イタリア育成崩壊の正体(前編)。サッキズムがもたらした「アカデミーのタレント破壊」とは?
【特集】イタリア代表はなぜ、弱くなったのか?#1
W杯4度の優勝を誇るイタリアが、2大会連続で出場できず、北中米W杯予選でも再びプレーオフに回ることになった。だが、より深刻なのは結果そのものではない。バッジョ、トッティ、デル・ピエーロといった天才を輩出してきた「タレント大国」から、世界を驚かせる選手がほとんど生まれなくなっているという事実だ。少子化、外国人枠、若手の出場機会減――説明は出尽くした。しかし、どれも決定打にはなっていない。本特集では、成功している国ではなく、失敗している国の内側にこそ学ぶべきものがあるという視点から、イタリアサッカーが直面している問題点を検証する。
第1~3回では、著書『Oro Sprecato(無駄にされた黄金)』で国内に論争を巻き起こした「フットボール・アカデミー・イノベーション・ストラテジスト」ダニエレ・ラッリの証言を通して、イタリア育成崩壊の正体に迫る。前編のテーマは、サッキズムがもたらした「アカデミーのタレント破壊」だ。
タレントは消えたのではなく「スポイルされている」
――イタリア代表は2大会連続でW杯に出場できず、今回も欧州予選でノルウェーに敗れてプレーオフに回っています。かつてはバッジョ、マルディーニ、トッティ、カンナバーロからピルロ、ブッフォンまで、ワールドクラスのタレントを輩出していた大国が、今やバロンドール候補30人にノミネートされる選手すら稀になっている。その理由については様々な説明がされてきましたが、個人的には全面的に納得できるような内容はまだ聞いたことがない、見出せていないというのが正直なところです。
少子化が進んでいる、ストリートサッカーはもはや存在しないといった社会環境的な要因は、イタリアだけでなくすべての国々に共通する問題ですよね。イタリア固有の問題としては、クラブが育成に力を入れていない、外国人選手が多過ぎる、若手に出場機会がない、アカデミーとトップチームの間にギャップがある、といったテーマがずっと指摘され続けています。ただその一方では、育成年代の代表では結果が出始めているし、イタリアの指導者の質は高いとも言われている。でも、A代表のレベルではスイスやノルウェーにも勝てない、そして何よりも傑出したタレントが輩出できない状況がもう20年も続いています。選手の平均レベルは高いと思います。でもスーパーな選手は出てこない。
そうなると、もしかしてイタリアではタレントが育たないのではなく、タレントがスポイルされているのではないか、イタリアの育成が全般的に機能しておらず生産性が低い、組織としてのKPI、選手の選抜や評価の基準、育成のメソッドが間違っている可能性はないか、という問いを立てざるを得ません。そんなことを考えている時に、あなたの書いた『Oro Sprecato(無駄にされた黄金)』という本のことを知りました。そこであなたが提示したテーマに興味を惹かれて、ぜひ話を聞いてみたいと思った次第です。
「その議論の方向は正しいと思います。ただ、アカデミーの生産性という言葉はどうでしょうか。私たちは人間について話しているのであって、工業製品について話しているわけではありません。生産という言葉やその背景にある産業文化の論理で育成を語ること自体が、すでに問題をはらんでいます」
――確かにその通りですね。あなたはこの本を書いた後、「フットボール・アカデミー・イノベーション・ストラテジスト」という肩書きで、コベルチャーノ(イタリアサッカー連盟のテクニカルセンター)で講義したり、ユベントスと仕事をしたりしていますよね。まずはあなたのこの肩書きを出発点に、議論を進めて行ければと思います。
「ではまず、どのような経緯を経てこの肩書きまでたどり着いたのか、少し広いところから話を始めましょう。私はサッカーという文化を呼吸しながら育ってきました。ローマのサン・ジョバンニ=アッピオ・ラティーノ地区、フランチェスコ・トッティが生まれ育った一本裏の通りで生まれ育ったんです。私はずっと年下ですが、両親はフランチェスコのことを見知っていて、彼のことを話してくれるのを聞きながら育ちました。私はフランチェスコやバッジョ、デル・ピエーロといったワールドクラスの選手たちに憧れ、サッカーにのめり込んでいきました。しかしそれから20年経った今、イタリア代表で10番を背負っているのはラスバドーリです。何かがおかしいと考えざるを得ませんよね。
その後、大学で運動科学を専攻して専門的に学んで行く中で、今のサッカー界のあり方、とりわけアカデミーのあり方について多くの疑問を持ち始め、何が起こってきたのかを調べ始めました。そこで見えてきたのは、タレントが枯渇しているのではなく、タレントを育てられなくなっている、アカデミーが様々な面で機能不全に陥っているという現実でした。問題は、誰もそれを公に認めようとせず、知らんぷりをしてカーペットの下に隠そうとしてきたことです。これは非常にイタリア的な傾向で、何か問題があるとそれを認めて解決に取り組むよりも、見て見ぬふりをしてカーペットの下に隠し、何かが爆発するまで放置する。だから、誰かがそのカーペットを持ち上げる、鍋の蓋を開ける必要がありました。
