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スポーツ選手は“強く”あるべき? メルテザッカーの“独白”への賛否

2018.05.16

引退を前に吐露した心の闇。愚者か、それとも勇者か


去る3月、今シーズン限りでの現役引退を表明していたアーセナルDFペア・メルテザッカーが母国メディアに明かした“告白”が、ドイツを中心とした欧州サッカー界で注目を集めた。

ドイツ代表として歴代8位となる104試合に出場し、2014年ブラジルW杯では優勝を経験。傍から見ればうらやむばかりの栄光を手にしたその裏では、心を覆う深い闇に苛まれていたのだという。

ややもすると“ヒーロー”としての姿にばかりスポットライトが当てられ、美化されがちな現代のスポーツ選手たちを蝕む「精神的重圧」について再考する。

 世界中の何百万という子供たちが、将来欧州のビッグクラブでプレーすることを夢見ている。だからこそ、その夢を叶えた人間に実はどれだけ苦しんできたか語られると、困惑してしまう。

 アーセナルのキャプテンで、2014年W杯優勝メンバーであるペア・メルテザッカーが、『シュピーゲル』誌で自分の輝かしいキャリアの陰の面を明かし話題となった。長年大きなプレッシャーに苦しみ、出場した600を超えるゲームのほとんどの試合前に吐いたり、下痢をしたりしていたというのだ。

W杯敗退に“せいせい”した

 「サッカービジネスで求められるのは、楽しむことではなく無条件で最大のパフォーマンスを発揮すること。ケガをしていたとしてもだ」

 「もう完全に嫌になった」とも語る33歳のDFは、ベンチかメンバー外になるとホッとさえするという。

 よりにもよって、穏やかな性格で厳しい批判にさらされたこともなく、常に高評価を得て誰からも称賛されてきた選手が突然こう打ち明けたことで、社会とサッカー選手との向き合い方について議論が起こっている。

 特に印象深いのは、2006年W杯の回想である。ドイツ中みんなが幸せに酔いしれ、準決勝でイタリアに敗れた後はみんなで悲しんだ自国開催の大舞台。だが、メルテザッカーは悲しいどころか心底“せいせい”したという。「おしまい、おしまい。やっと終わった」と。弱いところを見せるのはいまだにタブーであるサッカー界からは、この発言に激怒する声が上がった。

 その一人がローター・マテウスだ。「メルテザッカーは辞めることもできた」と言い放った元ドイツ代表は、メルテザッカーが今季終了後アーセナルのユースアカデミー責任者に就任予定であることを持ち出して「どうやって若い選手たちにプロフェッショナルなあり方を教えるつもりなんだ。できっこない」と一刀両断。すると、そのマテウスに対して今度は『シュピーゲル』電子版が応戦する事態となった。

 他には、「年俸数百万ユーロももらっている奴に、自分が苦しんでいるなんて言う資格はない」というありがちな反応もあった。さらに、『ミュンヒナー・メルキュール』紙は「メルテザッカーは、例えば看護の仕事でもしてみるといい。本当のストレスがどんなものであるかを経験できるだろう。または精神科に診てもらうといい。同情には限りがある」と否定的に論じた。

 しかしメルテザッカーは、チームという集団としての体験、スタジアムでの緊迫感、金の魅力といったサッカーの魅惑と刺激を認めつつ、その一方にある苦しみとの間で行ったり来たりする自らの偽らざる心情を吐露しているのだ。「毎試合前に吐いても、20回リハビリをやらなくてはならなくても、私はサッカーをするだろう」と。

 ゆえに、理解を示すポジティブな反応も多い。彼の告白を「この世界では数少ない、正直な瞬間」と評価した『ターゲスツァイトゥンク』紙は、「メルテザッカーは、プロ選手として感じる重圧と苦悩、失敗することに対する恐れを明かした。その正直さには驚きを禁じ得ない。そしてこのことは、サッカー界がロベルト・エンケの悲劇以降も、根本的にまったく変わっていないことの証左である」と指摘する。

 ドイツ代表だったGKは重いうつ病に苦しみ、09年に電車に飛び込んで自ら命を絶った。ドイツサッカー界は戦慄し、当時のDFB会長テオ・ツバンツィガーはエンケの棺の前でこう誓った。

 「メディアが伝える、表面をなぞっただけの情報に踊らされるな。人間の内面にまで目を向けよう。サッカーがすべてではない」

 しかし、結局何も変わらなかった。

サッカー界だけの問題ではない

 出来の悪い選手を容赦なく批判する大衆紙『ビルト』でさえ、「サッカーという残酷なビジネスの核心を突く、初めての人間だ」とメルテザッカーの勇気を褒め称える。

 ちなみに、このメルテザッカーのインタビューが掲載されたその日にまたしても負けたハンブルクでは、「お前たちの時間は過ぎた。お前ら全員捕まえるぞ!」と書かれた墓用の十字架が11本、練習場に並べられるという“事件”もあった。

 敗者は叩きのめしていいのがサッカーである、人生の多くの他の分野もそうであるように。ゆえに『ターゲスシュピーゲル』紙が、今回の議論の中に社会問題を読み取ろうとするのも当然のことである。

 「近年、自らを取り巻く環境が大きく変わった多くの人たちに向けて、メルテザッカーは魂を込めて語っているのだ。商業化、グローバル化、デジタル化によって外圧が高まり、それに苦しむ人たちが増えている」

 決して多くはないかもしれないが、メルテザッカーのおかげで、恵まれた生活を送るサッカー選手たちも傷つきやすい人間であることに気づいた人もいるだろう。私たちジャーナリストも、選手を評価したり批判したりする時、もう少し心を配るべきではないだろうか。

今回の注目記事
「マテウス氏よ、鏡を見てみるがいい」

サッカーはハードでプロフェッショナルな男たちのスポーツであり、繊細な人間がやるものじゃないと“根性論”を振りかざす昔気質のマテウスに対し「なぜ彼がビッグクラブの監督になれないかがわかる」「メルテザッカーのように自分を省みることができる人物こそ育成指導に適任。彼のような人間がいるから世界は変わるんだ」と猛反撃。(『シュピーゲル』電子版 2018年3月11日)

Photos: Getty Images
Translation: Takako Maruga

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アーセナルドイツペア・メルテザッカー

Profile

ダニエル テーベライト

1971年生まれ。大学でドイツ文学とスポーツ報道を学び、10年前からサッカージャーナリストに。『フランクフルター・ルントシャウ』、『ベルリナ・ツァイトゥンク』、『シュピーゲル』などで主に執筆。視点はピッチ内に限らず、サッカーの文化的・社会的・経済的な背景にも及ぶ。サッカー界の影を見ながらも、このスポーツへの情熱は変わらない。

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