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[PR]バルセロナとブラジル――別々なのにどこか似ているサッカー界の巨頭

2020.04.24

クラブ哲学として掲げる流麗なパススタイルで史上唯一2度の3冠を達成するなどクラブシーンのトップを走るバルセロナと、「ジンガ」という言葉に象徴される華麗なアタッキングサッカーで歴代最多5度のワールドカップ制覇を遂げているブラジル。

長らくサッカー界を牽引してきた両雄の、歴史を振り返ると見えてくるちょっと意外にも思える関係性と共通項について、西部謙司さんに紐解いてもらう。

千両役者の“4R

 バルセロナは創設当時からインターナショナルなクラブだった。創立者からしてスイス人。現在、トレーニングセンターにその名が付いているジョアン・ガンペールは、ハンス・ガンパーをカタルーニャ風に読み変えたものだ。

 バルサで活躍した外国人選手はたくさんいるが、ヨーロッパのビッククラブとしてはブラジル人が意外なほど少ない。

 最初に名を遺したブラジル人はエバリストだ。1957年にフラメンゴから移籍してきたFWで、114試合に出場して78得点。2度のリーグ優勝とフェアーズカップ優勝(現在のUEFAヨーロッパリーグのルーツ)に貢献した。しかし、1962年にライバルのレアル・マドリーに移籍している。この件でブラジル人の信用がなくなったのかどうかはわからないが、次のブラジル人登場まで30年間も経過している。

 その間、ラディスラオ・クバラ、ヨハン・クライフ、アラン・シモンセン、ディエゴ・マラドーナ、ベルント・シュスター、ミカエル・ラウドルップなど、数多くの外国人の名手が活躍しているのだが、ブラジル人はいない。

 1993年、ロマーリオが加入する。ようやく2人目のブラジル人だ。

 ヨハン・クライフ率いるドリームチームに加入したロマーリオは、33試合で公約通りの30ゴールを達成。短い距離のスプリント能力が図抜けていて、空中で“エラシコ”をやるほどボール感覚は抜群、サッカー史上でも最高のゴールゲッターと言っていい。レアル・マドリーを5-0と粉砕した一戦での先制点は忘れがたい。インサイドにボールをくっつけたまま半回転してDFを抜き去り、得意のトゥキックで決めた。ドリームチームのピークを象徴するシーンである。

ロマーリオ

 ところが、ロマーリオは実質的には1シーズンしか稼働していない。2年目は1994年アメリカワールドカップ優勝で合流が遅れ、1月にはフラメンゴへ移籍してしまった。

 ロマーリオに続いて、PSVからバルサにやって来たロナウドも衝撃的だった。疾風のように駆け抜け、1人でゴールを量産した。ボビー・ロブソン監督の「戦術はロナウド」発言は無理もない。ハーフウェイライン付近でボールを渡せば、そのままシュートまで持っていってしまうのだ。戦術はいらなかった。ただ、ロナウドも1シーズンでインテルへ移籍している。

ロナウド

 ロナウドの後釜としてデポルティーボから獲得したリバウドは、ようやく長続きしたブラジル人になる。5シーズン在籍してリーグ優勝2回に貢献したが、ハイライトは2000-01シーズンの最終節だろう。CL出場権を懸けたバレンシア戦、リバウドはトレードマークのFKとミドルシュート、そして89分のオーバーヘッドシュートで圧巻のハットトリックを達成、3-2の勝利に導いた。

リバウド

 2003年、2人目のロナウドがやって来る。最初のロナウドは当初ロナウジーニョと呼ばれていた。2人目のロナウドはずっとロナウジーニョで定着した。ちなみにロマーリオ、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョはすべて頭文字がR。2002年ワールドカップでブラジル優勝の原動力となった3R(ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ)は全員バロンドール受賞者で、ロマーリオも1994年に受賞資格があれば獲っていただろう(編注:バロンドールの受賞対象が欧州国籍以外のUEFA加盟クラブ所属選手に拡大されたのは95年から)。

 ロナウジーニョは陽気なキャラクターと自信満々のプレーで観衆を喜ばせ、それまでの停滞したムードを吹き飛ばしている。超絶技巧の数々を披露しているが、中でも印象的だったのはCLでのチェルシー戦のゴールだ。対面のリカルド・カルバーリョをサンバのステップで金縛りにしてからのトゥキック。これぞジンガ、これぞブラジルのスーパーゴールだった。

2004-05シーズンのチェルシー戦で、マケレレとマッチアップするロナウジーニョ

 バルサのブラジル人たち、ロマーリオ、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョは、いずれも1人で全部持っていってしまう千両役者だった。

