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クロスカルチャーは幻想?しかし…サッカーとミスチルの本物の関係

2018.11.29

日本代表とMr.Children』著者対談 宇野維正×レジー 中編


11月28日に発売となった書籍『日本代表とMr.Children』。1998年のワールドカップ初出場を機に国民的コンテンツとなったサッカー日本代表と、モンスターバンドとして90年代からポップシーンを席巻してきたミスチルの関係性を読み解くことで、平成の世が見えてくる――そんな異色作を共著で手がけた音楽ジャーナリストの宇野維正と、音楽ブロガー・ライターのレジーが語り合う特別対談を、前編・中編・後編に分けてお送りする。


前編はこちら

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サッカーと音楽は本当に結びついているか?


―― ここからは「サッカー×音楽」というテーマについてお話を聞かせてください。そもそも、なぜか音楽好きとサッカー好きはかぶっている人が多い印象があります。特に海外ではその2つは結びつきやすいですし、だからこそ昔、宇野さんたちは『STAR soccer』のようなサッカーをスポーツとしてだけでなくカルチャーとしても捉える雑誌をやられていたと思うんです。なぜこの2つは近い関係にあるのでしょう?


宇 野
「えーと、そもそも『本当に近いのか?』というところから話をした方がいいかもしれません(笑)。僕は『ワールドサッカーダイジェスト』で数年間、音楽と映画の連載をしていたのですが、サッカー雑誌、特にWSDのような専門誌を買って読むような人たちっていうのは、いくらサッカーに絡めても『なんで音楽のページをやっているんだ』みたいな声が僕のところにも来るんですよね。

 でもまあ、その気持ちもわからんでもないなと。サッカー専門誌の読者が知りたいのはサッカーのことだけで、それを他のカルチャーとクロスオーバーすることに対する抵抗みたいなものがあるんですよね。そこで洋楽や外国映画とのリンクを示されても興味がないし、興味がないだけでなくむしろ『不純物を入れてくれるな』みたいな嫌悪感すらある。だから個人的な体感でいうと、音楽とサッカーのつながりというのを無邪気に言うことができたのは90年代から日韓W杯のちょっと後くらいまで。そこからはむしろ、個人的には離れていっている印象の方が強いです」


―― 実は僕も同感なんですよね(笑)。例えばfootballistaのWEBでサッカーとカルチャーをクロスオーバーするコンテンツを作っても、びっくりするほど読まれない。だからどうしようかなって……。


レジー
「海外のカルチャー全般と日本の距離が遠くなっていくタイミングとも重なる話ですよね。僕が高校生くらいの頃は洋楽を聴くのと海外のサッカーのリーグを見るのって、割と似たような場所で扱われていた気がします。それこそ『BUZZ』を読んでいるような人たちはみんな、誰かがWOWOWで録画したチャンピオンズリーグのVHSを貸し借りして見たりだとか、そういう雰囲気がありました」


宇 野
「VHS(笑)。WOWOWがチャンピオンズリーグを放送していたのも大昔の話だね」


レジー
「2000年代に入って以降、洋楽の市場自体がだんだんシュリンクしていくわけですが、じゃあその代わりに日本の音楽を聴く人がサッカーを見るような文化が生まれたかというと、そうはなっていないような気がします。体感的には“音楽好き兼サッカー好き”って結構いるような気がするんですけど、実はそういう人が自分の周りに集まっているだけで、世間のマジョリティではないというか」


宇 野
「例えばあるJクラブのホーム試合に行くと、試合前にサポーターが『You’ll Never Walk Alone』を歌ったり、The JamやOasisがかかったりしていますよね。それは全然悪いことじゃないんですけど、やっぱり憧れの要素が強いなって。今も海外のそういう“音楽とサッカー”の関係に対する憧れのベクトルみたいなものは感じるんですが、それが日本のサッカー文化にしっかり根づいているようには見えない。ただ、自分はセリエAの試合をゴール裏で頻繁に観ていた時期があったんですけど、イタリアのクラブのサポーター組織の名前で一番よく使われている言葉の一つは“BOYS”なんですよね。つまり、イングランドのフットボール・カルチャーに憧れを抱いているのは何も日本のサポーターだけではないのですが」


