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受け継がれる『8』の系譜。柿谷曜一朗の徳島ヴォルティス帰還で期待すること

2023.01.17

「俺を救ってくれたチーム」――10代の頃から「天才」と言われていた柿谷曜一朗のキャリアを再生したのは、徳島ヴォルティスでの約3年間だった。2023シーズン、12年ぶりに転機となったクラブへの帰還を決めた33歳は、何を思うのか。そして、クラブが彼に期待している役割は何なのか。徳島を追い続ける柏原敏氏が考察する。

 「柿谷曜一朗の徳島ヴォルティス帰還で期待すること」

 編集部から上記を題材にした依頼をいただき、いろいろな角度から考察してみた。先出しすると“何かを結論付けてから書き始めるのが難しかった”。その理由はクラブ周辺が柿谷フィーバーでお祭り状態になっており、それ以上の本質が見えづらくなっているように思えたからだ。ただ、その現状については柿谷自身が最も理解している様子だった。

 「それも落ち着いてくるんじゃないですかね」(柿谷)

 天才として育ち、天才として駆け上がった階段。きっと酸いも甘いも知っている。時には担ぎ上げられ、時には梯子を外され、並のプレーヤーであれば浮き沈みに耐えられないものでもあったかもしれない。しかし、どんな過去を尋ねられても動じる様子はなく、現在を静かに語り始めた。

Photo: ⒸTOKUSHIMA VORTIS

 12年ぶりに徳島ヴォルティスに電撃復帰した柿谷曜一朗、33歳。

 天才が羽織ったベールの内側。それは数日間の様子を見て、ちょっと取材した程度で見えてくるものではない。それでも柿谷がどれだけ装ったとしても垣間見えてくるものはある。この男、どうやら本当にサッカーが好きだ。少年がそのまま大人になったような無邪気さもある。そして、徳島に帰ってきた想いに嘘はなく、その本気な姿はカッコ良かった。

 「やっぱりJ1定着。これに尽きます。これからの徳島がもう1つ大きくなるためには。いつまでもJ2で強い、J1へたまに行ける。でも、落ちちゃう。ではなくて、やっぱりJ1に居続けること。それをスタートするための年にしたい」(柿谷)

 未来を紐解くために、まずは徳島と柿谷の関係を振り返ってみたい。

 09年のシーズン途中に期限付き移籍で加入し、11年までの約3年間を過ごした。

 各メディアで取り上げられて周知の通り、若かりし柿谷は当時指揮官だった美濃部直彦監督や主将だった倉貫一毅氏(現・琉球監督)の叱咤や、濱田武氏(現・C大阪アカデミーコーチ)の愛情を受けながら復活と成長を遂げた。

 「インタビューがあるたびに言ってきたことでもありますけど、当時ギリギリで、言葉は悪いですけど死にかけていた俺を救ってくれたチームです。期待をしてくれて、最後のチャンスを与えてくれました。そこで這い上がった自分がいます」(柿谷)

「自分の人生で面白いと思えるかどうか」

 その後、C大阪からA代表に選ばれW杯を経験し、欧州リーグに挑戦。C大阪に復帰後は13年、14年と同じ背番号『8』を背負ってルヴァンカップと天皇杯でタイトルを獲得した。名古屋でも同じ番号を着けてルヴァンカップのタイトルを手にしている。言葉通り、日本を代表するスター選手になった。

 それほどのスターが、なぜ徳島に戻って来たいと思ったのか。……

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徳島ヴォルティス柿谷曜一朗

Profile

柏原 敏

徳島県松茂町出身。徳島ヴォルティスの記者。表現関係全般が好きなおじさん。発想のバックグラウンドは映画とお笑い。座右の銘は「正しいことをしたければ偉くなれ」(和久平八郎/踊る大捜査線)。プライベートでは『白飯をタレでよごす会』の会長を務め、タレ的なものを纏った料理を白飯にバウンドさせて完成する美と美味を語り合う有意義な暇を楽しんでいる。

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