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ドルトムントを復活させた“フロント補強”とは?

2019.03.27

夏にウスマン・デンベレ、冬にはピエール・エメリク・オーバメヤン。中核をなす選手の相次ぐ流出は、昨シーズンのドルトムント不振の主因として挙げられた。ただし、彼らの移籍は単なる戦力ダウンというだけでなく、舞台裏で起こったモラル崩壊の一端でもあったという。そして、チームの危機を受け断行した組織改革が今シーズンの好調を導いている。

 ブンデスリーガで首位を争うドルトムントの好調は、ファブレ監督の手腕だけが理由ではない。フロント陣の大改革にも秘密がある。ハンス・ヨアヒム・バツケCEOとミヒャエル・ツォルクSDを助けるために、昨年春にマティアス・ザマー(チーム外部にいるコンサルタント役)が、同夏にセバスティアン・ケール(プロ部門責任者)が加わったのだ。

 昨シーズン、ドルトムントは成績だけでなく規律面でも危機に陥っていた。開幕直後にウスマン・デンベレが練習をボイコットしてバルセロナ行きを強行し、冬にはオーバメヤンがミーティングを無断欠席してアーセナルへ移籍した。これが他の選手に影響しないわけがない。ラファエル・ゲレイロら複数の選手がスタッフを“使いっ走り”にしてスーパーへ買い物に行かせ、ダン・アクセル・ザガドゥはドイツ語の授業を繰り返しさぼった。何より、チーム練習に遅刻する選手が増加。もはやプロの集団ではない。

 背景にあるのは、ツォルクSDの多忙だ。彼はのちに『キッカー』誌のインタビューでこう振り返った。「近年、移籍市場がより複雑になっている。それに時間を取られ、チーム内にネガティブな状況が生まれていることに気づくのが遅れてしまったんだ」

「バイエルンを本気で倒す勇気を」

 もはや内部の人間では空気を入れ替えられない。そこで抜擢されたのが、ザマーとケールの2人だ。ザマーにはすでに実績がある。2006年にドイツサッカー連盟のSDに就任すると、始まっていた育成改革を加速させエリートシューレ制度を立ち上げた。さらに、2012年夏にバイエルンのスポーツ部門の取締役に就任すると、あらゆる面で細部にこだわった改革を行い、初年度に3冠を勝ち獲った。彼はバイエルン時代にバツケと壮絶な“舌戦”を繰り広げたが、もともとはドルトムントで選手と監督を経験したレジェンドであり、2人は旧知の仲。再び急接近し、ザマーの「もうクラブの中には入りたくない」という希望が聞き入られて外部からアドバイスするコンサルタントという形に。月に2回のペースで幹部会議に参加している。

 選手時代にツォルクとザマーが不仲だったことが心配されたが、ザマーはこう否定する。

 「権力争いをしている場合ではない。全員がクラブの未来のために戦わなければならない。私はこれまで取締役、SD、監督、すべてを経験した。だから全員の気持ちがわかる」

 ツォルクも「もちろん常に意見が一致するわけではないが、健全な議論がチームを良くしてくれるんだ」と歓迎している。

 一方、選手とのパイプ役として活躍しているのが、元キャプテンのケールだ。2015年に現役を引退した後、ハワイ、カナダ、キューバ、インドなど約4カ月間の旅に出て人生を見直したケールは、UEFA主催の修士課程に通ってスポーツマネジメントの修士号を取得。さらに指導者ライセンスも取得し、満を持して古巣に戻ってきた。ツォルクが「生まれながらのリーダーで、コミュニケーション能力が高い」と評するように、ケールがいるだけで空気が引き締まる。OBのロマン・バイデンフェラーは「今の好調はケールの働きが大きい」と絶賛している。

今シーズンからドルトムントのフロント入りしたセバスティアン・ケール

 ツォルクが強化に集中できるようになったことで、昨夏の補強は大成功した。「中盤に高さと強さが足りない」と考えデラネイを補強し、さらに中国でプレーしていたウィツェルを口説き落とした。ツォルクは言う。

 「私たちは、まだ実績を残していないトップタレントが集まり、彼らが成長するクラブになることを目指している。だが、マニュアル人間になってはダメだ。今までの方針ではウィツェルの獲得は考えられなかった。自分を型にはめてはいけない」

 タレントのためのクラブという名刺を持ちながら、実績のある選手をピンポイントで加える。この新たな方針によって、競争力を取り戻した。

 ザマーは勝利のメンタリティの塊で、「バイエルンを本気で倒す勇気を持とう」と訴えている。野心にあふれるフロント陣が確立されたことで、ドルトムントに新たな黄金時代が到来するかもしれない。

Photos: Bongarts/Getty Images

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Profile

木崎 伸也

1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。