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隆盛する現代プレス戦術の源流。名将ロバノフスキーの科学的思想

2018.02.16

西欧を驚かせた「ロボット」による「未来のサッカー」


ドイツから始まり、今や世界的な戦術トレンドとなっているアグレッシブなプレッシングスタイル。この潮流を生み出した張本人である戦術家ラルフ・ラングニックと彼の盟友ヘルムート・グロースに影響を与えたのが、1970年代から90年代前半にかけて欧州サッカーを席巻した名将バレリー・ロバノフスキーの思想だった。西欧メディアから「未来のサッカー」と称賛を浴びたスタイルはいかにして生み出されたのか。母国ウクライナで「英雄」と称される指揮官の科学的アプローチと戦術に、あらためて光を当てる。

 ソ連時代、科学は西欧に対する後進性という、伝統的に東欧諸国が抱えるコンプレックスを克服するための起死回生の手段だった。宇宙開発や軍事分野でその技術力の高さは知れわたることになるが、1970年代にはスポーツが自国アピールの最も安価で効果的な方法と見なされ、体育大学など研究機関の予算が増額される。そこでは国家政策の一環として、最新の科学に基づいたトレーニング方法やデータ活用法の研究が進められ、主に個人競技の種目において目覚ましい成果を挙げることとなった。

 まさにこの頃、サッカー界で他者に先駆けて科学の力に可能性を見出したのが、34歳で名門ディナモ・キエフの監督に就任したバレリー・ロバノフスキーだった。キエフ体育大学の若き研究者アナトリー・ゼレンツォフを招へいするとともに、彼を所長に据えた「ディナモ・キエフ科学研究センター」を設立。クラブの黄金時代の礎を築いていく。

「ミスを18%以下にすれば負けない」

 2人の共著『トレーニングモデル開発のための方法論的基礎』では化学、生物学、心理学など様々な観点から行われた実験の結果が多くの数式やグラフを用いてまとめられており、各要素が見事に体系化されている。一例として、選手個々のコンディションや能力に関する分析では練習や休憩の時間を長短それぞれ細かく設定し、時間ごとに選手の筋肉や心理状態を数値化。これを基に適切な練習量のメニューを作成した。「限界まで鍛えるスパルタ式」というソ連のイメージを覆すものだった。

 戦術面では堅守速攻を基本として、想定し得るすべての状況に対応できるポジショニングをチーム全体で形成し、流動的な動きも含めたあらゆる約束事を厳格に規定。渡米した際に触れたバスケットボールやアメリカンフットボールのフォーメーションも参考にした。「ミスを18%以下に抑えれば負けない」というサッカーを実現するために、技術、スピード、持久力、判断力、視野、筋肉の強度などの目標指数を満たす者を選抜。ピッチ上で自由が与えられず、あまりに統率された彼らは「ロボット」と呼ばれるほどであったが、その一方で前述の著書の中では「想定外の事態への柔軟な対応力」の必要性も強調されている。「勝利よりも内容が大事」という名将の言葉からは、スペクタクル性への欲求を抱えながら勝利至上主義を掲げる国で監督をすることのジレンマも垣間見える。

栄光と崩壊

 ロバノフスキーに導かれたディナモはカップウィナーズ・カップを2度制覇。また、そのメンバーが中心となりロバノフスキーが指揮を執ったソ連代表も88年の欧州選手権で準優勝に輝き、彼のメソッドは間違いなく70~80年代にかけて欧州のトップレベルにあった。コンピュータを活用した選手のコンディション管理、パス成功率の割り出し、弱点となるスペースの分析などは現在のデータ活用の先駆けと言えるものであり、当時「鉄のカーテン」の向こう側から来たディナモの強さに驚愕した西側メディアが「未来のサッカー」と呼ぶにふさわしいものだったと言えるだろう。

88年欧州選手権の準決勝でイタリアに勝利したソビエト連邦(写真)。決勝でリヌス・ミケルス率いるオランダに敗れた

 しかし、ソ連崩壊後は国内の混乱により財政難や優秀な人材の国外流出が重なり、ロシアとウクライナの科学技術は著しく停滞。90年代に世界との差は瞬く間に広がってしまい、現在はデータ活用技術を輸入し、強豪国に倣おうという謙虚な姿勢を示している。

 「もちろん科学の成果や発見は古びてしまうものだ。ただし、人間の体の本質はそう変わるものではない。この点に関するデータは決して無駄ではなく色あせないだろう」

 「英雄」の称号を持つ偉大なる指揮官ロバノフスキーの下でコーチを務めていたオレグ・バジレビッチは盟友亡き今、誇らしげに輝かしい過去を見つめる。また、現在ディナモでデータ分析を担当しているアレクサンドル・コズロフはこう断言する。

 「このクラブでは誰もがテクノロジーを信じている。ロバノフスキーの伝統が息づいているからね。ディナモは科学を疑わない」


Valeriy LOBANOVSKYI
バレリー・ロバノフスキー

1939.1.6-2002.5.13(満63歳没)UKRAINE

キエフ出身。現役時代のポジションはFWで、地元の名門ディナモ・キエフでリーグ優勝を経験している。29歳で引退しドニプロで監督キャリアをスタートすると、73年にディナモの監督に就任。計3度、通算24シーズンの間に13度のリーグ制覇をはじめ数々の栄光をもたらした他、旧ソビエト連邦やUAE、クウェート、ウクライナの代表監督を歴任した。

COACHING CAREER
1968-73 Dnipro
1973-82 Dynamo Kyiv
1975-76 Soviet Union National Team *
1982-83 Soviet Union National Team
1984-90 Dynamo Kyiv
1986-90 Soviet Union National Team *
1990-93 UAE National Team
1994-96 Kuwait National Team
1997-02 Dynamo Kyiv
2000-01 Ukraine National Team * *=クラブと代表チームを兼任


Photos: Getty Images

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ウクライナデータディナモ・キエフバレリー・ロバノフスキー

Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。