川越からパラグアイへ。破天荒なサバイバルで触れた人情に救われて。元サッカー選手芸人・マリンボブの南米挑戦記(前編)
10月に日本代表と親善試合を戦うことが決まったパラグアイ。この北中米W杯南米予選で4大会ぶりの本戦出場に王手をかけている中堅国でのプレー経験を、YouTubeショート動画で笑いに変えて100万回再生を達成した男がいる。サッカー選手から芸人へと転向した吉本興業所属のマリンボブだ。南米サッカーの「あるある」ネタでその名を轟かせつつある異色の経歴の持ち主に、ボリビア時代も含めた計8年間の挑戦を振り返りつつ、現在の活動の意義と展望を語ってもらった。
「想像していなかった」Jクラブユースまで届いている反響
——XやInstagramを見ていてずっと話を聞いてみたかったのでうれしいです。普段の反響はいかがですか?
「この頃も週2〜3回、個人参加のサッカーに行っているんですけど、そこで僕のマークが甘かったりすると『もっと肘使って!』とかって言われるのはありますね。逆に。『パラグアイ4部でやってたのにそんなおとなしいんだ』って(笑)」
——そんなInstagramのコメント欄みたいなノリが(笑)。
「いつも『みなさんきっとお仕事もあるでしょうし、ケガさせるわけにいかないんで!普段はちゃんと日本のサッカーします!』ってことを言ってるんですけど、関東リーガーの人とか都リーガーの人もいる中で『甘いよ!』とか『それじゃパラグアイで生きていけないだろ!』って(笑)。でもそのおかげでみんな見てくださっているんだなと思いますね」
——SNSを始めた時にはそれほどの反響は……。
「もうまったく想像していなかったですね。目標としては登録者数が1万人くらい行ったらいいのかな?とか思いながらも、僕の動画みたいなものをみんなが見るわけないよなと思いながらやってきたので、1万人以上来てくれてちょっとびっくりしています」
——何より中高生も含めた現役のプレーヤー層に刺さっているのを感じます。そこは「サッカーをちゃんとやってきた」人ゆえのリアリティがあるからだろうなと。
「でも個人参加のサッカーがAnkerのフロンタウン生田であった時、その後に川崎フロンターレと鹿島アントラーズのユースがグラウンドを使う予定があったんですけど、両チームの選手から『あれ、マリンボブじゃない?』って感じで言われたんですよ。あれはうれしかったですね。だから絶対に夢を壊しちゃダメだなと思って、フロンターレの選手には『アントラーズ削れよ!』って言って、アントラーズの選手には『フロンターレ削れよ!』って言っときました」
——素晴らしいファンサです。いい刺激になると思います。
「間違った刺激になってなかったらいいんですけどね(笑)」
——今の選手たちは海外志向も強いので、異国で生き抜いてきた凄みは感じていると思います。“パラグアイ4部に何年も適応してきた男”って真似しようと思ってもできないですし。
「そこはもちろん僕も1部とか2部でプレーしたかったんですけどね。でも4部でしか生きられなかったので、4部で生きるためにどうするかみたいな感じでやってきたと思います」
——ただ動画で紹介されているようなあれこれに適応するのは大変なことだと思いました。極端なエピソードを上げているのかと思いきや、それが次から次に出てくるのですごいなと。
「それが結構起きるんですよね。僕があっちにいた時はあれがもう日常だったので、あんまり何も思わなかったというのが本音なんで、だから逆に何を発信するかが難しいというのもあるんですけど(笑)。僕も18歳までは日本にいたので確かに18歳の頃はびっくりしましたけど、慣れれば全部日常でしたね」
マリーシアにサッカーテスト…南米行きの源流は川越FCにあった!
——どう慣れていったんでしょう?
