SPECIAL

パブロ・アイマール監督が考える「優れた指導者」とは?

2018.06.01

ずっと楽しみながらプレーし続けることは可能なんだ

Interview with
PABLO AIMAR
パブロ・アイマール
(U-17アルゼンチン代表監督)

魔法のようなプレーで見る者を魅了し、メッシも憧れた稀代の“10番”は昨年7月、ユース代表の復興を目指すアルゼンチンのU-17代表監督に抜擢された。ホセ・ペケルマンの手で築かれた90年代半ばからの黄金期を知る元メンバーとして、その経験を生かし、恩師の教えを次世代に伝え授けるべく奮闘中だ。11月には、同じくユース代表OBのディエゴ・プラセンテが率いるU-15代表のアシスタントコーチとしてU-15南米選手権に挑み、母国の同大会初優勝を祝った。育成世代の指導者という新たなキャリアを順調にスタートさせた38歳が、そのビジョンやサッカー観について、旧知の記者に大いに語ってくれた。

君はチームに何を求める監督?

選手は安心して、喜んで、自由で
あればあるほどいいプレーができるんだ


── 私が君にインタビューをするのは実に15年ぶりのこと。現役時代は恥ずかしがり屋で取材が苦手だったけれど、今ではインタビューにも応じるし、故郷に造られた自分の銅像を抱きしめてみせたりと、感情をそのまま見せるようになったみたいだね。

「昔はファンの人からサインや握手を求められることも恥ずかしかったくらいだからね。でも今は違うよ。ついこの間バレンシアに行ったんだけど、クラブのサポーターたちから拍手喝采を受けて、とてもうれしかった。たくさんのセルフィーにも笑顔で応じたよ」

古巣バレンシアの本拠メスタージャを訪れた際の動画


── 15年前のインタビューでは、現役引退後に指導者になる考えはないと話してくれたけれど。

 「覚えているよ。監督になって、チームにいる25人もの人間すべてを満足させることなんてできっこないって思っていたし、しかもその25人のうち23人は自分のことを嫌うだろうから、無理だと考えていた。ましてユース世代の選手たちの監督になるなんて。でも、やがて人生がすべてを決めていく。私の場合は、あとになってから気づいたんだ。自分を幸せにしてくれるものはやはり芝であり、スタジアムであり、ボールであり、控え室に入って自分の居場所がそこだと感じることである、とね。若い選手と一緒に過ごしていると、時おり自分も同年代に戻ったようで凄く幸せな気分になるんだ。一緒にボールを蹴ることもあるんだよ。ミニゲームをしたり、フットテニスをしたり。とても新鮮で純粋で、大きな夢を持っていて、とにかくサッカーを楽しみたいと思っている彼らのエネルギーに感化されるのは、自分にとっても素晴らしいことだ」


── 君が初めてここ(アルゼンチンサッカー協会所有の代表専用トレーニング施設)に来たのは15歳の時で、今まさに指導している選手たちと同じ年代だったね。

 「選手たちには、当時自分が抱いていた感触や考えを思い出しながら指導するように心がけている。私を含む指導陣は、サッカーはあくまでも『ゲーム』であると彼らに意識し続けてもらえるように努めているんだ。そのために練習のメニューはほとんどゲーム形式にしている。『仕事』としてのサッカーではなく、『ゲーム』としてのサッカーをするためにここに来ているのだというアイディアが前提だ。今のところ、そのやり方は成功しているよ。選手たちは練習を存分に楽しんでくれているし、笑顔も絶えない。もちろん真面目に取り組みながらだ。楽しみながらサッカーをすることは第一の条件なんだよ。だって選手にはやがて――いつになるかははっきり知らないけれど――その『楽しさ』をちょっぴり感じなくなってしまう時がやってくるからね。我われはその時があまり早くこないように試みているんだ。ずっと楽しみながらプレーし続けることは可能なんだよ。巧い選手たちのプレーを見ればわかるさ。彼らはサッカーを楽しんでいて、誰も『仕事でやっている』と感じないだろう?」


── 教えることは難しいと思う?

