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指導者大国ポルトガルのUEFAプロライセンス取得コーチが語る、ポルトガルの指導力と日本人プレーヤーの魅力

2020.10.18

育成大国として選手はもちろん、数々の優秀な指導者を世に送り出しているポルトガル。同国の新進気鋭の指導者でUEFAプロライセンスを保持するルイ・サ・レモス氏に結城康平さんが直撃これまでの指導者キャリアからポルトガルの育成力の秘訣、そしてポルティモネンセ時代に指導した日本人選手たちの評価について語ってもらった。

18歳で指導者の道へ

――本日はインタビューを快諾していただきありがとうございます。まず、読者のみなさんに自己紹介をお願いします。

 「ルイ・サ・レモスと申します。ポルトガルのポルト出身で、サッカーの指導者をしています。18歳で本格的に指導者の勉強を始め、同時に育成年代の指導をスタートしました。UEFAで最高レベルのライセンスであるUEFAプロライセンスを取得しています。ポルト時代は幼少期の指導からスタートし、Bチームでもコーチを務めました。その後はポルティモネンセでアシスタントコーチを務めたこともあります」

――18歳で指導者キャリアをスタートしているというのは驚きです。そのような若い時期に指導者を志したのはなぜでしょう?

 「ポルトガルでは、サッカーは人々や社会に強い影響を与えるスポーツです。私は多くの名選手と名監督を見ながら育ってきました。1つの好例がジョゼ・モウリーニョですね。彼はポルトガル国民に勇気を与え、私にとっても理想的な指導者の1人です。サッカー指導者というのは、絶え間ない情熱とインスピレーションが必要な職業です。そのようにやりがいのある仕事をしてみたいと考え、本格的に指導者の道に進みました」

――18歳で本格的に指導者の勉強をスタートする前の時点で、すでに指導者のキャリアを心に描いていたのでしょうか?

 「子どもの頃からサッカーをプレーしており、コーチになろうと決めたのは15歳の頃でした。16歳から地元で少年チームの指導を始め、18歳でポルト大学に入学することになります。そこでビトール・フラーデ教授と出会ったことは、私にとって1つの転機でしたね。彼は圧倒的な知識量を誇り、私にとっても様々な学びを与えてくれました。昔から私は選手よりも指導者に魅力を感じており、競争に勝てるチームを作りたいと思い続けてきました」

――指導者としてのキャリアをスタートするきっかけは何かあったのでしょうか?

 「16歳から18歳の間、地元チームで実際の現場に携わったことですね。実際にプレーヤーを教える経験が、指導者となることのモチベーションを高めてくれました」

――現場での指導にこだわりを持っておられるレモスさんらしいコメントですね。話は変わりますが、将来の目標について聞かせてください。

 「世界中の様々な場所を訪れ、その地域に根付くサッカーへの情熱を感じてみたいと思っています。例えば南米のサッカーを観戦する時、我われは欧州のサッカーとは異なる刺激を受けることになります。日本のサッカーも同様で、彼らのプレーを観ると『日本文化』の奥深さを感じることができます。日本の選手は総じて技術的に優れており、組織的にプレーしています。個人的には、その2つの要素はチームにおける基礎だと考えています。もし日本人選手を率いれば、自ずと2つの要素を習得したチームになるのです」

――アシスタントコーチとしては若いことで、いろいろと難しい部分もあったかと思います。どのように問題に対処したのでしょうか?

 「プロ選手の尊敬を勝ち取るには、分析とコミュニケーションの両面に長けている必要がありました。経験は常に重要な武器ですが、アイディアと個性があれば若い指導者にもチャンスは与えられます。個人的には、若くして指導をスタートしたことは自らの成長を助けてくれたと考えています。

 個人的には、常に経験と知識が豊富な年長者を尊敬しています。しかし、指導の場では彼らと対等にならなければならないことも少なくありません。彼らの尊敬を得るには、コミュニケーションと知識が欠かせません。選手の質問に。常に的確に答えなければ、彼らの尊敬を得ることは難しいのです。だからこそ、私は徹底的に準備をしてきました。常にハードワークを続け、選手たちの問いに答える準備をしていく。これが私が考える、若手コーチが成功する方法です」

―― ポルト大学大学院で学び、現在は奈良クラブで活躍している林舞輝さんについて教えていただけますか?

