売上37.6億円。数字だけを見れば、それは“成功”の一言で片付けられるかもしれない。だが、ファジアーノ岡山の2025年は、単なる飛躍ではなかった。街を巻き込み、日常を染め替え、関心を行動へと変えていく。その裏側にあったのは、“J1特需”ではない。20年かけて築かれてきた構造だった。
売上37.6億円──“倍増”のインパクト
2025年、ファジアーノ岡山の売上は37.6億円に到達した。その1年前、J2を戦った2024年の営業収益は20.36億円。広告料は約9.1億円、入場料は2.9億円、グッズは2.3億円だった。それがJ1を初めて戦った2025年には、広告料16.5億円、入場料6.2億円、グッズ5.5億円へと跳ね上がる。数字だけを並べても、その伸びは著しい。クラブはわずか1年で、“倍の規模”に膨張したと言っていい。
クラブ史上最大の数字。だが、その言葉だけでは、経営規模が飛躍的に拡大した1年の正体を言い表すには物足りない。この急成長は、単なる“J1特需”だったのか。それとも、再現可能な“構造”なのか。
「正直に言えば、想定外でした」
森井悠代表取締役社長はそう言って、少しだけ言葉を探すように間を置いた。シーズン前に見込んでいたのは30億円程度。それを大きく上回る結果は、計算された成功というよりも、何かが一気に溢れ出したような感覚に近いのかもしれない。
確かに、理由はある。初のJ1昇格。あらゆるクラブにとって環境が変わる、最大の契機だ。鹿島アントラーズ、浦和レッズ、横浜F・マリノスをはじめ1993年のJリーグ誕生時から県民がテレビの前で見ていたクラブが、岡山にやってくる。日本代表としてW杯を戦った選手が、目の前で躍動する。スタジアムは連日満員となり、25試合連続でホームエリアのチケットは完売で、簡単には手に入らないものになった。ユニフォームは例年の3倍以上、約1万3000枚が売れた。入場料収入はJ2時代の倍に膨らみ、スポンサーの数も、期待も、明らかに変わった。

いわゆる“J1特需”。そう呼ぶことは簡単だ。実際、昇格クラブの多くが一時的な増収を経験するだろう。しかし、本当にそれだけだったのだろうか。同じように昇格を果たしても、ここまで街全体を巻き込む熱狂が生まれるとは限らない。スタジアムの中だけで完結する盛り上がりも、決して珍しくはない。
では、なぜ岡山では違ったのか。
確かに、昇格によって関心の総量は爆発的に増えた。だが、それだけで売上が倍増するわけではない。関心が観戦や購買といった直接的な行動に転換されずに終わるケースは少なくないからだ。
ファジアーノ岡山の場合、その関心を確実に収益へと結びつける“構造”がすでに存在していた。

“目の前の人をファンにする”という思想
「20年、続けてきたことの結果だと思います」
森井社長の言葉は、驚くほど静かだった。株式会社設立から20年にわたって地域と関係を築き、学校訪問や地域イベントへの参加を重ねながら、「目の前の人をファンにする」という思想をクラブ全体で徹底してきた。その積み重ねによって、関心は単なる興味で終わらず、観戦や購買へと自然に転換される。さらに、スタジアムでの売り場設計や導線の見直しやクリエイティブの強化といった細部の積み上げが、その転換率を押し上げた。つまり2025年の売上増加とは、J1 昇格によって膨らんだ需要を20 年の蓄積と⽇々の取り組みによって、クラブの非連続的な成長につなげた結果だったのである。
「今日明日、同じことをやろうとしても、なかなかできるものではありません」
派手な成功の裏にあるのは、拍子抜けするほど地道な時間だ。「地域とともに」という言葉を、繰り返し、繰り返し、言い続けてきた。そして、それを言葉だけで終わらせなかった。その20年の積み重ねが、2025年という1年に、形を持って現れた。
「サッカーをすること自体が目的ではないんです」
森井社長はそう言い切る。
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Profile
難波 拓未
2000年4月14日生まれ。岡山県岡山市出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生からサッカーメディアの仕事を志すなか、大学在学中の2022年にファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブのマッチデープログラムを担当し、現在は様々な媒体にも取材記事を寄稿している。東京のスポーツメディア会社に約2年勤務し、2026年からは地元の岡山でフリーランスとして活動。モットーは、「魂を込めて、クラブや選手の魅力を伝える」こと。