 「難しいのか簡単なのかはわからない。でもはっきりわかっているのは、優れた指導者たちはまさにその『教える』ことができる人たちだということだ。例えばペップ・グアルディオラが、マンチェスター・シティの監督になって最初の10日間の練習でポゼッション率70%のチームに仕上げたことには感嘆させられた。こういう監督から教えられた者たちは、やがてトップクラスの選手になるんだ。私の場合も、ホセ・ペケルマン、マルセロ・ビエルサ(ともにアルゼンチン代表時代)、ジョルジュ・ジェズス(ベンフィカ時代)といった監督の手によってトップクラスのプレーを見せることができた。『教える』術を知っている監督は、各選手の長所を引き出してベストプレーヤーに育てるんだ。まあサッカーの世界では運が左右するから、タイトルを獲るのは別の監督だったりするけれどね」


── 今日のサッカー界では、タイトルを獲れない監督が評価されることはそう簡単ではないけれど。

 「もちろん、それは難しいことだよ。でも優れた指導者の影響というものは、タイトルうんぬんにとどまらないものなんだ。例えばビエルサは、練習のやり方やサッカーをどのように体感するかを多くの指導者に示してくれた。彼の違いはそこにある。ビエルサは私が指導を受けた中で最も優れた監督の一人だ。彼のチームに入る時、ある一定のレベルにあった選手も、出て行く時はベストバージョンになっているのさ」


── 君はチームに何を求めるどんな監督?

 「アイディアとしては攻撃的なチームであること。全員が一緒にプレーすることが大事で、そのためにはある程度の秩序と、全員でボールを奪い返す姿勢が必要だ。何と言ってもボールは1つだけしかないからね。そして重要なのは、ピッチの中でプレーするのは彼らだけなのだという安心を与えてやること。選手たちが安心して、喜んで、自由な身であればあるほどいいプレーができるんだ。もし君がプレーしている時、スペースを見つけてそこへ飛び込もうとしたのに、監督が他の動きを指示してしまったら、安心してプレーできないだろう。自由であることはとても大切なんだ。サッカーというのはその場、その時の状況によるもので、こうすれば必ず勝つというルールや方式などもない。誰もが勝ちたいから、全員でその術を探りながらプレーするわけだけど、勝つことだけがすべてではないことも教えていきたい。その上で私たちの目標は、今指導している選手たちが6、7年後、または10年後にA代表でプレーできるようにすることだ」

ユース代表再建に必要なもの

現U-15代表は模範。勝つことと、
同じくらい大切なものがある


── ユース代表の指導を始めるにあたって、恩師のペケルマン(現コロンビア代表監督)には何かアドバイスをお願いした?

 「うん、ホセ(ペケルマン)とウーゴ(・トカーリ。ペケルマンの元アシスタントコーチ)と話をしたよ。指導者になることについては、彼らから刺激を与えてもらったんだ。彼らから言い聞かされたこと、教えてもらったこと、各状況において彼らがどのように対応したかということは常に意識している。特に指導者たちが何を言ったかではなく、どんな態度を取ったかによって学ぶべきところがたくさんある。そして教育のためには話を聞かせ、態度で示すことも大事だが、教える側の人間性が優れていればいるほど多くを学び取ることができる。その意味において、ホセとウーゴは模範だった。指導者である前に、人間的にも素晴らしい人たちだからね」

ペケルマン現コロンビア代表監督(右)とアルゼンチン監督当時のアシストのトカーリ氏


── そのペケルマンとトカーリが去ってしまった後(2007年以降)のユース代表の衰退に関して、意見を聞かせてくれないかな。

 「う~ん、状況を随時追っていたわけではないからな……。何が起きたのかがよくわからないから、意見はできない。ただ断言できるのは、ホセとウーゴが指導していた頃のユース代表は、いい選手を選んで次々とタイトルを獲得しただけでなく、選手を教育して育てたということだ。以前のように、A代表のための人材を次々と育てるようなサイクルをもう一度取り戻すことができたらいいと思っている」


── 君は選手たちに、真価というものについてよく言い聞かせているようだね。

 「アルゼンチン代表チームはリーベルプレートやボカ・ジュニオールと同じで、引き分けが許されないチームであると選手たちに理解させることは私たちの任務だ。それも育成の一つで、ビッグチーム、つまり勝者のチームに帰属するに値するメンタルを育てなければならないが、それだけではない。礼儀正しく、敬い深くあることも大切なんだ。このあいだ(昨年11月)南米チャンピオンになったU-15代表の選手たちがそうであったように、今後ユース代表のユニフォームを着る全員がそうなるだろう。今回のU-15代表メンバーはいい模範になる。どの試合でも礼儀を忘れず、ゲームの後で相手チームの選手たちに挨拶をした。模範的な行動を見せながら優勝してくれたことで、我われが今後の指導に役立てることができる。もちろん、全試合できちんと挨拶すれば負けてもいいだなんて思っていない。そうではなくて、勝つことだけがすべてではなく、同じくらい大切なものがあるということに気づかせることが我われの仕事なんだ」


── 今どきの若者たちは生意気なのでは?