 「話をしたことはないかもしれませんが、ポルト大学では有名でしたよ。ビトール・フラーデ教授と親しい、日本人指導者がいるという噂は聞いていました。彼が故郷から遠く離れた国で、戦術的ピリオダイゼーションという最新の理論を学んだという事実が、彼の聡明さを表しています。ポルトガルで指導者理論を学ぼうという決断自体が賢く、素晴らしいことだと思いますよ」

ポルトガルの「指導力」その秘密

――ポルトのユース時代に、現在アトレティコ・マドリーでプレーしているジョアン・フェリックスを指導されていたと聞いています。彼はどのような点で特別だったのでしょうか?

 「フェリックスはボールを持つスキルも優れていますが、何より特筆すべきは賢さです。ポルトのアカデミーが最も重視する部分において、彼は飛び抜けていました。判断力を磨くには、トレーニングから選手に判断させなければなりません。そうするには、自ら判断させるトレーニングをデザインする必要があります。フェリックスは、その素晴らしい例ですね」

レモス氏がそのインテリジェンスを高く評価するジョアン・フェリックス(右)

――ビトール・フラーデ教授が提唱する、戦術的ピリオダイゼーションの基本思考ですね。その理論について、もう少し説明していただけますでしょうか?

 「私は戦術的ピリオダイゼーション理論の信奉者であり、フラーデの思考を深く理解していると自負しています。プロフェッショナルのレベルで適応する戦術的ピリオダイゼーション理論は、主に3本の柱によって成り立っています。


1. 週ベースでチームを管理するサイクル。週末の試合に向けてチームのフィジカル面が仕上がり、戦術的に準備万端な状態に整えるトレーニングです。これを『水平的なバリエーション』と呼びます。水平方向に週間のスケジュールが組まれており、そこには日ごとにバリエーション豊富なトレーニングがデザインされています。

2. 発展は直線ではない、という思考。人間の成長は非線形なメカニズムとなっており、それを理解しなければなりません。例えば広いスペースでのトレーニング後に、狭いスペースでのトレーニングを計画したとします。それによって選手は狭いスペースで思考速度を速くしなければならないでしょう。逆に狭いスペースでトレーニングした後に、広いピッチでのトレーニングを組むこともあります。これによって、選手はスペースの活用法を知るはずです。このように2つの異なったトレーニングの方向が、どちらも選手の発展に寄与しています。この例を考えると、人の成長というのは単純なものではありません。

3. 『傾向』を調整するという考え方も重要です。トレーニングデザインは、開かれた文脈をベースに考えなければいけません。文脈が開かれていることで、選手は自らのプレーを選択することが可能です。ただ、トレーニングによって選択を正しい方向に導いてあげる必要があります。これが『傾向』のコントロールです。単純な例を考えてみましょう。相手チームがボックスの外からしか得点を決められないゲームでは、ブロックを狙う必要がある守備側のチームは相手との距離を詰めなければなりません。そのように、選手に求めているプレーを選択させていくのです。あくまで流動する試合の中で、選手の判断力を鍛えることが重要なのです」


――戦術的ピリオダイゼーション理論を学んだ指導者は、世界中で活躍しています。特にポルト出身者は欧州中に散っています。それはなぜなのでしょうか?

 「ポルトからは、多くの成功者が育っていきました。彼らの背中を追いながら、選手を育成する方法論を叩き込まれるポルトの環境は最高です。ポルトガル人指導者は情熱的で、試合を学ぼうという好奇心も旺盛です」

――ポルトガル人の若手選手も魅力的です。

 「良質な指導者が、良質な選手を輩出する。最高のサイクルだと思いませんか? ルベン・ネベス(ウォルバーハンプトン)、ディオゴ・ジョタ(リバプール)、ジョアン・フェリックス(アトレティコ・マドリー)、ジオゴ・コスタ(ポルト)……再び、ポルトガルには黄金世代が訪れてきています」

――ポルトガルの指導者教育は、何が特別なのでしょうか?

