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白血病と戦い続けるミハイロビッチ。完全復活に向け、心の炎を燃やす

2019.12.01

 11月29日、ボローニャのシニシャ・ミハイロビッチ監督が4カ月ぶりに記者会見を行った。同監督は骨髄性急性白血病を発症し、7月から入院治療を行っていたが、11月に3度の入院治療サイクルを完了して退院していた。

選手たちも待ち望んだ指揮官の帰還

 ボローニャのホームスタジアム、レナート・ダッラーラの会見室で実施された記者会見は、ウェブでも生中継された。すると開始から間も無く、日本代表DF冨安健洋を含む全選手が入場。そして選手を代表して主将のMFブレリム・ジェマイリが挨拶をし「いない間は心細かった。僕たちは帰還を本当にうれしく思っている。お帰りなさい」とスピーチをした。

 会見にはボローニャ大学の血液科医師2名が同席。ミケーレ・カーボ、フランチェスカ・ボニファルツィ両教授は、検査の開始から白血病細胞を消滅させるための2度の化学治療、そして骨髄移植手術に至る過程を丁寧に解説した。「(会見の11月29日は)ちょうど骨髄移植から1カ月の時期。最終的な結論が出るまでには時間が必要で、それまで人混みなどは避けていただく」と監督の状態を説明したカーボ教授は「シニシャさんは常にポジティブな面を見せる気丈な人だった。いつも医師団を信用してくれたし、患者の模範でいてくれた」と姿勢を称えた。

 そのミハイロビッチ監督は、医療スタッフや看護師全員の名前を読み上げつつ、時折声をつまらせながら「患者の心理をよく理解してくれた上でケアにあたっていただいた皆さんに感謝したい。この4カ月間で会った素晴らしい方々のことは生涯忘れません」と感謝を述べた。そして毎日寄り添ったアリアンナ夫人には「私よりも度胸のある人物。愛している」とメッセージを送り、また家族や温かいメッセージを送ったボローニャや他クラブのファンにも感謝を述べた。

 「自分はヒーローなどではなくただの男だ。この4カ月間、飽きるほど泣いた。ただ、大事なのは良くなろうとする意志を捨てないことだ」と語った監督は「外で息が吸うなど、当たり前だと思っていたことができるようになったのがうれしい」と感慨深く語った。

いかなる時も選手たちへの苦言は忘れず

 もっともミハイロビッチ監督は「ここからはチームの監督として話をしたい」と切り出すと、目の色を一変させた。「クラブにカメラを用意してもらって練習をチェックしつつ、体重も白血球量も減らしながら(開幕戦の)エラス・ベローナ戦を指揮した。骨髄移植後は高熱が続いて練習を追えず、チームと連絡が取れなかったが、その期間に3連敗。監督がいるというのは重要なんだと分かった」と語った上で、「私は40度の熱があっても病室から練習をチェックし、進言もしていた。もう少しこちらの努力に応えてくれるものと期待していた」と選手たちやスタッフを叱責。「誰にもポジションの保証はない。自分が指示したことはやってもらうし、さもなければ外す」と、病気前と全く変わらない厳格さと執念を露にした。

 今後は週2度の検査と、「19種類ぐらいの薬の服用(ミハイロビッチ監督)」を続け、日常生活を取り戻していく。現在は練習の指導には復帰できたものの、抵抗力が低下している体に無理はさせられないため、スタジアムでの指揮や交通機関を使用するアウェイへの遠征などは止められている状態だ。本人のコンディションを見つつ、12月8日のミラン戦、もしくは15日のアタランタ戦(ともにホーム開催)での復帰を目指していくという。


Photo: Getty Images

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Profile

神尾 光臣

1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。