セネガル人記者が明かす代表ゴタゴタ劇の元凶…監督契約問題、選手ボーナス未払い、宿舎、食事管理、医療体制すべてダメダメ
【特集】北中米W杯注目国の敗因 #7
セネガル代表(ラウンド32敗退)
北中米W杯では数々の注目国が志半ばで大会を去った。勝敗を分けたのは、個の力か、戦術か、それともピッチ外の要因か。彼らの敗因は「世代交代」や「決定力不足」といったステレオタイプでは片づけられない。戦術の進化、過密日程、ルール変更、選手層、育成、チームマネジメント――その背景には、日本サッカーが学ぶべき課題も潜んでいる。本特集では各国の戦いを深掘りし、彼らがなぜ敗れたのかを検証する。
第7回は、ラウンド32で2-0リードの86分からベルギーに逆転負けを喫したセネガル代表。敗退とともに次々と明らかになった「選手たちが気の毒」な問題の裏側や真相、責任の所在について、今大会中もチームに帯同していた『RTSラジオ・セネガル』のティエルノ・ディアロ記者に聞いた。
本当に「すべては監督の采配ミス」だったのか?
今回のW杯にセネガル代表は、“ベスト4は現実的。あわよくば決勝進出も”という高い目標を掲げて臨んでいた。
その動機となっていたのは、今年初頭に行われたアフリカ・ネーションズカップ(CAN=Coupe d’Afrique des Nations)での優勝。延長戦の末にモロッコを1-0で下してアフリカ王者となったセネガルは、大陸最強のプライドと自信とともに、世界最高峰の舞台に挑んだ。
CANについて補足すると、公式記録では優勝者はモロッコになっている。決勝戦の途中に、モロッコ側に与えられたPK判定に抗議したセネガル側が一時ピッチから退去。これが大会規則に反するとして“不戦敗”扱いとなってしまったからだ。しかしセネガルの人たちは「優勝者は自分たち」であると認識している。実際にスコアで勝ち、一度はトロフィーを掲げたのだからそう思うのも自然であろう。
代表歴代最多スコアラー(55得点)でチームの大エース、サディオ・マネ。そして23得点のイスマイラ・サールを攻撃の基軸に、守備の要であるカリドゥ・クリバリ、モナコで躍動する若手MFラミン・カマラなど、あらゆるセクションに役者がそろうセネガルは実際にアフリカ王者級の質を誇っていた。代表最多出場記録を持つ36歳のベテランMFイドリサ・ゲイェ、マネ、クリバリとキャップ数歴代TOP3がそろう現代表はともに戦ってきた歴史も長く、団結力も高かった。
日本代表の森保一監督も強いこだわりがあった「欧州5大リーグ所属選手」を見ても、W杯出場メンバー26人中20人と、ヨーロッパ勢以外ではアルゼンチン代表と並んで最多だった。
とりわけ前回大会をケガで欠場していたマネにとっては、最後のW杯への思い入れも強かっただろうから、その熱意もチームにモチベーションを与えていたはずだった。
初戦のフランス戦は3-1の黒星発進となったが、堅い守備ブロックを敷いて超攻撃集団に66分までゴールを割らせず。続くノルウェー戦も3-2で敗れたが、第3戦のイラク戦に5-0で快勝して、グループ3位で次ラウンド進出を決めた。
ラウンド32のベルギー戦も、強敵相手に85分まで2-0とリードを保ち、ラウンド16進出まであと数分に迫っていた。しかしパプ・ティアウ監督はリードを守ることを選択。十分な交代策を行わず、戦術的にもチーム全体のラインが下がったことでベルギーに一方的に押し込まれ、86分にロメル・ルカク、89分にユーリ・ティーレマンスにゴールを許して同点に追いつかれてしまう。
そして延長戦の後半アディショナルタイムに痛恨のPKを献上。これをティーレマンスに決められ、2-3の逆転負けで敗退となってしまったのだった。
ロシア大会での日本を思い出すようなベルギーによる土壇場の逆転勝利だったが、彼ら相手にリードを奪えるだけの力を見せていただけに、16強入りもできずに敗退、というのはセネガルにとって屈辱的な結果となった。
ここで非難の矛先が向けられたのはティアウ監督。
「85分まで完璧だった試合を、守備的な戦い方と消極的な交代策で監督自ら手放した」
というのがセネガルメディアの論調で、敵将のルディ・ガルシアも、
「彼らは終盤になるにつれて自分たちの戦術を見失った。2-0となった時点で、彼らが何が何でもリードを守ろうとするであろうことは予想がついた。しかしそれは大きな間違いだったと思う」
と指摘している。27歳の中堅MFパプ・ゲイェも自身のSNSに、
「このコーチングスタッフが指揮を執り続ける限り、自分はいったん代表チームとは距離を置く」
と投稿していた。彼のその声は国民を含めた大勢の思いでもあり、セネガルサッカー連盟は7月11日、ティアウ監督とコーチングスタッフ全員の解任手続きを開始したことを発表したのだった。
そしてこれをもって、「チームの選手たちはよくやったが、すべては監督の采配ミス」という形でまとまった……のだが、本当にそうだったのか?
「連盟の責任が75%」渡米前から問題は山積みだった
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Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。
