲーム感覚でアジリティを鍛えることができる。ブレカロは「常に遊びの要素が入っているので、練習へ行くのが楽しい」と称える。

 グラスナーは36歳の時、試合中に脳震盪を起こし、翌週のヘディング練習の際に頭痛を覚え、硬膜下血腫が判明。緊急手術して、そのまま引退を余儀なくされた。

 「死んでもおかしくなかったが、逆にヘディング練習で異常に気づけた。サッカーが命を救ってくれた。ネガティブな気持ちになった時は、手術の写真を見返している」

 前半戦は10月末のDFBポカールでRBライプツィヒに敗れるまで公式戦無敗を維持し、ELでも決勝ラウンドに進出。異色のインテリ監督の挑戦は始まったばかりだ。

ブンデス第15節では前半戦絶好調だったボルシアMGを敵地で撃破。終盤は4バックにもトライするなど、チームを進歩させるためのトライを続けている


Photos: Bongarts/Getty Images

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オリバー・グラスナーストーミングボルフスブルク

Profile

木崎 伸也

1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。

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