バルセロナがブラジル人に求めたもの

 ポジション別に見ると、4Rを含むFWが多い。ロナウドと同時期に移籍してきて10番をつけていたジオバンニ、万能型のCFだったソニー・アンデルソン、そしてネイマールがいる。

 GKは現役のネトだけ。DFもダニ・アウベス、アドリアーノ、マクスウェル、シウビーニョとほとんどがSBだ。MFはロナウジーニョとコンビを組んだデコがいるが、彼はポルトガルに帰化している。チアゴ・アルカンタラも父親はブラジル代表だが本人はスペインを選択した。チアゴ・モッタもイタリア代表。純粋なブラジル人MFとなると、守備的な役割をこなしたエジミウソン、パウリーニョ、現役のインテリオール、アルトゥールぐらいしかいない。

 ライバルのレアル・マドリーは「FWのサッカー」、バルセロナは「MFのサッカー」と言われる。だが、看板のパスワークに関してはあまりブラジル人が絡んでいないのだ。バルサがブラジル人に期待したのは、精緻なパスワークを得点に変換する役割だったのだろう。

 2013年、レアルとの競争を制して獲得したネイマールは、ポスト・メッシ時代のスターと見込まれていた。リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマールのMSNは2014-15シーズンに猛威を振るい、国内リーグとカップ、CLの3冠を達成。3人で122ゴールを叩き出した。2016-17のCL、ラウンド16ではパリ・サンジェルマンにアウェイで0-4と敗れた後のホームで、6-1の大逆転勝利を収めたが、2ゴールのネイマールは史上最大の逆転劇のヒーローだった。その後、パリSGに移籍しているがバルサ復帰の噂は毎年取り沙汰されている。

ネイマール

 バルセロナとブラジル代表のプレースタイルには、圧倒的なボールポゼッションという共通点がある。また、底に流れる反骨精神も似ているかもしれない。

 バルセロナは市民戦争以来、独裁政権の監視下にあった。一時期はカタルーニャ語の使用すら禁じられていた。独立の気運は常に潜在していて、FIFA,UEFA非加盟ながらカタルーニャ代表チームも存在する。モットーの「クラブ以上の存在」に、カタルーニャの象徴としての自負がうかがえる。

 ブラジルはかつて白人しかサッカーができなかった。やがて黒人選手が台頭し、彼らのソウルと言える「ジンガ」を有した選手が活躍するようになった。ジンガは黒人奴隷の間で広まった格闘技カポエイラの足さばきを指すが、それはサッカーにおけるドリブル、フットワーク、インスピレーションに昇華していった。ペレ、ガリンシャからロナウジーニョ、ネイマールに受け継がれているジンガにはもともと反逆の精神が流れている。

 圧力に対しての自己主張の強さは、バルセロナとセレソンで美しく洗練されたスタイルに結びついた。他にはマネのできない、唯一の価値。プライドとともに独自のスタイルが形成されている。

 ただ、それは偶然の一致だ。どちらも非常にテクニカルで洗練されているが、バルサのスタイルがセレソンに影響を与えたわけではなく、バルサのブラジル人たちも個人技によるフィニッシュワークでの多大な貢献はあっても、バルサスタイルの根幹には関わっていない。バルサのルーツはオランダで、こちらはまた別の反逆のルーツがあるのだが、考え方としてはブラジルとは真逆の理詰めのサッカーである。

 バルセロナとセレソンは別々に存在している。別々なのにどこか似ている。微妙な距離感を保ったまま、ともにサッカー界の巨頭同士なのである。

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バルセロナとブラジル。クラブと代表、それぞれで世界のトップを争う両雄が、同じピッチに立ち相まみえる――1999年、バルセロナの創立100周年記念試合で実現した伝説の一戦がWOWOWで特別放送される。

当時のバルセロナにはのちに監督としてチームを率いることとなるペップ・グアルディオラとルイス・エンリケをはじめルイス・フィーゴ、フランク・デ・ブール、パトリック・クライファートやデビューして間もないシャビ・エルナンデスらが在籍。対するブラジル代表もロマーリオ、ロナウドに当時バルセロナ所属だったリバウドの3Rをはじめロベルト・カルロスら豪華メンバーがそろっている。

普段は決して見ることができない、両巨頭の激突を堪能してほしい。

<番組情報>

『バルセロナ創立100周年記念試合 バルセロナvsブラジル代表』

5月5日(火・祝)夜6:00 WOWOWライブ

『一挙放送! ラ・リーガ 伝統の一戦クラシコ』

幾多の名勝負を生み出してきたクラシコを、4月25日(土)から36試合一挙放送!

放送に関する詳しい情報はWOWOWサッカー公式サイトをご確認ください。
https://www.wowow.co.jp/sports/liga/

Photos: Reuters/AFLO, Getty Images

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。