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家族との絆、パリSGとの縁にも導かれてCL決勝へ。ベンフィカの常識を覆したジョアン・ネベスの成長譚

2025.05.26

いよいよ日本時間6月1日に迫ってきた、2024-25欧州サッカーのフィナーレを飾るCL決勝。クラブ史上初めてビッグイヤーを掲げるべくインテルと相まみえるのは、リーグフェーズで苦戦を強いられながらも、プレーオフを経て勝ち進んだノックアウトフェーズではリバプール、アーセナルという優勝候補を破ってきたパリSGだ。その激闘の中でも中盤で存在感を増すばかりか、今大会最多タックル数まで叩き出している驚異の20歳、ジョアン・ネベスの知られざる成長譚を、前所属ベンフィカ時代から追い続けるゴンサロ氏に教えてもらおう。

 今季よりベンフィカからパリSGへと加入し、今や「世界最高峰MF」の称号を獲得しつつあるジョアン・ネベス。来たる日本時間6月1日、彼は初めてCL決勝に臨む。ノックアウトフェーズでもチームの快進撃を中盤から支え、リバプール、アストンビラ、アーセナルといったプレミアリーグ勢の強敵相手に、攻守両面で圧巻のパフォーマンスを見せた。本稿では大一番を前に彼のサッカー人生を振り返りつつ、どのように現在のスタイルが確立されたのかについて記していきたい。

片道60km送迎の両親と、予言的中の同僚父に恵まれて

 ジョアンの誕生日は2004年9月26日。ポルトガル南部アルガルベ地方の町タビラで体育教師の母と、元アマチュアサッカー選手で警察官の父との間に生を受ける。4歳時に地元クラブであるカーザ・ド・ベンフィカ・デ・タビラでサッカーを始めると、父が監督を務めるチームでずば抜けた才能を発揮し、常に年上の選手たちとプレーしていた。幼少期からサッカーへの情熱はすさまじく、練習中に足を骨折して松葉杖状態でもリフティングをしていたという。

 彼がベンフィカの下部組織と初めて接点を持ったのは、2011年に地元タビラで行われたジュニア世界選手権であった。ベンフィカ、ポルト、スポルティングのポルトガル「3強」はもちろんのこと、ボカ・ジュニアーズやリーベル・プレートも参加していた。

 ジョアン本人は当時をこう振り返る。

 「僕がベンフィカで最初にプレーした大会はジュニア選手権でした。当初はカーザ・ド・ベンフィカ・デ・タビラの一員として参加する予定でしたが、ベンフィカ側から父に電話があり、ベンフィカの一員としての参加を打診されたのです。なので面白いことに、大会のチーム別集合写真で僕がカーザ・ド・ベンフィカ・デ・タビラとベンフィカの両方に映り込んでいるんです」(ベンフィカ公式メディア『BTV』の取材より)

 ベンフィカのアルガルベ地方の育成施設CFTに加入したのは8歳の頃であった。CFTはCentro de Formação e Treinos(育成トレーニングセンター)の各頭文字を取った通称名で、ベンフィカが国内の各拠点に構える育成施設の1つ。親元から離れるのが難しい12歳以下の選手たちを対象としている。練習や試合で週4日通うCFTはジョアンの実家から片道60kmも距離が離れていたが、両親は息子の送り迎えの労を惜しまなかった。

 ここで出会ったのが、現所属のパリSGでもチームメイトのゴンサロ・ラモスである。そして、当時の監督はラモスの父であるマヌエル・ラモスであった。マヌエルはファレンセ等でプレーした元プロサッカー選手で、ポルトガルU-21代表時代にはリカルド・カルバーリョ(現ポルトガル代表アシスタントコーチ)やシモン・サブローサ(元アトレティコ・マドリー)ともチームメイトであった。

 『Record』紙の取材にて、マヌエルはジョアンが成功した要因をこう語っている。

 「幼少期年代でプロになる子を特定するのは非常に難しい。多くの内的・外的要因が選手たちのキャリアに影響を及ぼすためです。ジョアンは生まれながらに、良い家庭環境・学校環境に恵まれました。彼自身も強いパーソナリティーを備え、努力を継続し、課題を克服する能力を持っています」

ゴンサロ・ラモスとジョアン・ネベス

 また彼はその献身性を評価し、本職の中盤以外のポジションでも活躍できる可能性を示唆している。

 「どのポジションでプレーしても、高いパフォーマンスを見せてくれるはずです。彼はタスクを意欲的に受け入れる性格なので、どんな要求にも応えてくれるでしょう」

 実際、パリSGではDF起用も経験。今季のリーグ1第12節トゥールーズ戦では後半から左SBを務め、同胞のビティーニャとの連携で高いパフォーマンスを披露した。ルイス・エンリケ監督も「ゴールを決めるなど、前半の活躍は素晴らしかったが、後半の彼にはより満足している」と賞賛を惜しまなかったように、マヌエルの発言は予言となった。

母親の支えと育成理念の教えに背中を押され夢のトップチームへ

 ジョアンが親元を離れベンフィカの本拠地リスボンへ移ったのは11歳の頃である。10代を迎えたばかりの少年が故郷を出る決断を下すのは容易ではない。本人は寮生活に不安を抱える中、決断の裏には母親の後押しがあった。息子にこう語ったという。

 「あなたはまだ小さいし、リスボンへ行きたくない気持ちはわかる。でも自分の夢に踏み出しなさい。あなたをサポートするわ」(ベンフィカ公式インタビューより)

 その言葉の通り両親の献身的な支えもあり、ジョアンが寂しさを感じることはなかった。家族と毎晩行う通話は彼のルーティンとなり、数分の短い時間でもその心は満たされた。週末も父母は遠方から息子の試合に駆けつけていた。

 一家に背中を押されたジョアンは2020年に16歳でプロ契約を結び、2021-22シーズンにはクラブ史上初のUEFAユースリーグ優勝メンバーに名を連ねている。本人は膝の負傷で準決勝以降を欠場したが、ピッチ外からチームメイトを鼓舞し続けた。その急成長ぶりは、ベンフィカの育成プログラムをも上回ったほどだ。

……

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Profile

ゴンサロ

大学時代にポルトガルのリスボンへ留学。現地エスタディオ・ダ・ルスの熱狂的雰囲気に圧倒され、ベンフィカの虜となる。趣味はベンフィカやポルトガル代表の試合観戦を目的とした海外旅行。ポルトガルサッカーに関するニッチな情報を日々SNSにて発信している。X:@BergkamPutin

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