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ラングニックの誘いを蹴ってクロアチア代表入りも「中身の80%はゲルマン人」?フラニョ・イバノビッチを導く合理的思考

2025.06.21

炎ゆるノゴメット#18

ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。

第18回では、クロアチア代表の3月シリーズで初召集を受け、6月シリーズで初得点を挙げたFWフラニョ・イバノビッチに注目。ラルフ・ラングニックからも熱視線を注がれ、「中身は80%はゲルマン人」とも呼ばれる21歳の合理的思考を読み解いてみよう。

6月シリーズの30代が並ぶスコアシートで唯一の20代

 6月の北中米W杯欧州予選でクロアチアはジブラルタルに7-0、チェコに5-1の大量得点スコアで勝利した。まだ2試合しか終えていないものの、国内では「すでにクロアチアはアメリカ大陸に片足を突っ込んだ」と言われ、来年の本大会出場が楽観視されている。それもそのはず、予選グループで同居する国は、上記2カ国に加えてモンテネグロ、フェロー諸島。W杯常連国とはいえ、長丁場の予選となると浮き沈みを味わってきたクロアチアだが、短期決戦の今予選は難なく突破するだろう。

 2試合で叩き込んだ12得点の内訳は、アンドレイ・クラマリッチ(33歳)が最多の4得点。イバン・ペリシッチ(36歳)とアンテ・ブディミル(33歳)が2得点、ルカ・モドリッチ(39歳)とマリオ・パシャリッチ(30歳)が1得点。ズラトコ・ダリッチ監督のベテラン偏重は今に始まった話じゃないものの、シーズン疲れなどお構いなしに30代がずらりと並んだ。そんな中、20代唯一のゴールスコアラーとして名を連ねたのがフラニョ・イバノビッチ(21歳)だ。

 ジブラルタル戦の後半頭から登場したイバノビッチは、60分にペリシッチの左クロスを巧みにトラップすると、相手選手を背にしながら右足でシュートをゴールに流し込んだ。これが代表初ゴール。その3分後にもペリシッチの左クロスを右足で合わせて2点目。79分にはハットトリック達成のチャンスを迎えるも、GKを引き寄せてフリーのクラマリッチにラストパスを送ることで初アシストをマーク。『Sofascore』では10点満点のペリシッチに次ぐ「9.2」という高評価を得た。

イバノビッチの代表初ゴールの動画

 イバノビッチは実に使い勝手の良いアタッカーだ。ヘディングはやや不得手だが、抜け出すスピードや多彩なフィニッシュを生かすのならばCF。イビチャ・オリッチ(現クロアチアU-21代表監督)を彷彿とさせるドリブルやハードワークを生かすのならばウイング。スペースへの飛び出しやチャンスメイクも任せるのならばセカンドストライカー、あるいはトップ下だ。

 2024-25シーズンは彼にとって飛躍の1年だった。夏の移籍ウィンドウが閉まる直前の昨年8月31日、リエカからロイヤル・ユニオン・サン・ジロワーズ(以下ユニオン)に加入すると、瞬く間にレギュラーを奪取。ジュピラー・プロリーグ(ベルギー1部)で34試合16得点7アシストを記録し、1935年以来90年ぶりとなるユニオンのリーグタイトルに貢献した。序盤戦にプレーしたリエカもクロアチアリーグを制覇し(4試合3得点1アシスト)、1シーズンで2個の優勝メダルを手にしている。3月には長年夢見ていたクロアチアA代表の初招集を受けた。そして6月の代表初ゴール。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのクロアチア人アタッカーを今回は取り上げてみよう。

12歳で家族を残して父と渡独、アウグスブルクで「ベンゼマ」に

 今のクロアチアサッカー協会は国外で生まれ育った移民を若くから囲い込む方針をとっており、イバノビッチもその1人だ。オーストリア・チロル州のホテルでウェイターとして働く父親ミロスラフ、ボスニア生まれの母親ナーダの長男として生まれた彼は、クロアチア人の古い慣習にならって父方の祖父の名を受け継いだ(祖父も父と同じホテルでウェイターをしていた)。父親は息子の性格をこのように分析する。

 「フラニョはクロアチア人の名を名乗ってはいるけど、彼の性格や立ち振る舞い、規律正しさを鑑みれば、その中身の80%はゲルマン人だ」

 そんなイバノビッチの几帳面さを表すエピソードがある。3月のネーションズリーグ準々決勝第2戦の前夜、パリのホテルのロビーでは20名ほどのファンがクロアチア代表の到着を今か今かと待ち構えていた。接触を避けてエレベーターに駆け込む選手たちの中、たった1人でファン全員に「神対応」をしたのが新人のイバノビッチだった(その様子はこちらの記事で見られる)。

クロアチアA代表初招集を受け、ユニオンのSNS向けに動画撮影したイバノビッチ。日韓W杯仕様の古いユニフォームを着用しているところが微笑ましい

 アルプス山脈の谷間にある人口3000人あまりのリゾート地、マイヤーホーフェンで生まれ育ったイバノビッチは、5歳で地元クラブのSVGマイヤーホーフェンに入団。冬になればスキーを楽しんだものの、関心事はいつもサッカーだった。毎試合のように7~8ゴールを挙げると、11歳の頃には噂が国外に広まった。アヤックス、ディナモ・ザグレブ、バイエルン、ザルツブルクといった名門アカデミーに招待され、練習や遠征に参加しては入団の誘いを受ける。

 ところが、12歳になって選んだ行き先は、フィーリングが最も合ったアウグスブルク。誰にも相談せずに1人で進路を決めた彼は、両親に対してこう頼んだ。

……

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Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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