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イタリア国民に最も愛された選手パオロ・ロッシ、64年の生涯を閉じる

2020.12.14

 1982年スペインW杯の優勝メンバーだった元イタリア代表FWパオロ・ロッシ氏が12月9日、トスカーナ州シエナの病院で死去した。64歳だった。

予想外の急な終幕

 ロッシ氏はテレビ番組のコメンテーターを務めながら、シエナ近郊に自宅を構え農場やアグリツーリズモ(農場や農村に滞在する観光)を運営し生計を立てていた。しかし1年ほど前から体の変調を訴えており、一般紙『コリエレ・デッラ・セーラ』によれば、肺がんが発覚したという。

 昨夏には手術も受けていたが、11月から容体が急速に悪化しシエナ市内の病院に入院していた。妻のフェデリカ・カッペレッティさんは同紙の12月10日付インタビューの中で「最後に入院した時には肺に液体が溜まっていた。とはいえ、こんなに急な終幕になるとは、私も子供たちも含めて誰も予想していなかった」と悲しみの胸中を語った。

 トスカーナ州プラート出身のロッシ氏は、1972年にユベントスの下部組織に加入した。当初は右WGだったが、1976年に移籍したビチェンツァでCFにコンバートされるとストライカーとして覚醒を果たす。イタリア代表まで上り詰めるも、1980年の八百長事件により2年間の出場停止を言い渡される。

 しかし復帰後はスペインW杯のメンバーに選ばれ、ブラジル戦でハットトリックを決めるなど大活躍。最終的には大会6得点を挙げて優勝に貢献するとともに、自らも同大会の得点王となり、同年にはバロンドールにも選出された。国民の人気を集め、「大衆の心に近く、歴代のイタリア人選手の中でもっとも愛された選手」(『ガゼッタ・デッロ・スポルト』)と称されるに至った。

葬儀には大勢のファンが集結

 それだけに、ロッシ氏の死にはイタリア国民全体が悲しんだ。12月11日のスポーツ紙は多くのページを割いて特集を組み、一般紙でも大きく扱われた。テレビではサッカー番組のみならず、朝の情報番組でもトピックになる。

 葬儀は彼がプロサッカー選手として飛躍的な成長を遂げ、第2の家も構えていたビチェンツァで行われることとなったが、霊安所としてはビチェンツァの本拠地スタディオ・ロメオ・メンティが設定された。弔問に訪れる人は長蛇の列をなし、夜になっても人は途絶えず、弔問時間が延長された。

 そして12月12日に街の大聖堂で行われた葬儀は、国営放送『RAI』で生中継。新型コロナウイルス感染対策のため、葬儀への参列者は300人にまで絞り込まれたが、規制区域となった大聖堂前広場の柵の向こうには大勢のファンが集い「パオロ、パオロ」と声を上げた。

 棺はスペインW杯のイタリア代表メンバーによって運び出され、列席したサッカー関係者は深い悲しみを露わにしていた。

 現在SNS上では、サッカーファンの間で「セリエAの得点王タイトルにパオロ・ロッシの名前を冠するよう呼びかけよう」という運動も起こっている。これに対し、イタリア五輪協会のジョバンニ・マラゴ会長は「イタリアサッカー連盟とレガ・セリエAに権限のあることだが、素敵なアイデアだ」と賛成の意を示した。


Photo: Getty Images

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パオロ・ロッシビチェンツァユベントス

Profile

神尾 光臣

1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。