SPECIAL

「移民の子孫」をたどったらフェライーニパパに会いました

2017.11.13

Special Interview with
ABDELLATIF FELLAINI

“ベルギー代表は選手も家族もみんな仲良し”
—— アブデラティフ・フェライーニ

 子供の頃のマルアンは最初、陸上に興味があったんだが、私がプロサッカー選手だったこともあり、サッカーを勧めたんだ。私はGKだった。モロッコのラジャ・カサブランカでプレーしていたんだよ。

 息子はMFで、よりディフェンシブな選手だった。それがプレーするにつれて攻撃的なプレーも見出され、10番的な役割もこなすようになった。親の私から見て、彼の強みはやはり空中戦、加えていわゆるボックス・トゥ・ボックスの動きだ。それから、チームのために役に立ちたい、という献身的な姿勢だね。

 もともとそういう子供だった。みんなを喜ばせることが好きなんだ。学校の先生にも可愛がられていた。なんていうか、人懐っこくて誰とでも仲良くなる。ケンカなんかも一切しない子だった。サッカーをしていたことで友だちも多かったしね。

 一番の思い出は、エバートン行きが決まった時だ。2100万ユーロの移籍金は、(国内リーグから移籍した)ベルギー人選手として史上最高額。この記録は今でも破られていない。息子が誇らしかったよ。ただ、これまで常に順調だったわけじゃない。ベルギー時代もチャレンジの日々だった。マンチェスターに移籍した今も、レギュラーでプレーできているわけじゃない。それでも彼は、監督を悪く言ったりすることは一切ない。指導者は常に尊敬する、というのはマルアンのポリシーでもあるんだ。

 スポーツ選手には浮き沈みは付き物。良い時もあれば悪い時もある。好かれもすれば嫌われもするのが常だ。試合の結果が悪かった時にマルアンのせいにされて、フェアじゃない、と感じることもある。しかしそういうものだ。そんな時、私が決まって言うのは、どんな時も平常心を失わず、落ち着いて構えていろ、ということ。そして、自分ができること、求められていることを精一杯にやれ、ということだ。

 彼は家族思いで、時間があれば実家に帰って来るし、一緒に旅行もする。そういえば一昨年は日本にも行ったんだ。マルアンがプロモーションの仕事で呼ばれてね。それで家族も連れて行ってくれた。息子とは一緒に観光できなかったけど、我われは京都や広島に行った。また行きたいねぇ。

 それに試合にはいつも呼んでもらっているから、ほぼ毎週イングランドに通っているよ。この前は車を買ってもらった。メルセデスだ。実はこれは2台目で、最初はアウディのQ7だった。自分自身は派手じゃないのに、そうやって人を喜ばせるのが好きな子なんだ。

 ベルギー代表はとにかく選手同士みんな仲が良い。家族同士も仲が良いし、いろいろな人種がいて居心地がいいみたいだね。マルアンもこのチームでプレーするのが大好きだから、みんなで行けるところまで行ってほしいよ。

一番右がフェライーニのパパ、アブデラティフさん


Photos: Yukiko Ogawa, Getty Images

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Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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