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何がビクトル・バルデスの引退を早めたのか?GKの重圧と孤独についての仮説

2019.04.12

当代屈指のGKはなぜ“踏ん張れ”なかったのか?

ここに書いていることは私の仮説である。真相は本人にしかわからない。だが、ビクトル・バルデスの残した言葉を読むと、なぜ突然、幕を閉じるような別れ方をしたかがわかるような気がするのだ。

GKは孤独だ。特に、それを愛せなかった者にとっては――。

 ビクトル・バルデスは2018年1月1日、Twitterに「みんないろいろありがとう」とメッセージを出した後ですべてのSNSアカウントを閉じ、公の場から姿を消した。それが彼の引退宣言だった。

 2016-17シーズン、ミドルスブラでのパフォーマンスは悪くなく、前年夏、契約解除をした際には恩師グアルディオラのいるマンチェスター・シティ行きの噂が流れたほどだった。36失点は不本意だろうが、プレミアリーグで28試合プレーできたというということは、引退はバルセロナ時代に負った右膝十字靭帯断裂の大ケガのせいではなかった、ということだ。

 ケガから立ち直った選手も、ケガの後遺症から立ち直れなかった選手もいる。ビクトルの場合もケガ以降のパフォーマンスに納得していなかったのかもしれない。だが、直前まで第一線でやれていたのにあっさりと、世界との接点を一挙に断ち切るような不可解な形で、選手生活に終止符を打った彼に対しては、どうしてなのか? もっとやれたのではないか? という疑念を振り払うことができない。

 思い当たるとすれば、そうか、やっぱり彼はGKが嫌いだったのか、ということだ。

 ビクトルはGKになりたくなかった。

 「生まれ変わったらGKには絶対にならない。苦痛が大き過ぎて報われない」とまで言っている。「仲間の失望の表情と非難の視線に耐えられなかった」からだ。

自分のためでなく周りのためにプレー

 FWは何度ミスをしても許されるが、GKは一度のミスが許されない。ゴールの少ない競技で最後の砦であるGKは、他のポジションにはない重圧にさらされる。それが子供時代のビクトルの目には不当な扱いに映り、GKが嫌いになった。それでもGKであり続けたのは、父と兄に「タレントがあると説得させられ」「その期待を裏切りたくなかった」のと性格的に「鍛錬するのが好きだった」から。つまり、ビクトルは自分のためではなく周りのためにプレーしていたのだ。嫌々やって世界有数のトップアスリートに成長したというのは、私は聞いたことがない。

 「8歳から18歳までは特に苦しかった。なぜ嫌いなことをやらないといけないのか常に自問していた」彼は、18歳の時に一度サッカーを辞める決心をするが、心理カウンセラーの助けで思い止まる。トップデビューはその2年後だった。

 そこからの彼の輝かしいキャリアのことは紹介するまでもない。だが、その裏で内心の葛藤は続いていた。「週末が怖かった。ミスをするのではとパニックになっていた。90分間酷い思いを続けるような人生に意味はない」とまで彼を追い込むようになっていた。

デビューシーズンとなった2002-03のV.バルデス。デビュー後しばらくは「重要な試合でミスを犯す」と評されたが、シュートストップ力と足下の技術を高次元で兼備するGKとしてバルセロナに不可欠な選手へと上り詰めた

 ミスが怖いのならミスをしないGKになればいい、というふうに発想し、さらに厳しい鍛錬に挑んだ。だが、恐怖や嫌悪などネガティブな感情を成長への原動力にし続けるのには、やはり無理がある。

 絶頂期にあった2013年1月、彼はバルセロナを飛び出す決心をし、その理由を述べた会見で「私は信頼されていなかった」「GKについて意見できるのはグラウンドにいる者だけだが、今なら、私を信じていない、と言われても驚かない」などの攻撃的な言葉で、和解の余地がない事実上の三行半を突きつける。周りのためにプレーしてきた彼が周りに耐えられなくなった時、子供時代から抑えつけてきたもの――GKを不当に扱う周囲への怒り――が爆発したのだろう。

ロベルト・エンケにも繋がる孤独

 退団を控えた2014年3月、右膝の十字靭帯を断裂し予定されていたモナコ移籍は破談になる。このキャリア初の大ケガについて、ビクトルはこんなコメントを残している。

 「膝が壊れるのはわかっていた。うまく行き過ぎていたのだから、壊れるのは当たり前だ」

バルセロナ後のキャリアを大きく変えることになったセルタ戦、担架で運ばれるV.バルデス

 “自業自得”とも読み取れる言葉からは、自分の気持よりも周囲の期待を優先した自分への嫌悪感とか後悔のようなものが伝わってくる。8カ月間のリハビリを頑張り、マンチェスター・ユナイテッドから声をかけられるも当時監督だったルイス・ファン・ハールと衝突。スタンダール・リエージュを経て、ミドルズブラで見えた希望の灯を気まぐれに見える格好で吹き消したのも結局は、プロGKとしての自分を好きになり切れなかったからではないか。

 GKは孤独である。鬱病に苦しんだロベルト・エンケも周りには理解されないと思い込み、一人で人生の幕を閉じた。「不当に責められるというGKの孤独感が、人生にも少しずつ伝染していった」というビクトルの言葉は、そのままエンケのケースに当てはまるのだろう。GKという存在への無理解による、我われの残酷さに恐ろしくなる。

内心の葛藤を抑圧し、嫌悪を原動力としてプロへの道を上っていった。靭帯断裂で「所属チームなし」となって離れていった者もいて、人間不信にもなった。「子供は嘘をつかない」という彼は、昨夏からマドリッドの無名クラブのユースを指揮している。第二の人生は、プレッシャーのないところでサッカーを楽しんでほしい

Víctor VALDÉS
ビクトル・バルデス

1982.1.14(37歳)元GK SPAIN

2002-14 Barcelona
2015-16 Manchester United (ENG)
2016 Standard Liege (BEL) on loan
2016-17 Middlesbrough (ENG)

Photos: Getty Images

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Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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