 「彼らはまだ若いからな。でも普通だと思うよ。だいたい、いつの時代も15歳は15歳。ちょっとくらいは反抗したくなる年頃だろうけど、このグループには礼儀知らずの子はいない。何か問題があれば、すぐ当人と話をして解決するように心がけたよ。驚いたのは、今どきの子たちも代表に入ったことを誇りに感じていて、毎日喜んで練習に来るし、試合前には国歌を歌いたがったということ。私たちの時代と比べて、代表に対するそういった感情がもう薄れてしまっただろうと思っていたからね。幸い、とんでもない間違いだった」


── 君の時代と比較して、サッカーそのものの知識やレベルにおいてはどうだろう?

 「まず、アルゼンチンの地方におけるユースリーグのレベルは昔よりもさらに向上している。よりコンペティティブになっていて、監督たちも以前より豊富な知識を得て指導にあたっているから、多くの選手が年代に相応した十分な知識を持っていると言えるだろう。その上、この(代表専用の)施設自体も私がユース代表に在籍した頃よりずいぶん良くなった。練習で使うピッチの芝は常に最高の状態だし、1人か2人で1個のボールを使えるようになっているからね。うまい仲間といいピッチで全員がボールを使って練習できる環境において、彼らは一段とレベルアップしたよ」


── 君がマレーシアで開催された1997年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)で優勝した時、今のU-15代表選手たちは生まれてもいなかったわけだが、君のことはどれくらい知っていたんだろう?

 「何でも知っているんだ。それにも驚かされたよ。インターネットのおかげで、彼らは何でも探して、見て、全部知っている。そしていろいろ聞いてくるんだよ。いいことだけじゃなくて悪いことも……例えば、どうしてあのゴールを失敗したのか、なぜあの時退場になったのか、って具合にね。とにかくたくさんのことを聞いてくる。興味の塊なのさ。U-15代表に運動量が豊富なベラという名の選手がいるんだけど、彼のプレーを見ていて、ディエゴ(プラセンテ=U-15代表監督)と『まるでフィリップ・ラームみたいだな』って話していたんだ。そこでベラにラームを知っているかと聞いたら、『知ってるよ、だってよくビデオで彼のプレーを見るから』って言うじゃないか。だからU-15南米選手権で、ベラはラームにちなんで背番号21をつけたんだよ。些細なことかもしれないけど、こういうところで彼らも我われと同じくらいサッカーが好きなんだなと実感できるよね」

アルゼンチンU-15代表監督のディエゴ・プラセンテ。写真は05年のもの


── 君はユース代表でプレーしていた頃、人一倍負けず嫌いで、負けた時にはかなり落ち込んでいたのを覚えているのだけれど、指導者として今、どのようにして勝利第一主義を選手たちに伝えないようにしているんだい?

 「U-15南米選手権でウルグアイと対戦した時、2-0とリードしていたのに最終的には2-2のドローに持ち込まれてしまった。選手たちは激しく落ち込んでいたよ。私たち指導陣は、アルゼンチン代表選手として引き分けにも痛みを感じてほしいと思っているけど、あまりひどく落ち込む必要はない。引き分けもゲームの可能性の一つだからね。引き分けることも、負けることもあっていい。その悔しさを全身で感じることが大事だ。引き分けても悔し涙を流すくらいのメンタルがいい。選手たちにもそう言っているんだ。『負けにも引き分けにも痛みを感じるがいい、でもほどほどに』とね。試合後に思い切り悔しがったら、もうそれで十分。必要以上にドラマチックになる必要はないさ」


── U-15南米選手権では第3GKを除く全員にプレー機会を与えていたね。アルゼンチンとしてはこの世代で初めて遂げた優勝であり、選手たちにとっても君たち指導陣にとっても忘れられない体験になっただろう。

 「ここで大事なのは結果ではない。選手たちが初めてこの施設に集まった日から大会までの4カ月間で、一人ひとりが少しでも向上する手助けをしてあげることができた。プレーだけでなく、さっきも言った礼儀と敬いの精神においてもだ。これは優勝してもしていなくても選手各自が成し遂げていたこと。彼らはとてもいいグループを築き上げて、ベンチにいる選手もピッチの仲間と一体になっていた。ほんの4カ月間に彼らの成長を見ることができて、指導者として素晴らしい体験をさせてもらったよ」

素晴らしき選手生活29年

不思議だよね、あんなふうに感じたのは
サビオラとプレーした時だけだった


── 今でも選手たちの姿に、自分の現役時代を投影することはある?