「まずそもそもテストを受けるためにパラグアイに行ったんですけど、日本の印象だとテストとかセレクションって、『何月何日に集まってセレクションします』って感じじゃないですか。でもあっちだと仲介してくれる方から『今から練習連れて行くから』って言われて、その人が監督と話して始まるんです。監督も『いやいや、タダじゃないよ』って感じで、全員がいる前でその方がお金を払って、俺を練習に参加させてくれるみたいな感じで。そこから始まったんで最初はパニックだったんですよ。実際にテストが始まってからも、日本って育成年代でもちゃんとした長いソックス履かないとダメじゃないですか。でもあっちの選手はくるぶしソックスとか、いつ捨ててもいいようなものを履いていて、俺がミズノのロングソックスを履いて、すね当てもナイキのちゃんとしたのを着けてたら、選手みんなが群がってきて『何だこの高級なやつは!』って感じで(笑)。言葉も全然わかんないし、だからまずは外面から変えなきゃダメだなって思いましたね。ちゃんとしたスパイクを履いて、すね当てを着けて、いいシャツとパンツ着て行くより、こいつらの真似をしないといけないなと。だから慣れたというより、もう自分から“なりに行った”というのが正しいかもしれないです」
——もうイッテQ(日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」)みたいな話ですね……。現地の部族になり切るみたいな。
「確かにそうなんです。もうまずはこの人たちと同じ外見になって、同じ環境にいなきゃ!って。で、慣れていった感じですね。だから仲介してくれた日本人の方からは『水は基本買って持って来い』って言われてたんですけど、ペットボトルを買って持っていくといつの間にか飲まれているんで、みんなと同じように吸水して。それも普通の水道水をでっかいクーラーボックスに入れて、コップを3個くらい投げられて、みんなですくって飲んで、終わったら次のやつにコップ渡してって感じで飲んでくんですけど、どんどん水が汚くなってるんですよ。でもめちゃくちゃ暑くてそれ飲まないと死んじゃうんで。今考えるとたしかに、よく俺もあの中に飛び込んでたなって思いますね(笑)」

——ちなみに小中高時代はどのようなサッカーキャリアだったんですか?
「サッカー自体は幼稚園の年長くらいから始めたんですけど、僕は正直に言うと『習い事』って感覚でしか見てなかったんですよね。小学校の時も放課後に学校のグラウンドに行ってボール蹴るよりもお菓子でも食べながらみんなでゲームするほうが楽しかったですし、何なら『雨降って練習中止になってくんないかな〜』ってくらいでした。でも小学校から中学校に上がる時に、実は今SHIBUYA CITY FCの代表をしている小泉翔が幼馴染なんですけど、その小泉から『セレクション行こうぜ』みたいな感じで川越FCに誘われて、そこからサッカーに没頭し始めたんです」
——面白い縁ですね(笑)。
「川越FCは僕らの1つ上の代が新人戦か何かで(浦和)レッズ(ジュニア)ユースに勝っちゃって、僕は狭山市出身なんですけど、その辺の狭山、川越、所沢のあたりでは『川越FCがとんでもないらしいぞ』みたいな伝説があって(笑)。当時のセレクションは僕らの代も100人以上来てて、入ってからも最初は1年生が60人くらいいたんですよ。それでみんなサッカーうまくて、リフティングだけでびっくりするくらいで、よく受かったなというくらいだったんですが、監督も今考えたらちょっと特殊な人で。いつも『マリーシアを使え!』みたいなこと言ってて(笑)」
——そこにマリンボブの源流があるんですね!(笑)
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Profile
竹内 達也
元地方紙のゲキサカ記者。大分県豊後高田市出身。主に日本代表、Jリーグ、育成年代の大会を取材しています。関心分野はVARを中心とした競技規則と日向坂46。欧州サッカーではFulham FC推し。かつて書いていた仏教アイドルについての記事を超えられるようなインパクトのある成果を出すべく精進いたします。『2050年W杯 日本代表優勝プラン』編集。Twitter:@thetheteatea
