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イタリア代表入りの“アルゼンチン人”、マテオ・レテギとは何者か?ホッケーからサッカーに転身した異端児の物語

2023.03.23

2021年に行われたEURO2020を制したイタリア代表。しかし、翌年のカタールW杯では欧州予選プレーオフで不覚を取り、ロシアW杯に続いて本戦出場を逃してしまった。そんなアッズーリはEURO2024、そして次回W杯に向けて積極的に新戦力となり得る若手を呼んでおり、3月のEURO予選ではアルゼンチン出身で同国のティグレでプレーするマテオ・レテギ(23歳)を初招集した。欧州でのプレー経験がないFWがどのようにしてイタリア代表に選出されるまでに成長したのか。これまでのキャリアをChizuru de Garciaさんに伝えてもらった。

ホッケー一家に生まれた「現アルゼンチン1部リーグ得点王」

 「世界で最も重要な代表チームの一つであるイタリア代表の一員になれるこの機会をとてもうれしく思っていますし、今をとてもエンジョイしています」

 ロベルト・マンチーニ監督からの招集を受けてイタリア代表としてプレーする決断を下したことについて語るマテオ・レテギの表情には、喜びと確信が満ちあふれていた。

 マテオの最もわかりやすい肩書きは「現時点でのアルゼンチン1部リーグ得点王」だが、16歳まではフィールドホッケーのユース代表としてプレーしていたという、プロサッカー選手としては特殊過ぎる経歴の持ち主でもある。アルゼンチンはもちろん、世界的に見ても(特にサッカー大国では)似たようなケースを見つけることは困難だろう。

 マテオのストーリーを語る前に、彼の父親である「チャパ」ことカルロス・レテギについての説明を忘れるわけにはいかない。

 サッカーやテニスだけでなく、フィールドホッケーでも世界の強豪として名を馳せるアルゼンチン。「レテギ」の名は、そのフィールドホッケー界の代名詞と言っていい。

 マテオの父チャパ・レテギはフィールドホッケーのアルゼンチン代表として17年にわたってプレーし、その間に3度の五輪に出場。指導者に転身してからは、女子代表監督として2010年のフィールドホッケーW杯で優勝した後、2012年ロンドン五輪と2020年東京五輪で銀メダル、2016年リオ五輪では男子代表を率いて金メダルを獲得したレジェンドだ。

 近年は政治家として活動しているが、プロサッカーの指導者資格も保持しており、サッカー界との縁も深い。昨年6月にはカルロス・テベスと組んでロサリオ・セントラルのコーチに就任するプロジェクトに関わっていたものの、最終的には政治家としての職務を選択し、辞退している。

 若くしてアルゼンチンスポーツ界の重鎮的存在となった父の影響から、これまでマテオにはどうしても「チャパ・レテギの息子」というイメージがつきまとい、ジュニア時代から「親のコネを利用している」と冷ややかな視線を向けられることも少なくなかった。そんな彼が紆余曲折を経てリーグ戦のトップスコアラーとなり、再建を図るイタリア代表のメンバーに選ばれたことはアルゼンチンでも当然話題を呼び、賛否両論を巻き起こしている。

3月のEURO予選でイングランド代表、マルタ代表と対戦するイタリア代表のメンバー

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イタリア代表マテオ・レテギ

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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