 「アカデミックな教育は、試合で発生していることを正しく解釈するベースになっています。あとは、やはりポルトガル人指導者の圧倒的な情熱でしょうか。我われは24時間サッカーのことだけを考えている民族であり、指導者は膨大な時間をサッカーに捧げています。ジョゼ・モウリーニョは情熱とアカデミックな知識を融合した人物であり、彼のような指導者が次々と現れています」

――その凄まじい情熱は、どこからくるのでしょうか?

 「やはり、歴史だと思います。ポルトガルはもともと労働者の文化が色濃く、ハードワークを好む国民性です。それに加えて、ポルトガル人はサッカー中毒です。試合を観ていれば辛さは吹き飛びますし、それは6歳や7歳の頃から我われの脳に刻まれています。ストリートでボールを夢中で蹴った頃から、私たちはサッカーというスポーツの虜なのかもしれません」

――ポルトガルの育成における絶対の掟を教えてください。

 「良質な指導者は不可欠であり、有能なスカウトも重要です。しかし、最も重要なのは『待つ』文化です。花が育つのに時間をかけるように、選手も時間を経て成長します。5年~10年、才能が花開くには時間が必要です。そこを焦らずに待つことは、何よりも大切です」

日本人選手への評価

――あなたは、ポルティモネンセ時代に中島翔哉・権田修一・安西幸輝を指導しています。彼らの強みについてお話していただけますか?

 「中島翔也や食野亮太郎(現リオ・アベ所属)のように、スピードと技術面に優れた日本人アタッカーは魅力的です。そして、彼らは非常にチームのことを考えている。私は中島を常に『チームプレーヤー』として評価していました。あれは南米やヨーロッパのアタッカーにもない、彼だけの武器です」

――興味深いご意見ですね。代表チームでは中島のドリブルは、強引だと評価されることもありますが……。

 「そのような意見は信じられませんね。中島は常に勝利を求めており、抜群に賢い選手です。彼が強引にプレーをしている時は、それがベストの選択になってしまっているのではないでしょうか? 彼は自己中心的なプレーヤーではなく、私が指導した時にはボールを引き出すような動きやパス、クロスでチームの攻撃を牽引していました。

 指導した私が自信を持って保証しますが、中島は非常に賢い選手です。常にチームにとってベストになる選択肢を探し続けています」

レモス氏が「聡明な選手」だと評価する中島

――彼らのメンタリティについてはいかがでしょうか? 日本人はシャイで、ヨーロッパ的なコミュニケーションには馴染みづらいという定説もありますが。

 「環境への適応は、一つの才能です。例えば中田英寿や中村俊輔、稲本潤一は見事にヨーロッパの地に適応していました。私が指導する中で抜群だったのは権田ですね。彼は欧州の複数言語をしゃべれることで、ヨーロッパの地にたやすく適応していました。彼はオープンな性格であり、賢い選手でしたよ。彼のような選手が増えれば良いな、と思っています。

――久保建英は欧州で育つことで、素晴らしい選手になりました。このように若いうちから欧州に渡ることについてはどのようにお考えでしょうか?

 「メンタリティ次第ですね。若い選手にとって『精神的な準備が終わっているか』は鍵になります。適応プロセスはトップ選手であっても難しく、タフなものですから。若い選手のメンタリティを鍛えるには、ポジティブなフィードバックが要になります。選手に欧州でもプレーする自信を与えられるかが、指導者の重要なタスクになるかもしれません」

Rui Sá Lemos
ルイ・サ・レモス

名門ポルト大学を卒業後、ポルトのユースチームでコーチに就任。その後もU-15、U-19、Bチームと順調に出世を続けた若手ポルトガル人指導者。戦術的ピリオダイゼーション理論の信奉者であり、30歳の若さでUEFAプロライセンスを取得している。2020年1月までポルティモネンセを指導したアントニオ・フォーリャに高く評価され、彼の下でアシスタントコーチを務めた。

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ビトール・フラーデ戦術的ピリオダイゼーション育成

Profile

結城 康平

1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。

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