モンテディオ山形、「シャレン!」3年連続受賞の背景(後編)。新卒クラブ広報も誕生した「U-23マーケティング部」史をたどる
創設時から「地域密着」を掲げて年間2万5000回を超えるホームタウン活動を行っているJリーグでは、各クラブが地域の人・企業・団体・自治体・学校等と連携して社会課題に取り組む活動を「シャレン!」と名づけ、表彰していく「シャレン!アウォーズ」を毎年開催している。そこでモンテディオ山形がクラブ選考賞として3年連続受賞を果たしたのはなぜか?担当者である運営部サブマネージャーの荒井薫さんと、広報・マーケティング部所属の茂木佳祐さんに直撃した。
後編は、山形がクラブ運営に関わる実践経験を地域の若者に提供する「U-23マーケティング部」について。同部の卒業生として初めてクラブスタッフに就職した茂木さんに、その実態と経緯を聞いた。
「高校生マーケティング探究」から派生して予算化を実現
――次に、1つ遡って「U-23マーケティング部」の話をお聞きします。こちらを始めたきっかけは?
荒井「きっかけは、22年の夏休み期間中に、山形県南部の置賜地方を盛り上げるために、高校生たちを集めて1つ事業をつくり上げようという内容で、米沢市にある探究教室ESTEMさんという企業の方とマーケティング担当がつながって、彼らの施策を発表する場としてモンテディオを使わせてくださいという話があり、彼らが考えた施策をスタジアムで披露するという場としました。それを『シャレン!アウォーズ』にエントリーしたのが、最初に受賞した『高校生マーケティング探究』です。
そこから派生して、今度はクラブが主体となって取り組んでいくという話になりました。マーケティング担当もいるし、グッズ担当もいるし、チケット担当もいるし、運営担当もいるし、イベント担当もいる。そういった人たちがメンターとして入って、彼らに運営のノウハウだったり、企画のノウハウを伝えて、若年層ならではの施策を考えて、それを各試合で披露していくということをやったのが『U-23マーケティング部』です」
――「高校生マーケティング探究」は、「高校生1000人を集客する」という目標には届かず、成果としてはうまくいかなかったように記憶していますが、そこから「U-23マーケティング部」に進展していったのはどういったことがあったのでしょうか?
荒井「『高校生マーケティング探究』は確かに数字としては成果は出ませんでした。参加している学生たちは、授業の一環として探究学習で自分たちの施策をいろいろ試したりはしますが、結局、学校の予算は限られていて、考えたまま終わってしまう、成果発表する場がない、みたいなことがあったんです。でも、モンテディオと関わることでそれを形にできたというところは、彼らにとって、高校卒業する前の大きな体験になりました。
学生たちが考えたことに対してクラブがそこに投資して、そこで事業として1つでも成り立つものがもしあるのであれば、そこに投資してもいいよね、という考え方になり、23年から予算化して、高校生・大学生・専門学校生などの希望者を面談して約40名を選考して『U-23マーケティング部』という形で活動してきました。初めての企画だったので、メディアバリューもかなりありましたし、スポンサーもそこについて、収支としても見れる形で終えることができました」
――クラブでプロとして働いているスタッフたちが、学生にノウハウを惜しげもなく伝授していて、クラブの本気度も感じる取り組みです。
荒井「かなり大変ですよ。学生とはそもそも生活リズムも違うので。彼らは学校生活もあるし、バイトもあるし、たくさんやりたいことがある中でこの取り組みに参加しています。この活動に申し込む意義や、クラブとして学生たちを巻き込んで事業をしていく目的をしっかり彼らに伝えた上で、自分たちが叶えたいことであったり、プロスポーツチームを利用してとか、自分の将来のためとか、そこの意見を合致させた上で活動をやっています。自分たちが考えた施策で成果が出れば、『次も頑張ろう』と思ってもらえる学生たちもいるので、本当にかなり大変ですよ。その前日の夜まで一緒にミーティングしていたのに、朝起きたら全然違う企画になっていたりとか。『なんでそうなった!?」みたいな(笑)。
学生に任せっきりになってしまうと、収支の部分を具体的に想定することが難しかったり、参加しているメンバーが若年層なので、ターゲットとして若年層を取り込みたいという思いは確かにあるかもしれないですが、そもそも君たちが集まっているのは若年層を取り込むためじゃない。モンテディオ山形に興味を持っていない人たちをどう取り込むかというところで言うと、そもそも小さいパイを取りにいくのではなくて、ファミリー層であったり、それこそ高齢者であったり、『これまで僕らクラブが取り込めてこなかったファン層を獲得するために新しい力や考え方を貸してほしいんだよ」という話をしてきました。その中で、23年の10月8日のホームゲームを『U-23マーケティング部プロデュースデー』として、集客につながるイベントをつくり上げました。
『青春スタジアム』をテーマに、各企業を巻き込んで、会社の職員の方々やその家族を取り込んだ『大人の青春大運動会』をしたり、そこに来てもらった子どもたちに向けた『超縁日』をやってみたり、そういうところが集大成として1つあって、それが1つ評価されて賞をいただいたということになるかなと思います」



――その前例のないものに、クラブとしては予算もしっかりつけて取り組んだというのは、山形というクラブの真骨頂かと思います。クラブ内ではこの取り組みに対する空気感はどうでしたか?
荒井「その時、僕はまだ入社して3、4年だったので、実際、クラブのマーケティングだったり、一般的なマーケティングの知識があまりない中でスタートしたので、学生たちと同じ目線じゃないんですが、クラブの若い職員自体が、この『U-23マーケティング部』をきっかけに、社会人としてのスキルをつけたりだとか、表に立って誰かを引っ張っていく力であったり、そういったものは成長できるきっかけにはなりました。この取り組みは、彼らに今後の社会人生活だったりに役立つような知識を与えることがメインだったかなと思います」
成功者の講演も!「プロデュースデー」に込もる熱量
――茂木さんが「U-23マーケティング部」に参加しようと思われたきっかけは?
茂木「一番は、モンテディオ山形というクラブは自分も山形県出身でサッカーをしていたので知っていました。そこでの新しい取り組みだし、『おもしろそう』と思って参加しようと思いましたが、自分が大学でやっていることも『マーケティング』と言われてもあまりピンと来ないし、『俺、大丈夫かな? 』という不安はありましたが、その中で1つチャレンジとして参加を決めました」

――採用にあたってクラブ側と面談もされたと思いますが、面談はどんな感じでしたか?
茂木「『この活動を通じてどんなことをしたいか』もそうですが、『今後、どうなりたいか?』とか、人生とか夢を聞かれたことは覚えています。自分自身、大学に入ってから物足りなさじゃないですが、何もしていない感覚がありました。部活でサッカーをやっていて、それなりに大学生活も過ごして、その中でこういう活動があることを知って、自分の中で何か得るものがあったらいいなと、プラスに働くなというところは感じていました」
――1期生で前例がない中で、大変なこともあったかと思います。
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Profile
佐藤 円
1968年、山形県鶴岡市生まれ。山形のタウン情報誌編集部に在籍中の95年、旧JFLのNEC山形を初取材。その後、チームはモンテディオ山形に改称し、法人設立、J2参入、2度のJ1昇格J2降格と歴史を重ねていくが、その様子を一歩引いたり、踏み込んだりしながら取材を続けている。公式戦のスタジアムより練習場のほうが好きかも。現在はエルゴラッソ山形担当。タグマ「Dio-maga(ディオマガ)」、「月刊山形ZERO☆23」等でも執筆中。
