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元「クロップの頭脳」ブバチSDは古豪ディナモ・モスクワをどう変革したのか?

2021.12.13

17年間ユルゲン・クロップの副官を務めたジェリコ・ブバチ。ボスニア人コーチが次の舞台に選んだのが、ロシアリーグのディナモ・モスクワのスポーツディレクター(SD)だった。2020年2月の就任後チームは一気に若返り、モダンなサッカーを志向する集団へと改革された。低迷が続いた古豪は現在リーグ2位と躍進中。「クロップの頭脳」の仕事はロシアで確かな評価を得ている。

 4つの名門クラブがしのぎを削るモスクワにおいて、ファンが最も肩身の狭い思いをしているのがディナモ・モスクワだ。

 ソ連時代には秘密警察が運営を担ったことから政府御用達のクラブとして後ろ盾を受け、1976年までに11度の国内リーグ制覇を達成。ソ連を代表するクラブといえばディナモ・モスクワだった。しかし、1980年代以降は84年と95年にロシア杯を勝ち取ってはいるものの、リーグ戦では08年の3位が最高位で、15-16シーズンには史上初の2部降格を経験。ホームスタジアムで多くのファンが身に付けているのはGKとして唯一のバロンドーラーであるレフ・ヤシンの名前が刻まれたグッズで、1950~70年代に活躍したレジェンドを自慢するしかないその姿がクラブの寂しい現状を物語っている。

現地で銅像化している伝説的GKヤシン(1枚目)がプリントされたTシャツ(2枚目)とスマートフォンケース(3枚目)。写真提供は篠崎氏

 そんなディナモ・モスクワだが、今季はこれまでのシーズンとは違う、ただならぬ空気にファンもやや戸惑いを見せている。国内リーグ前半戦を2位で折り返し、3連覇中の王者ゼニトの対抗馬として堂々と名乗りを上げているのである。これは昨季から進めている抜本的なクラブの改革が早くも結果として現れた成果であり、その改革のキーマンとなっているのが昨年2月にSDに就任したジェリコ・ブバチだ。ユルゲン・クロップとともにマインツ、ドルトムント、リバプールを渡り歩き、クロップが「私の頭脳」と絶大な信頼を寄せたボスニア人コーチである。

呼び寄せたのは、元ウクライナ代表FWボロニン

 ブバチがディナモにやって来た時、ロシアのメディアは「クロップのアシスタントを17年間務めていた人物」と一斉に書き立てたが、実際のところ彼がどんな人物なのかはよくわかっていなかった。

 ブバチ自身も「自分は表に出るタイプではない」と語っているように、現役時代にチームメイトだったクロップが得た眩いばかりの名声の裏で、ブバチは戦術分析や補強に関する仕事を黙々とこなす陰の存在だった。2018年に「個人的な事情」によりリバプールを退団したが、クロップ監督との仲違いが原因ではないかという憶測が飛び交い、その真相もまた謎のままである。

 ブバチをロシアに誘ったのは現役時代の晩年にディナモの顔として主将も務め、昨年10月に同クラブのコーチとして戻ってきた元ウクライナ代表FWのアンドリー・ボロニンだった。選手として大成するきっかけとなったマインツ時代にクロップ監督とブバチコーチの下でプレーしていたボロニンは、ブバチが果たしていた役割の大きさを説明している。

 「2人は1つのチームのような関係で、監督の経験がなかったクロップをブバチが支えていた。彼らはまったく同じビジョンを共有していたんだ。少なくとも自分がマインツでプレーしていた頃は、クロップは選手たちとコミュニケーションを取るいわゆるモチベーターで、一方ブバチは謙虚で物静かな人でメディアに出ることはなかったけれど、戦術や技術的なことを担っていた。普通は半年や1年でチームを変えることは難しいが、ブバチはそれができる人なんだ」

ブバチを招へいしたボロニン。ディナモで公式戦87試合24得点を挙げたOBは、現在コーチとしてクラブに帰還している

 当初はメディアもファンもブバチのSD職は最初だけで、成績不振で解任が決定的だったキリル・ノビコフ監督の後釜としてチームを指揮することが既定路線と考えられていた。しかし、ブバチは「監督としてのオファーはいくつかあった。だが、これまでとは違う新しい仕事がしてみたい。ピッチの上で選手たちに直接指示することはできないが、コーチをしていた時も常に上層部と話し合っていた」とあくまでSDの立場でチームの強化に携わることを明言している。

 「でもバルセロナから電話があれば現場に戻るだろうけど」というロシア人からすればあまり笑えない冗談を付け加えていたが、今冬に2年の契約延長を結ぶ見込みだ。

世代交代に成功。ゲーゲンプレスを体現する人選

 近年のディナモはほぼ1年おきに上層部の顔ぶれが変わり、不安定な運営体制が問題となっていた。

 変革のきっかけは2006~2016年までクラブのスポンサーだった国有のメガバンク「VTB銀行」が再び筆頭株主となった2019年。この年に新スタジアム「VTBアレーナ」が完成し、ゲームコーナーやスマートフォンを用いた企画などにより家族連れでも楽しめる新しい観戦スタイルを確立した。足りないのはチームの勝利と子供たちの憧れとなるスター選手だったが、10年ほど前のように元ドイツ代表のケビン・クラニー、元ポルトガル代表のダニー、元フランス代表のマテュー・バルブエナなど実績のある大物外国人選手を潤沢な資金で集めることができたのも今は昔。何よりも外国人枠がある国内リーグで優勝するためにはロシア人選手の強化が必要不可欠ということで国内の若手選手の発掘が最重要課題となった。……

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アンドリー・ボロニンサンドロ・シュバルツジェリコ・ブバチディナモ・モスクワ

Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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