SPECIAL

古巣と息子の所属チーム。年代もクラブも違う“二刀流”指導に挑戦

2018.09.12

指導者・中野吉之伴の挑戦 第七回

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。2月まで指導していた「SGアウゲン・バイラータール」を解任され、新たな指導先をどこにしようかと考えていた矢先、白羽の矢を向けてきたのは息子が所属する「SVホッホドルフ」だった。さらに古巣「フライブルガーFC」からもオファーがある。最終的に、今シーズンは2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことを決めた。この「指導者・中野吉之伴の挑戦」は自身を通じて、子どもたちの成長をリアルに描くドキュメンタリー企画だ。日本のサッカー関係者に、ドイツで繰り広げられている「指導者と選手の格闘」をぜひ届けたい。


▼解任後のオファーで救われた指導者

 SGアウゲン・バイラータールU-15監督を辞めることになり、その後1カ月ほどしてから息子2人がプレーする「SVホッホドルフ」という小さなクラブでコーチをすることになった。具体的には、次男がプレーするU-8のチームだ。

 我が子の所属するチームで監督をするのは、思っていた以上に楽しい。

 仲間と楽しそうにサッカーをプレーしている場にいられるのは本当に幸せだ。もちろん時に気が立つことも、気を配りすぎることもある。どれだけ指導者歴を長く持っていたとしても、我が子のいるチームの指導は初心者だからそれも仕方がない。失敗もする。たくさんする。そうしたら、いっぱい反省する。子どもたちに謝ることもある。子どもたちに謝られることもある。そして、もっと良くできるようにアイディアを練る。

 こうした環境でやるのもいいなと思っていた。だから、新シーズンのことはそこまで深く考えないようにしていた。週2回、次男のいるチームでコーチをして、週末はゆっくり長男の試合観戦に通うのもいいかなとか。いや待てよ、時間があるんだったら、現役復帰しようかなとか。頭の中でいろんな想像をしていた。どれも悪くないな、と。そうしているうち、3月の下旬くらいに、かつて監督をしていたフライブルガーFCの育成部長から連絡があった。「来シーズンからうちで監督をやってもらえないだろうか?」という打診だった。

 フライブルクにおいては、ブンデスリーガクラブのSCフライブルクに次ぐ位置につける古豪クラブだ。

 1980年代まではブンデスリーガの2部に所属し、1906年には当時のドイツ王者に輝いたこともある。現代表監督ヨアヒム・レーブ、SCフライブルク監督クリスティアン・シュトライヒ、ドイツサッカー協会・指導者育成インストラクター元主任のフランク・ボルムートはこのクラブの出身だ。

 ただ、そうした経歴を誇りに思うあまり、自分たちの立ち位置を見誤らせてきた過去を持つ。1980年代後半に3部リーグに降格すると、そこからの下降線に歯止めをかけることができなくなってしまった。2000年には経営難からスタジアムを売却。現在、そこはSCフライブルクの育成アカデミーとして使用されている。その後8年間近く、持ちグラウンドのないジプシークラブとなってしまった。

 トップチームは降格を続け、一時は8部にまで落ち込んでいた。土台もなければ、ビジョンも見られない。育成年代では、各世代の上部リーグでプレーしていても、そうした選手は気づくと他のクラブへと移籍をしてしまう。指導者はそれぞれ自分のチームが勝つことだけを考え、クラブのコンセプトも、指導者間の意見交換も少ない。私が以前所属していた2009~20011シーズンはまだそうした混乱の時代だったし、そのために首脳陣とは何度も育成の在り方で喧嘩をした。そして、最終的に自分からクラブを去る決断をした。

 3年ほど前、当時の教え子だったルカ・モルドルから連絡があった。

 現在は自分が育ったこのクラブで育成指導者となり、U-15の監督をしているという。私もアウゲンでU-15監督をしていたので「よかったらテストマッチをしよう」という話になった。試合では、うちが大差で負けた。選手個々の力が優れているという以上に、選手がそれぞれやるべきことを把握し、チームのために汗をかいている姿から、ルカの指導者としての腕を実感した。試合後にはいろんな話を聞いた。

 「今僕らは、若手指導者が中心になってクラブの育成を変えようとしているところなんだ。以前のように勝利だけを目指すのではなくて、選手が成長していくために何が必要かを考えるようになったんだ。トップチームの監督がプレーコンセプトを整理して、それを育成部長や僕ら育成指導者が育成コンセプトに落とし込んでいく。トップは6部の上位で、5部昇格が目の前の目標だ。フライブルガーFCのサッカーを作り上げていこうとしているんだよ」

 ルカはまっすぐ私の目を見て熱っぽく語った。

 それは現役時代の鋭い眼光そのものだった。まじめで論理的にものを考え、妥協せずに取り組もうとする。だからこそ「周囲が少しふざけたりするのに嫌気が差すこともあったな」と当時を思い出した。ルカだけではなく、他の仲間も指導者をしているという。「みんな頑張っているんだな」とうれしくなった。

 ルカはその後頻繁に連絡をくれ、「良かったらまた戻ってきてくれないか」とことあるごとに誘ってくれた。その気持ちが何よりうれしかった。そのうち、「いずれタイミングが合えば」と思うようになっていた。だから、育成部長から連絡があった時には何となく、「そのタイミングが来たのかな」という感触を持っていた。

※ルカ・モルドル関連記事
教え子が若くして指導者になった理由とは?
若くして指導者になった教え子の広く深い考えとは?