それを認識してから、私はこの問題をFIGCに持ち込んで議論しようと試みましたが、それは簡単なことではありませんでした。大きな抵抗に遭ったからです。しかしそんな中で、プロクラブのアカデミー幹部を対象としたFIGCの研修会で話す機会を得て、様々なクラブの関係者と接点ができました。そこから、ユベントスと一緒に仕事をしたり、FIGCのユースダイレクター講座で講師をしたりするようになりました。問題を探索する1人のアマチュアという立場から、問題を解決するのを手助けするコンサルタント的な立場へと移ってきたわけです。『フットボール・アカデミー・イノベーション・ストラテジスト』という流行りっぽい英語の肩書きを作ったのも、将来的には、外部からではなく、クラブの一員としてこの問題に取り組みたいと考えているからです」
アカデミーは「生産ライン」ではない。トップチームとの根本的違い
――イタリアサッカーの低迷は、単一の要因ではなく複数の要因が複雑に絡み合った結果として起こっていると思います。FIGCの政策に始まって、クラブにおける育成の位置づけと戦略、スカウティングや選手選考の基準、育成メソッドなどなど。この切り分け方が正しいかどうかはわかりませんが、入りやすいところから話を始めていければと思います。
「では、私はある考えを出発点にして議論を始めたいと思います。それが、この複雑で多層的なシステムを理解するのに最良の方法だと考えるからです。陥りやすい危険の1つは、問題を還元主義的に捉えることです。出発点となるのは、アカデミー、育成部門はクラブにとって戦略的資産でなければならない、そしてその目的はただ1つ、大きな潜在能力を持った選手を輩出することにある、という考えです。それ以外の目標や目的はありません。
では、大きな潜在能力を持った選手とはどんな選手なのか。それは、唯一無二で、創造的で、独創的な選手、他では見つけられないような選手でなければなりません。なぜなら、彼らはプロになった時、クラブに最も大きな貢献を果たせるからです。戦力としてトップチームの競争力を高め維持する上でも、売却を通じて経済的・財政的な持続可能性をもたらすという点でもクラブを助ける。これは非常に重要なポイントです。
デロイト・フットボール・マネーリーグを見ると、レアル・マドリーの収益は10億ユーロを超えているのに対して、イタリアでトップのインテルはその半分でしかありません。ヨーロッパのトップレベルに追いつくのは困難です。トップ20にイタリア勢は3クラブしかいない。そうした状況の中で、クラブにとってアカデミーは非常に大きな戦略的重要性を持つことは明らかですよね。
ではイタリアのクラブはその方向に向かっているか? その答えはNOです。あなたが最初に指摘したように、イタリアのアカデミーは戦術的によく躾けられ、技術的にも優れた好選手を輩出することができる。彼らには共通の特徴があります。標準化されており、従順で、教科書的で、平均点は高いけれど際立った特徴や強みは持っていない。与えられた課題は上手くこなすが、事前に定義された枠をはみ出すことはない。これがイタリアの育成が進んでいる方向です」
――なぜ、そうした方向に進んでいるのでしょうか?
「それはアカデミーのモデルそのものが、こうした選手を生み出すことに最適化されているからです。標準化し、平均化し、飼いならす。驚かされるのは、育成に携わっている当事者たちが『子供たちはみんな平均的だ』と嘆くことです。でも、そういうモデルでアカデミーを運営しているのだから当然の結果でしょう。
ここまでの議論は前置き、出発点です。ここからさらに掘り下げるために、まずはなぜそうなっているのかを見てみましょう。サッカークラブもアカデミーも、文化的真空の中で生まれ発展するものではなく、社会文化的な文脈の中でその影響を受け、特定の方向に進むものです。私がその観点からイタリアのアカデミーについて分析してきた中で最も重要だと感じたのは、トップチームを参照モデルにして組織され運営されていることです。これがいかに壊滅的な連鎖をもたらしているのか。そこをもう少し掘り下げていきましょう」
――トップチームを参照モデルにするというのは、ゲームモデルのようなピッチ上の話ではなく、組織運営や評価基準についての話だと理解すればいいですか。
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Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。