 「もちろんさ。5万人の観衆で埋まったスタジアムに入場して、ピッチでサポーターの歓喜の叫びや歌声を浴びる体験は中毒性が高いものなんだ。引退して、もうその体験ができないと悟るのはさすがにショックだよ。私はジュニアリーグでプレーし始めた6歳の頃から29年間もその素晴らしい体験を満喫してきたから、辞めた時は予想していた以上に辛かった。『あと1回でいいから満員のスタジアムでプレーしたい』と思わない日はないよ」


── 現役時代に凄いと思った選手は誰?

 「ジダンにロナウド、そしてロマン(リケルメ)は怪物級だよね。メッシも凄い。ロベルト・アジャラも素晴らしかったし、アリエル・オルテガやマルセロ・ガジャルドとは一緒にプレーしてとても楽しかったよ。でもやっぱり一番息が合っていたのは、ハビエル・サビオラだったな。ピッチで前方にサビオラが見えたらワクワクしたものさ。彼とはリーベルで3年、リスボン(ベンフィカ)で3年、アルゼンチン代表でも何度か一緒にプレーしたが、彼と一緒だといつもより意欲的にプレーできたんだ。だって、『こいつは自分と同じものが見えているから、もしかしたら今日はいいプレーができるかもしれない』って思わせてくれたからね。サビオラは私の力を巧く引き出してくれたんだ。不思議だよね、長年プレーしたけれど、あんなふうに感じたのはサビオラとプレーした時だけだった」

「ピッチで前方に見えたらワクワクした」というサビオラ(右)。中央はベンフィカの同僚で元ポルトガル代表FWヌーノ・ゴメス


── 君は自分が理想に描いていた通りの選手だった?

 「いや、本当はバロンドールを5回もらいたかったよ(笑)」


── そのバロンドールの常連となったリオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドは、お互いが刺激し合ってより成長したと思う?

 「その通り。2人ともいい意味で競争意識が高くて負けず嫌いだから、常に目標を高い位置に掲げることができる。ライバル意識によって刺激を受けて成長するというのは、とてもいいことなんだ。メッシもロナウドも非常に高い自尊心の持ち主で、これについてはユース代表の選手たちとも話をするんだよ。自尊心は傲慢さや自惚(うぬぼ)れとは異なる。ナンバーワンになるために自尊心は不可欠だということをね」


── 君と一緒に代表でプレーしたディエゴ・シメオネやマウリシオ・ポチェッティーノも、監督になってヨーロッパで活躍しているね。

 「ディエゴが示すリーダーシップは圧巻だ。6年間もアトレティコ・マドリーをレアル・マドリー、バルセロナと互角に戦えるレベルに維持するなんて、とてもとても難しいことだからね。マウリシオとは先日ロンドンで会ったんだよ。トッテナム対リバプールを観戦した後で話をすることができた。相変わらず気さくだった。彼のシンプルだけど魅力的な性格が、チームのプレースタイルにも表れているように感じたよ」


── さっきジダンの名前を挙げていたけれど、君も彼のような選手になれたのではないかと思うことはある?

 「いや、わからないな。自分は自分のままで良かったと思っている。もしかしたら、もっと自分の可能性の中でレベルアップできたのかもしれないけれど」


── 君は何と言ってもメッシの憧れの選手だからね。

 「光栄だよ。レオには、ロシアのワールドカップで最高のプレーを見せてくれることに期待している」

Pablo César AIMAR Giordano
パブロ・セサル・アイマール・ジョルダーノ

(U-17アルゼンチン代表監督)
1979.11.3(38歳) ARGENTINA

コルドバ州リオ・クアルト出身。14歳で加入、16歳でプロデビューしたリーベルプレートで頭角を現し、01年1月にバレンシアへ。01-02に31季ぶりのリーグ優勝、03-04にはリーグとUEFAカップ(現EL)の2冠に貢献した。サラゴサを経て08年に移籍したベンフィカでは、リーベル時代の同僚サビオラとコンビを再結成して09-10のリーグ制覇などに尽力。その後13年9月からマレーシアで8カ月プレーし、15年1月に帰還したリーベルで同年7月に引退を表明した。代表では95年U-17世界選手権3位、97年ワールドユース(現U-20W杯)優勝を牽引し、99~09年にA代表で52試合8得点を記録。今年1月に少年時代(85-93)在籍した故郷のクラブで1試合だけ現役復帰し、ピッチに別れを告げた。

PLAYING CAREER
1996-00 River Plate
2001-06 Valencia (ESP)
2006-08 Zaragoza (ESP)
2008-13 Benfica (POR)
2013-14 Johor Darul Takzim (MAS)
2015   River Plate
2018   Estudiantes de Río Cuarto


Photos: Getty Images
Translation: Chizuru de Garcia

footballista MEMBERSHIP

TAG

アルゼンチン代表パブロ・アイマール

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

関連記事

RANKING

関連記事