レジー
「でも、そういうのもサポーターの中だけの狭い共通言語でしかないですよね」


宇 野
「そうだね。それこそ桜井さんはウカスカジーでロシアW杯前の代表の壮行試合(ガーナ戦後)で歌っていましたよね。選手たちは目の前で桜井さんが歌っていることによって鼓舞されるものはあるんだろうけど、じゃあそれをスタジアム全体がどれだけ“高揚感”として共有していたのかというと、そういう盛り上がりにはなりえていないんじゃないかなって。

 ただ、それは日本だけの現象ではなくて、海外でも音楽とサッカーって一時期に比べてもちょっと離れてきていて。国際大会でも、いまだにスタジアムでファットボーイ・スリムとかが流れているじゃないですか。実は90年代で止まっているんですよ。あとは、それこそド定番のクイーンですよね。きっといろいろな事情があってミスチルとしての公式な動きがなかったんでしょうけど、ウカスカジーではなくミスチルとして日本代表やJリーグに深くコミットをしていたら、もしかしたらミスチルは“日本のクイーン”みたいな感じでスタジアムで曲が歌われていたかもしれない。でも、きっとそこで歌われるのも90年代の曲でしょうね」


―― 今は全体的にクロスカルチャーが起こりにくい時代なんでしょうか?


宇 野
「いや、そんなことないです。今、クロスカルチャーを一番実現しているのはファッション・ビジネスでしょう。サッカー界でも、山本耀司とアディダスのY-3がレアル・マドリーの3rdユニフォームをデザインしたり、今年もパリ・サンジェルマンはナイキのエアジョーダン・モデルのユニフォームを着たりしているじゃないですか。今の音楽シーンにおいて支配的なラップ・ミュージックは、ファッションと商業的にも密接に繋がることでメインストリーム化を果たしたとも言えます。有名ストリート・ブランドだけでなく、グッチやバレンシアガのような老舗ブランドもラッパーたちの宣伝効果を利用して、ここにきて目を見張るような急成長をしている。だから、今のポップカルチャーやユースカルチャーを牽引しているのは、音楽ではなくてファッションかもしれません」

Y-3がデザインしたレアル・マドリーの14-15シーズン3rdユニフォーム
今季パリSGが着用しているジョーダン・モデルのユニフォーム


―― Instagramの盛り上がりとかも、その現象を後押ししていますよね。


宇 野
「そう。だから今有効なのは、サッカーと音楽を直接繋げようとするよりも、その媒介としてファッションをいかにリンクさせるかってことかもしれませんね」


J-POP世代の郷愁を誘うミスチルの音楽


―― ただ、そんな中でもなぜこの本をお2人にお願いしたかというと、「憧れ」としてのサッカーと音楽という関係と、日本代表とMr.Childrenの関係は何か違うんじゃないか、ということなんです。その違いを改めてお2人から説明していただけるとありがたいです。


宇 野
「ミスチルと日本代表って、憧れとしてのクロスカルチャーではなく、もっと土着性の強い結び付きなんですよね。本の中で“フォークソング”という言葉を使っているんですが、特に海外に渡った選手にとって、長谷部(誠)を筆頭に、自分が若い時代を過ごした日本で聞いてきたミスチル、なおかつ今も現役で新しい作品を届けてくれるミスチルっていう存在が、海外で、外国語に囲まれた生活の中で心の支えになっていったことに対しては、今回の本を作ったことで自分としても改めて理解が深まりました。

 ミスチルの音楽ってまさに、その音楽性以前に言葉の表現であり、桜井さんが紡ぐ日本語の意味と響きの音楽なんですよね。まるでヨーロッパでプレーするブラジル人選手がサンバを聞いて故郷を懐かしむように、海外の日本人選手にとって機能しているんだろうなという気がすごくしていて」


レジー
「まさしく日本の心ですよね。その“フォークソング”の話でいうと、僕は“演歌”という言葉でも表現できるように思ったんですけど、J-POP時代に育った人たちにとって最も郷愁を誘う音楽がミスチルなんだろうな、というのはやっぱりあります」


宇 野
「『演歌とは違うんじゃないか』ってことを、本を作りながら散々語り合ったよね。自分はポルトガル語でいうところの“サウダージ”の感覚が重要だと思っていて、そういう意味を込めて“フォークソング”ってことで押し切らせてもらったんだけど(笑)」


レジー
「この本は対談本の体裁をとっていますが、その裏ではそういうやりとりを山のようにしてきたんですよ(笑)」


―― ブラジル人のプレーにはやっぱりサンバのリズムがあって、音楽がプレーにまで影響しているじゃないですか。そういうレベルで、日本代表選手のプレーや哲学にまでミスチルの音楽は入り込んでいるのでしょうか?


