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フランツ・ベッケンバウアー。「リベロ」の概念を変えた名手

2017.02.02

「ポケサカ」4周年記念イベント連動コラム


本誌「Game Labo」でもおなじみの大人気サッカーゲームアプリ「ポケサカ」が、4周年イベントとしてドイツの「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーとコラボレーション! サッカー史に名を刻む超大物とのコラボを記念して、名手の足跡をあらためて振り返る。

 カイザー(皇帝)のニックネームで有名なフランツ・ベッケンバウアーはドイツが生んだ最高のプレーヤーにして最も成功した監督でもあり、ドイツの栄光は彼とともにあると言っても過言ではない。

 将来を背負って立つ才能として注目されていたユース年代はCFとして活躍し、西ドイツ代表ではMFとしてプレー。ワールドカップ2大会(1966年イングランド、70年メキシコ)でスターとしての地位を不動のものにしていたが、サッカー史上最高クラスの名声を獲得したのはリベロへ転身してからだ。

 マンツーマンで守るDFの背後をカバーするのがリベロというポジション。しかし、ベッケンバウアーは攻撃時にはゲームを組み立て、そのまま前進してラストパスを出し、シュートまで決めてみせた。それまでは“守備の保険”だったリベロに、まったく新しい画期的な解釈を加えたのだ。

 背筋をピンと伸ばした姿勢、優雅なボールコントロール、冷静沈着な判断力、そして右足のアウトサイドを使った長短の正確なパスがトレードマーク。DFでありながらスライディングタックルはあまりやらず、卓越した読みでパスをインターセプトし、シュートをブロックした。ボールを奪い返しに来るFWは華麗なターンで外し、味方を使いながら中盤へ進出、サイドへカーブやバックスピンのかかったロングパスを供給する。バイエルンのチームメートでもあるゲルト・ミュラーやウリ・ヘーネスとの壁パスから、一気に中央を割って相手ゴールへ迫るプレーも得意としていた。

 無骨なタイプが多かった西ドイツの選手の中では、痩身長躯で貴公子然としたプレーぶりは異質であり、若手のころには「ファイターではない」と批判もされた。相手のクロスボールをジャンピングボレーでバックパスしたり(当時はGKへのバックパスが許されていた)、ゴール前の混戦の中でリフティングしながら危機回避するなど、人を食ったようなプレーも多々あった。それによって「傲慢だ」とも言われたが、技術レベルが周囲とは隔絶しており、ほとんど失敗もしていない。

「影の監督などではない。真の監督である」

 70年メキシコワールドカップの準決勝イタリア戦では、肩を脱臼しながらバンデージで体に巻きつけて固定、延長まで戦い抜いてファイターとしての一面を見せている。自国開催だった74年ワールドカップでは強力なリーダーシップを発揮した。この大会での西ドイツは、GS最終節で東ドイツに敗れて苦境に陥った。すでにGS突破を決めていたのだが、初の東西ドイツ対決ということで異様に注目された試合に敗れたショックが大きかったのだ。監督のヘルムート・シェーンが途方に暮れてしまった時、キャプテンのベッケンバウアーは何人かの主力選手を激しく叱責し、メンバーの入れ替えも決めたという。バイエルンでもチームメートだったパウル・ブライトナーに言わせれば、「フランツは影の監督などではない。真の監督である」ということになる。

 選手としてはバイエルンでチャンピオンズカップ(現CL)3連覇のほか、20歳で参戦した66年ワールドカップで準優勝、70年3位、そして74年優勝。欧州選手権も72年優勝、76年準優勝と、ほとんど上位を外したことがない。引退後は西ドイツ代表監督として86年ワールドカップ準優勝、90年イタリア大会で優勝。選手と監督でワールドカップを制覇したのは2人目だった(最初はブラジルのマリオ・ザガロ)。

 バイエルンで更迭された監督の代理を務めればブンデスリーガを制し(93–94)、再び代理を務めた時もUEFAカップ(現EL)でタイトルを獲得(95–96)。バイエルンの会長時代には彼の選手時代以来となるヨーロッパ王者(00–01)に輝き、ドイツサッカー協会の副会長に就任すると06年ワールドカップ招致に成功して組織委員長に。2000年にスタートした育成の大改革もベッケンバウアーの鶴の一声から始まっている。ドイツサッカーの重要な局面に常にかかわり、常に結果を出してきた点でも稀有な人物である。

■『ポケサカ』 基本情報
商品名 育成サッカーゲーム~ポケットサッカークラブ~
価 格 基本プレイ無料
対応OS iOS 7.1以降/ Android 2.3以降/ Kindle Fire OS
配信元 NewsTech Inc.
■ダウンロードはこちらから
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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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