「なぜイタリアにヤマルがいないのか」――FIGCの頭脳が語る“平均化の正体”(後編)
【特集】イタリア代表はなぜ、弱くなったのか?#7
W杯4度の優勝を誇るイタリアが、2大会連続で出場できず、北中米W杯予選でも再びプレーオフに回ることになった。だが、より深刻なのは結果そのものではない。バッジョ、トッティ、デル・ピエーロといった天才を輩出してきた「タレント大国」から、世界を驚かせる選手がほとんど生まれなくなっているという事実だ。少子化、外国人枠、若手の出場機会減――説明は出尽くした。しかし、どれも決定打にはなっていない。本特集では、成功している国ではなく、失敗している国の内側にこそ学ぶべきものがあるという視点から、イタリアサッカーが直面している問題点を検証する。
第6&7回はFIGC育成責任者マウリツィオ・ビシディへのロングインタビュー。イタリアの若手は賢い。戦術理解も高い。だが違いを作る選手がいない。彼が認めたのは、戦術主義と結果至上主義が生んだ“平均化の構造”だった。
戦術理解は向上した。だが早過ぎる
――逆に、トレーニングメソッドの変化によって向上した部分はあるでしょうか。
「戦術的な知識や文化は間違いなく向上している。U-15やU-16の選手たちに『相手は[5-3-2]だから、ウイングバックには誰々がプレッシャーに出て行くように』と言えばすぐに理解する。配置の構造や噛み合わせを理解しているからね。でもそれはまだ早過ぎる。多くの外国では、その年代ではまだ戦術に焦点を当てず、自由にプレーさせている。システムよりもポジションごとの機能と役割をベースに選手を育てるアプローチを取っているからだ。つまりセンターフォワードにはセンターフォワードの、ウイングならウイングのトレーニングをする。戦術やシステムを教えるのはその後の段階だ」
――よりポジションに特化したトレーニング、選手育成をしているということですね。
「そうだ。そういう形で個人に焦点を当て、そこに多くの時間を使っている。でもイタリアではチーム全体に焦点を当て過ぎている」
――ウイングやセンターフォワード、あるいはデュエルを武器にするディフェンダーといった、ある種の特殊技能が必要なポジションの選手が育たない理由もそこにあるのでしょうか。
「その一因であることは確かだ。しかし問題はもう1つある。なぜドルトムントは17歳のレッジャーニをチャンピオンズリーグの重要な試合に起用するのに、イタリアでそういうケースはほとんど見られないのかという問題だ。それは、イタリアではトップチームの監督がクラブという企業組織の枠組みの外にいて、自分自身のためだけに働いていることだ。彼らは目先の結果に極端に集中しており、選手の価値向上に関心を持っていない。彼らには企業的なビジョンが欠けている。ただ、それは環境がそれを求めるからでもある。クラブの要求が残留、優勝、あるいは欧州カップ戦出場権の獲得なので、それに合わせたサッカーをする。3連敗すれば解任されると思い込み、1-0で勝てば満足し、1-0で負ければ絶望する。もしクラブが観客動員を求めればそういうサッカーをするだろうし、若手を育てて売却益を上げることを求めれば若手を起用するだろう」
――それはクラブの側も目先の結果ばかりを求めて、若手の育成や観客を魅了するスペクタクルを求めていないことの結果ですよね。だとすれば問題は監督というよりも、イタリアサッカー全体の構造そのものにあるということになりませんか。
「それは確かだ。ドルトムント対アタランタでも、レッジャーニが開始から15分も経たないうちに、避けられたはずのイエローカードを受けた。イタリアの監督なら、2枚目のイエローを怖がってハーフタイムに交代させていたかもしれない。しかしドルトムントの監督は動かなかった。デビュー戦で15分に警告を受けた、まだ選手としての完成度も低く経験もない17歳を、もうファウルもできない状況で98分間プレーさせた。これがレッジャーニの成長にどれだけつながったか。選手としての価値をどれだけ高めたか。目先の結果だけでなく、若い選手に経験を積ませて成長させることに、クラブとして明確に重きを置いているからこそ、監督もそういう起用法ができる」
ゲームモデルは、専門性を曖昧にする
――ポジションやタスクという観点に立つと、育成においてゲームモデルをどう位置づけるかというテーマもあると思います。
「ゲームモデルもイタリアの育成における問題の1つだ。私たちは非常に多様なゲームモデルを持っており、選手にとってはそれが自分のポジションやタスクの専門性を定義することを難しくしている。例えばウイングでも、[4-3-3]の攻撃的なウイングなのか、[4-4-2]のやや守備的なウイングなのか、あるいは5バックの外側で非保持局面では最終ラインまで戻らなければならない役割を担うのかで、適性は少なからず変わってくる。しかしイタリアでは、同じチームでも1つのシーズンの中で頻繁にシステムやタスクが変わる。それは育成年代ですらそうだ。
それには、選手の適応力を高めるという側面がある一方で、専門性を磨くことが難しくなるという別の側面もある。CBにはCB特有の技術動作や個人戦術があるし、ストライカーにはストライカーのそれがある。しかし私たちは『この選手は2CBに向いている』『3CBのブラッチェット(サイドCB)向きだ』『4バックならSBもできる』などと、システムの多様性やそれを前提とする適応性ばかりを重視して、それが混乱を生んでいる。例えばスペインでは、代表レベルでもクラブでも、非常に高い継続性がある。基本システムは[4-3-3]で一貫しているし、サッカー連盟の公式ビデオでも、背番号ごとにポジションと役割が定義されている。例えば背番号7なら、ウイングとして何をすべきかが明確に定義されている。しかしイタリアでは、今日は5バックだから最終ラインまで戻れ、明日はまた違う、今日はこれをするな、という具合になる。この過剰な戦術主義が選手を混乱させている。彼らは10代のうちから、自分の本職としてのウイング、センターフォワード、レジスタ、CBといった役割を身に着けるよりも、監督が何を望んでいるか考えることに忙しい。これもまたイタリアが抱えている問題の1つだ」
――1980年代までのカテナッチョ的環境で育った1960年代、70年代生まれの選手たち(ブッフォンやピルロがその最後ですが)は偉大なカンピオーネでしたが、80年代以降に生まれた世代からはワールドクラスが生まれなくなった。それは育成段階からかつてのような専門性が薄まった戦術主義的環境の中で育った、という見方もあります。この歴史的背景も関係していますか?
「まさにその通りだ。イタリアは戦術的多様性という点では最も豊かな国の1つだが、その結果として選手は常に監督の要求を解釈することに追われ、自分の本職を磨き成長するという側面が後回しになっている。つまり、もし私たちがスペインと同じように全員が[4-3-3]でプレーすると決めれば、7番である私はウイングとして自分を向上させようとするだろう。オープンな姿勢でボールを受ける、ファーストタッチを次のプレーに適した場所に置く、1対1を仕掛ける、内に絞ってシュートを打つ、縦に抜け出してクロスを上げる、といった能力を磨くわけだ。しかし現実には、シーズン途中で監督が替わり、今日は5バックの大外でプレーしてくれ、と言われる。これがますます状況を複雑にしている」
「何でもできる選手」はなぜ危ういのか
――しかし一方で、サッカーはますます流動的になっていて、各ポジションの選手にもその役割を超えた多くのことが求められるようになっていますよね。だからこの状況に適応するためには、例えばユベントスのアメリカ人マッケニーのように、11のポジションのうち7つ、8つを解釈できるような選手も必要になるし、そういうタイプの選手を育てる必要もあるのでは?
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Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。