宇 野
「でも、もしリズムにも影響しているとしたら、プレーが遅くなっちゃいますね(笑)。ミスチルってミディアムの曲が多いから」


レジー
「でも“献身性”みたいなものは、ミスチルのある時代の歌の中では1つのテーマとして大きいものだと思うので、そういう部分で関係している部分はもしかしたらあるかもしれないです。ミスチル世代はみんな献身的な人間かと言われるとわからないですけど(笑)」


宇 野
「そういうのって、やっぱり世代ごとに塗り変わっていくもので。例えば、大坂なおみがKOHHのラップで日本語を勉強していて、彼女が大好きなKOHHの『やりたくねえ事 やってる暇はねえ』というフレーズはTHE BLUE HEARTSの曲からの引用だったりするわけで、そういう形でカルチャーが回っているのは面白いよね。

 もちろんアスリートと音楽の関わりは人それぞれあって、以前、内田篤人は試合前に中島美嘉の『一番綺麗な私を』を聞いて気持ちを盛り上げていたみたいなエピソードもあったりして。あの曲を聴いてチャンピオンズリーグのピッチに出て行くとか、ちょっと想像を絶するんだけど(笑)。でも、そういう選手それぞれのアスリート・マインドがあることはちゃんと踏まえておかなくてはいけないんですけどね」


レジー
「音楽が細分化して誰もが知っている歌がどんどんなくなっていったのが“平成”という時代の景色だと思うんですけど、ミスチルは現段階では最後の“最大公約数”なんじゃないでしょうか。90年代に10代だった人はその状況を体験しているから、みんなの心の支えになりうるもの、共通の言語になりうるものとしてミスチルがあるんでしょうね。今は段々とそういうものはなくなってきていますから」


宇 野
「うん。今の日本代表でも、きっと若い選手たちはバラバラだと思います」


―― それはそれで悪くないんでしょうけどね。


宇 野
「だからこそ、2018年までの日本代表とミスチルの関係は特別だったんだなと感じますね」


サッカーをしていれば、普通でいられる


―― これは桜井さんの内面の部分なので、書籍の中ではあまり深く触れられていない部分ですが、桜井さんはなぜこんなにもサッカーに惹かれたんですかね?


レジー
「ハマっていったきっかけなのかはわからないですが、ラジオで『自分は社会的にもそれなりに成功して、普通に生活しているとあんまり怒られる機会なんてないけれど、サッカーをやっていると平気でみんなから怒られる』という趣旨の話をしていました」


―― 社会的立場は関係なく、ピッチ上では誰もが平等である、と。


レジー
「ちゃんとやれよ! みたいな、そういうものが自分にとってはすごく意味のある時間になっているみたいですね」


宇 野
「ミスチルの活動初期の頃は、小林武史さんが桜井さんにとってそういう存在だったかもしれないけどね(笑)」


レジー
「サッカーをプレーすることを通じて“スーパースター”ではなくて“ただのサッカー好き”になれることが、すごく大事な意味を持っているんだろうなと思います」


宇 野
「ミスチルの歌が“普通の人の視点”みたいなものを失わないでいるのは、あれだけ成功したバンドとしてはとても珍しいことで。サザンやB’zも長い間成功しているバンドだけど、やっぱりどこか彼らの歌の世界ってフィクションの世界じゃないですか。もちろんそれらも大きな偉業ですけど、ミスチルの音楽にはよりノンフィクション的というか、ドキュメンタリー性のようなものがある。それが、ミスチルがずっと支持されてきた大きな理由の一つだと思うんですよね。だからこそ、アスリートにも大きな影響を与えてきたんだと思う。

 普通の人間の感覚みたいなものを、取ってつけたような“普通”の感覚じゃなく実感として得られる、サッカーのピッチという場所が桜井さんにはあった。それは、別にサッカーを利用したという意味ではなくて、結果的にサッカーによってそういう視点を失わずにいられた。だからこそ、桜井さんはサッカーに対する感謝の気持ちを強く持っているんじゃないでしょうか」


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Photos: Getty Images
Edition: Baku Horimoto

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レジー宇野維正日本代表とMr.Children

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。