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「チームが変わってもサワを連れていきたい」長崎のレジェンド・澤田崇と高木琢也監督との相思相愛の物語

2025.10.28

高木琢也監督の就任後に14戦無敗を記録し、J2優勝争いにまで浮上してきたV・ファーレン長崎。新指揮官の秘蔵っ子とも言える存在がクラブ在籍9年目を迎えたレジェンド・澤田崇だ。指揮官が「チームが変わってもサワを連れていきたい」と絶大な信頼を寄せる2人の物語を伝えたい。

 「レジェンド」とは一般的には偉大な人物のことで、特定の分野で歴史に残るような素晴らしい業績を持つ人、尊敬を集める偉人を指す言葉としてよく使われる。こう書くと少し敷居が高いように感じられるが、素晴らしい偉業や偉人が暮らしや日常に密着した昔話や寓話としていつまでも語り継がれるように、身近に存在し人々に愛される物語というものも存在し、それもまたある種の「レジェンド」と言えるだろう。

 長崎には、そんな身近な「レジェンド」が存在する。

 澤田崇、1991年5月26日生まれのアタッカーだ。170センチ、63キロというその体格は、決してマッスルエリートと呼べるものではないだろう。しかし、その小柄な体躯に宿る情熱と技術は、9年間という長きにわたってV・ファーレン長崎のピッチで輝き続けているのである。

Photo: Hirohisa Fujihara

動画なのに「澤田崇ラジオ」に表れている人柄

 彼が初めてボールを蹴った記憶は「幼稚園くらいですね。幼稚園の年中組の時にサッカー教室があって、そこでサッカーをやったのが初めてなんで、たぶんその時」と語る。その瞬間から始まったサッカー人生は、純粋な「楽しさ」によって突き動かされてきたのだ。

 「単純に楽しかったんだと思います。小さい頃から相手をドリブルで抜くこととかが楽しかった」という言葉に、彼のサッカーの原点がある。兄との勝負で負けることが多くても、「負けたから楽しくないとかなかったし、たまに勝てると凄く気分が良いみたいな感じでした」と笑う姿に、変わらぬ少年の心が見えるのだ。

Photo: Hirohisa Fujihara

 大津高校で活躍し、中央大学を卒業後、2014シーズンに出身地のロアッソ熊本に入団した澤田は、プロ入りについて「大学3年生になったあたりから、それまでのプロになりたいより、なるんだと思うようになりました」と振り返る。不安を抱えながらも前に進む姿勢は、今も変わらないのである。

 性格はシャイで受け答えも淡泊だ。誰とでもいつでも笑顔で対応し、話しかけられれば話すというタイプで、言葉で周囲を引っ張るタイプではない。2025シーズンから広報が開始した不定期の公式サイト動画「澤田崇ラジオ」も、動画なのに「ラジオ」というタイトルで、体のみで顔をあまり映さないことを条件にスタートしたほどである。にもかかわらず何気ない日常を淡々と語る姿には妙な中毒性があり、人気企画の1つとなっている。自身のペースを大事にして集団で群れることはしないが、周囲から愛されてイジられることも多い彼の人柄が表れているのである。

高木監督からの2年越しのラブコール

 プレーヤーとしての澤田の特徴は何と言っても運動量と鋭い動き出しだ。

 さすがに年齢を重ねて加速力は衰えたが、かつて見せていたプレースピードは異次元レベルで、プレーの一歩目で相手を置き去りにしていたものである。近年は読みと駆け引きでカバーするシーンが増えたが、敵陣を突破してチャンスを作る、「ここしかない」という位置へうまく入ってくる技術は、今も昔も多くの監督を魅了してきた武器である。

Photo: Hirohisa Fujihara

 2014シーズンに長崎が熊本と対戦した時、澤田の活躍を目の当たりにした高木琢也監督は、彼を2015シーズンに向けた補強リストのトップに入れた。しかしこの時、澤田はJ1の清水エスパルスへ移籍することを決断する。「J1でプレーしたい、もっと上のカテゴリーに挑戦したいとはいつも思っていた」という思いが、彼を新たな挑戦へと向かわせたのだ。

 清水での2年間で大きく活躍することはできなかったが、2016年の契約満了後、変わらず獲得を目指していた長崎が彼を迎え入れた。

 「単純に以前から評価していただいてオファーしてくれたチームであるということと、試合に出場するチャンスということを考えて決めました」

 ここから澤田と長崎、そして高木監督との相思相愛の物語はスタートする。

……

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J2リーグJリーグV・ファーレン長崎キャリア澤田崇移籍高木琢也

Profile

藤原 裕久

カテゴリーや年代を問わず、長崎県のサッカーを中心に取材、執筆し、各専門誌へ寄稿中。特に地元クラブのV・ファーレン長崎については、発足時から現在に至るまで全てのシーズンを知る唯一のライターとして、2012年にはJ2昇格記念誌を発行し、2015年にはクラブ創設10周年メモリアルOB戦の企画を務めた。

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