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シティ新加入のイリマン・エンジャイは不屈のドリブラー(後編)。エバートン史に名を残してなお突き進む“個性”の本質

2026.09.22

夏の移籍市場が閉幕を迎えた9月1日、エバートンは10番を背負うイリマン・エンジャイのマンチェスター・シティへの完全移籍を発表した。26歳のセネガル代表FWに対して値づけされた最大6500万ポンド(約140億円)とも報じられる移籍金は、在籍中の公式戦74試合17ゴール4アシストという数字だけでは語り尽くせない彼の魅力を表している。その不屈のドリブラーの物語を、エバートンFC公認サポーターズクラブ「エバートンジャパン」で代表を務めるBF氏が前後編に分けて紐解く。

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英7部で武者修行後は戦力外も…シェフィールドUでの転機

 2019年夏、地道な努力が大きな実を結び、シェフィールド・ユナイテッドへ加入することになったエンジャイ。まずは実戦経験を積むため、当時7部相当(ノーザン・プレミアリーグ)のハイド・ユナイテッドへ期限付き移籍に出された。

 当時のシェフィールド・ユナイテッドの育成年代から一歩進んだ「結果が求められるプロとしてのフットボール」に適応するためのファーストステップだった。フィジカルコンタクトが極めて激しく、ピッチコンディションも劣悪なノンリーグの舞台で揉まれることにより、華奢だった体の使い方や、相手のファウルを受け流す術を身につけた。体幹の強さはエンジャイの大きなウリの1つ。エバートン在籍時にも、外壁や地面との間に挟んだバランスボールに体重を乗せる不安定な体勢でも左右両足でボールを返したり、手を使わずに起き上がったりと自在に体を動かす自宅でのトレーニング動画が話題となった。

 そんなエンジャイだが、経験を蓄積する一方でクリス・ワイルダー監督のファーストチームになかなか割って入ることができず、当初は忍耐を強いられた。トップチームへの壁は依然として高くそびえ立ち、当時のチームは[3-5-2]のシステムを採用した経緯もあり、ウイングを本職とするエンジャイには居場所がなかったのである。最初の2シーズンでトップチームでの出場はわずか1試合だった。

 しかし、ワイルダーの後任として短期間チームを率いたスラビシャ・ヨカノビッチのもとでエンジャイの歯車が再び回り始めた。このセルビア人指揮官はエンジャイにシニアレベルでの定期的な出場機会を与えた。そのきっかけにより、才能が真に開花したのは後任のポール・ヘッキングボトムの存在が挙げられる。当時を振り返るヘッキングボトムのインタビューは印象的だ。

 「私がシェフィールド・ユナイテッドに来た当時、彼にはトップチームへの道筋がほぼありませんでした。『どこか他のクラブを探して移籍させられないか?』と言われていたほどです。ですが、彼と一緒に2〜3週間トレーニングをした後、私の心の中ではっきりと確信しました。『彼はどこにも行かせない、絶対にだ』とね」

プレミア昇格にカタールW杯出場も!“冷徹な点取り屋”としての覚醒

 ヘッキングボトムはエンジャイの戦術眼やワークエシックを高く評価し、10番やウイングから2トップの一角へとコンバート。ハイドへの期限付き移籍を経て、「何かを模索していた時期」だったと語る指揮官はそれまで“魅せる技術”に秀でたエンジャイを“冷徹な点取り屋”へ変貌させるための試行錯誤を繰り返したという。コーチのジャック・レスターとともに、自陣深くからボールを持ちたがるエンジャイの癖を矯正し、「2本のゴールポストの間」に入り込んでタップインを決めるような、ストライカーとしての得点本能を徹底的に叩き込んだ。

 近年ではウイングでプレーすることがほとんどなエンジャイだが、ヘッキングボトムはエンジャイをあくまでもストライカーとして評価している。

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Profile

BF

1990年生まれ。愛知県在住。高校時代、ミケル・アルテタのプレーに心を奪われたことがきっかけでエバートンのファンに。WEBメディア『ディアハト』の編集部に所属し、魅力を発信するためnoteやSNSを中心に活動中。3代目エバートンジャパン代表として観戦会なども企画・運営する。

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