 育成部長のマリオ・ビットは非常にエネルギッシュで、フレンドリーで、それでいて良し悪しの線引きをビシっとつける人物だった。電話で話した3日後、クラブハウスで面談をすることになった。その席で私のことを「もう数年前からずっとリストアップしていた」と教えてくれた。「若い指導者が多いだけに、経験があり、刺激を与えられる指導者を迎え入れたいのだ」と。評価されているをありがたく思い、「一度ゆっくり考えますね」とその場で返事をし、マリオも「どの年代が一番いいかを考えてからオファーを出そうと思う」と返してその日は別れた。

 その数日後、次はホッホドルフの育成部長から連絡があった。

 こちらは「U-19の監督、そして育成部長代理として育成コンセプト作りや指導者育成に携わってくれないか」という話だった。「キチのような指導者を探していたんだ」と言ってくれたその気持ちが、まずすごくうれしかったし、彼の思いもよく伝わってきた。そして、私は悩ましくもその2つの選択肢で迷うこととなった。どちらもやりたい。

 でも、時間的に「どちらも」は無理だ。

 いろんなことを考えていろんな人に相談した。最終的に、私は古巣フライブルガーFCに戻ることを決断した。「レベルの高いところでやりたい」という気持ち、そして、何より「U-16監督のオファーをもらえたこと」が一番大きかった。

 当時、古巣で2年目を私はU-16監督として迎えた。だが、シーズンイン直前に育成部長から「U-18監督をしてほしい」というオファーをもらった。「U-16にはちゃんと代わりとなる監督を見つける。U-18を強化して、トップチームに上がってくる選手をさらに増やしたいんだ」と。それを信じて、私はU-18監督となったが、シーズンが始まるとU-16は連敗を続けた。

 「どうしたんだ? 選手の素質はすばらしいはずなのに。ちゃんとした監督を連れてくると言っていたはずなのに」。ある日、練習を見に行ってみると、ひどいトレーニングがされていた。怒鳴り散らす監督。何をしたらいいかわからない選手。すぐに育成部長に連絡をした。「このままだとU-16は壊れてしまう。兼任でもいいからU-16の練習もさせてほしい」と。しかし、彼は「決断するのはまだ早い。もう少し様子を見てみよう」と返事をした。だが、改善の兆しがないまま前半戦が終わり、U-16は最下位で折り返すことになった。

 さすがに「このままではまずい」と思ったのか、育成部長は「年明けからキチがU-16、U-18の両方をみるように」という決断をした。チーム内にあった様々な負の要素を取り除き、子どもたちがまたサッカーと向き合えるように取り組み、後半戦は開幕から3連勝という形でスタートすることができた。だが、その後は「U-16の主力選手がU-17に引き上げられる」ということになってしまった。彼らのことを思うと、上のレベルでプレーできるのはプラスになる。

 しかし、せっかくチームがうまくいっているところで、クラブからブレーキをかけられてしまった。結局、U-16の勢いはそれっきり止まってしまった。負け続けることはなくても、残留に必要な勝ち点を取るまでは私自身も持っていけず、降格することになってしまった。

 「助けられそうだったのに、助けきれなかった」

 もっと何かできたかもしれない。最初からU-18に行かなければよかったのかもしれない。頭の中でグルグルと考え続けた。今も思い出しては考えてしまうことがある。あの時からフライブルガーFCのU-16は昇格できないでいる。だからこそ、自分が戻ってそこで選手と一緒に昇格を目指すことが、私にとっても、今シーズンともに戦う選手にとっても、そして当時ともに戦った選手にとっても大事なのではないかと思ったのだ。「今こそ自分の力を最大限に発揮しなければならない時だ」と、私は決断した。闘う覚悟を決めた。

 ホッホドルフのU-19監督のポストは断った。でも、次男チームのコーチは続けることにした。「いつか引き受けてくれる時を待っているよ」と育成部長は変わらぬ信頼を言葉で表してくれた。その思いにも「いつか必ず返したい」と心に秘めるものはある。

 異なる2つのクラブで、違うカテゴリーを指導する。

 これもまた初めての挑戦! 向上心は燃え続けている。好奇心は輝き続けている。今シーズンから新たな気持ちで、また前に進んでいくだけだ。


■シリーズ『指導者・中野吉之伴の挑戦』
第一回「開幕に向け、ドイツの監督はプレシーズンに何を指導する?」
第二回「狂った歯車を好転させるために指導者はどう手立てを打つのか」
第三回「負けが続き思い通りにならずともそこから学べることは多々ある!」
第四回「敗戦もゴールを狙い1点を奪った。その成功が子どもに明日を与える」
第五回「子供の成長に『休み』は不可欠。まさかの事態、でも譲れないもの」
第六回「解任を経て、思いを強くした育成の“欧州基準”と自らの指導方針」
第七回「古巣と息子の所属チーム。年代もクラブも違う“二刀流”指導に挑戦」
第八回「本人も驚きの“電撃就任”。監督としてまず信頼関係の構築から」
第九回「チームの理解を深めるために。実り多きプレシーズン合宿」
第十回「勝ち試合をふいにした初陣で手にした勝ち点以上に大事なもの」
第十一回「必然だが『平等』は違う。育成における『全員出場』の意味とは?」


■シリーズ『「ドイツ」と「日本」の育成』
第一回「育成大国ドイツでは指導者の給料事情はどうなっている?」
第二回「『日本にはサッカー文化がない』への違和感。積み重ねの共有が大事」
第三回「日本の“コミュニケーション”で特に感じる『暗黙の了解』の強制」
第四回「日本の『助けを求められない』雰囲気はどこから生まれる?」
第五回「試合の流れを読む」って何? ドイツ在住コーチが語る育成

※本企画について、選手名は個人情報保護のため、すべて仮名です
Photos: Kichinosuke nakano

TAG

ドイツ育成

Profile

中野 吉之伴

1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。