「釣り出てでも奪いにいく」厳格な要求で手にした3つの星。吉田孝行監督とヴィッセル神戸、突然の幸せな別れ
【特集】去り行く監督たちのポリシー#6
吉田孝行監督(ヴィッセル神戸)
2025シーズンのJリーグも閉幕し、惜しまれつつチームから去っていく監督たちがいる。長期政権を築き上げた者、サイクルの終わりを迎えた者……賛否両論ある去り行く指揮官たちのポリシーをめぐる功罪を、彼らの挑戦を見守ってきた番記者が振り返る。
第6回は、2022シーズン途中に通算3度目となる登板でJ1残留争いに巻き込まれていたヴィッセル神戸を救い、翌季から翌々季にかけてはリーグ連覇と天皇杯制覇に導いた吉田孝行監督。2024J1最優秀選手賞の武藤嘉紀に「今までこれ以上にマネージメントがうまい監督はあったことがない」と言わしめる、チームを厳しい要求と基準に引き込みつつも1つにまとめ上げた3年半を振り返る。
何度も惜しまれ、万雷の拍手と歓声を受けた。去り際の将は穏やかな表情の瞬間が増えていた。「選手とスタッフは自分のことをリスペクトし、信頼してくれて、厳しい要求にも応えてやってきてくれた。その成果がタイトルにも出た。本当にヴィッセル神戸に関わるみなさんに感謝したい」。自らがヴィッセル神戸の指揮を執る最終戦となったACLEリーグステージ第6節の成都蓉城戦後、吉田孝行監督はそう思いを語った。昨季までのJ1リーグ2連覇に天皇杯制覇。指揮官が率いた3年半は誰が見ても賞賛に値する実績を積み重ねた。2022年のシーズン途中、リーグ最下位での就任という逆境から強いチームを作り上げた。監督自身と選手たちの言葉を軸にこのチームを振り返る。
山川、佐々木、宮代を元日本代表勢に並び立たせた基準の正体
吉田監督はチームがピッチで表現するダイナミズムを走力、特にスプリントへの厳格な要求で成立させていた部分が大きいと、指揮官自身の言葉から感じていた。「うちは前からプレスに行って、どんどん後ろの人数が少なくなって、その穴をどこも狙ってくる。でも、例えばSBは釣り出されているんじゃなくて、『釣り出てでも奪いに行く』っていうくらいの感覚。それが我われの強み。そこでひっくり返されたら戻ってくればいい」。失ったボールを奪い返すべく、リスクを負ってでも圧力をかけ続けて相手を追い詰める。そうした即時奪回に向かう意識と相手への絶え間ないプレッシャーという基準は明確だった。それができないと試合には出られない。このサッカーは成立しない。どん底のチームを引き継いで残留に導き、翌年以降の大躍進につながった要因は、この一貫した追求にあった。
「できる選手はできるようになる。できない選手はずっとできない。俺のサッカーがわからないっていう選手も何人かいる。でも、本当に大事なものを主力がわかってくれているから、同じように一緒に発信できるから、そのうちにチームにどんどん引き込んで(人数を)多くしないと」と指揮官。勝利を積み重ねた3年半は、こうした選手への信頼とレベルアップを促す方針とで形作られた。大迫勇也、武藤嘉紀、酒井高徳ら元日本代表勢は要求された水準に加えて強烈な個の強さとパーソナリティを持っていた。22年に加入した扇原貴宏はボール保持で輝く特長を残しつつも走力を大きく伸ばし、主力に定着。縦横無尽の運動量を誇る井手口陽介も中盤を支えた。
日々の練習から遠慮なく要求し合う時間を積み重ね、チームは自信を深めていった。酒井は「うち以上に『一瞬気を緩んだらやられる』というプレッシャーや圧を感じることはない」と言い切る。「タイトルや優勝に常に飢えている。練習からそれを感じるからこそ常にモチベーションが高いし、それをやらないともちろん試合にも出られないし、監督はそこを強く言う。そういったチームのベースがあるところが、選手一人ひとりのモチベーションになっている」。決して妥協を許さないプロフェッショナリズムがリーグ連覇と天皇杯制覇につながり、ユニフォームに3つの星が増えた。
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Profile
邨田 直人
1994年生まれ。サンケイスポーツで2019年よりサッカー担当。取材領域は主にJリーグ(関西中心)、日本代表。人や組織がサッカーに求める「何か」について考えるため、移動、儀礼、記憶や人種的思考について学習・発信しています。ジャック・ウィルシャーはアイドル。好きなクラブチームはアーセナル、好きな選手はジャック・ウィルシャー。Twitter: @sanspo_wsftbl
