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オフトへの反逆と感謝。広島ユース立ち上げの模索と充実。ギラヴァンツ北九州・小林伸二スポーツダイレクターインタビュー(中編)

2023.06.20

自身の代名詞とも言うべき『昇格請負人』という肩書は伊達ではない。大分トリニータに始まり、モンテディオ山形、徳島ヴォルティス、清水エスパルス、そしてギラヴァンツ北九州と、5つのクラブに昇格という名の歓喜をもたらしてきたのだから。だが、この男の携える信念を知るためには、それ以前に辿ってきたキャリアを理解する必要がある。初めてサッカーと出会って早50年。究極の“サッカー小僧”・小林伸二がその半生を振り返るインタビュー。中編は多くの気付きを得ることになるハンス・オフトと過ごした日々や、高校生と全力で向き合ったサンフレッチェ広島ユース立ち上げの思い出を語ってもらう。

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オフトとは既に高校生時代に会っていた!

――伸二さんにとっては(ハンス・)オフトさんとの出会いが何より大きかったんですよね。

 「オフトと初めて会ったのは、高校3年生の時なんです。高校選手権の後に高校選抜に選ばれて、スイスのベリンツォーナ国際大会に出る前に、1週間オランダのザイストスポーツシューレに泊まったんですけど、その時の指導者がオフトだったんです。自分はマツダに入った年に厚生課にいたんですけど、上司だったコーチの高田(豊治)さんが『来年の監督はオランダ人のオフトっていうんだ』って言うから、『僕、知ってます!』と。高校選抜の時に記念写真を撮っていたので、アルバムを見せたら『この人だよ』って(笑)」

――へえ!マツダ時代の前に会っているんですね!

 「オフトは上手くて、FKもビュンビュン決めていたんです。オフトがマツダに来る前に、自分は膝のケガで1か月間入院していて出遅れたんですけど、それまでは試合のメンバーから外れたことなんてなかったのに、オフトはなかなかメンバーに入れてくれないんです。まあ、僕もボールを持ちたいタイプだったので、言うことを聞かないわけですよ(笑)。『トライアングル!』『タイミング!』『ディスタンス!』『アングル!』とか言われても、そんなことを言われたことがないわけで、もう元気良く走ったり、ドリブルで突破したり、壁パスぐらいしかわからないのに、いろいろ言われて『何だそれは?』って(笑)

 そんなサッカー用語がまだない時代ですから。サポートぐらいはあっても、ボールホルダーがヘッドアップした時に動き出すというタイミングなんて、まだ日本の中に感覚としてない頃ですからね。ただパスが出たら一生懸命走っていただけで。さらに敵が来ていることを『マノン!』とか『ビハインド!』と言ったり、『フリー!』と声を掛けたり、英語でコーチングをするんですけど、そうするとコーチングがだんだん日本語みたいに言えるようになっていくんですよ。それでも僕はサッカーに対してそういう考え方をしてきたことがないので、壁にぶち当たるんです。

 『これだったら、違うクラブに行きたいな』と。当時はアマチュアなので、どこかに行くなら読売クラブしかなかったですけど、試合に出られないと矢印がそういう方向になってしまうんですね。僕は高校1年生の頃からサッカーノートを付けていたんですけど、社会人になるとだんだん日記みたいになっていって、つまらなくなってやめていたものを、もう1回書いてみようと思ったんです。『ファイナルステップスローダウン、ヘッドアップ、タイミング……』とオフトに言われたことを書いていくと、実はいつも一緒のことを言われているんですよ。

1992年に日本代表監督に就任し、アジアカップ優勝に導いたハンス・オフト。その後はジュビロ磐田、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)、浦和レッズの指揮官を歴任した(Photo: Getty Images)

 ファイナルステップスローダウンも、ヘッドアップもわかっているんだけど、走るスピードを緩めないとボールを受けられないし、走ったままだとトラップがボーンと大きくなるわけです。でも、そういうことに対して1つずつ気を付けながらやるようになったら、ある時からサッカーの見方が変わっていったんです。そうすると少しずつ試合に出られるようになるんですね。その前の年はオフトにコンバートされて、右サイドバックで出たりしていたんですよ」

――伸二さん、右サイドバックをやっていたんですか!

 「それこそ“クイックスライディング”はオフトから教えてもらいました。いきなりスウェットを着だして、グラウンドに水を撒いて、『こうやって滑るんだ』とビューンと本人が滑って、『クリアする時にはこれだ』と。『ワンサイドを切って、方向を限定したらスライディングでいい。守備なんてできないんだから、思い切り蹴り出せ』と。それをマンツーマンで教えてくれたのは嬉しかったですね。1年間は右サイドバックをやりました。確か武田(修宏)くんもオフトに右サイドバックへコンバートされたのと一緒ですよ」

――そうだ!武田さんもジュビロで右サイドバックをやっていましたね!

 「その時のマツダは3トップで、僕はボールが収まらないので1トップはできないと判断されて、サイドバックをやりました。次の年は2トップになったんですけど、今度はイングランド人フォワードのクレッグが来て、『外国の選手なんか来ちゃったら、フォワードに戻れないな』と思っていたんですよね。でも、練習で3対3や4対4をやると、いつもクレッグと同じチームなんです。相手だったらバチバチやれるのに『面白くねえなあ』と思っていたんですけど、同じグループに入れると選手を比べるのに一番いいんですよ。今は自分も意図的にポジションを争っている選手を一緒のチームに入れたりします。

 その状況の中、一生懸命練習していたら、リーグの開幕戦のスタメンはクレッグではなくて、なんと僕がシンさん(高橋真一郎)と2トップを組んだんです。その時に『ああ、自分がちゃんとやれば、こうやって平等に見てくれるんだ』って。彼の中では日本人だとか外国人だとか、そんなことは関係ないんですよ。それは嬉しかったですね」

クライフとライカールトと対峙した時、それをリヌス・ミケルスが見ていた!

――当時はオランダ遠征にも行っていたと聞きました。……

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サンフレッチェ広島ハンス・オフト小林伸二

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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