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3バック、プレーモデル、そしてオリジナル用語。霜田正浩監督が語る、松本山雅での「2年間の挑戦」の舞台裏

2025.06.09

JFAの技術委員長を務めた後、レノファ山口、ベトナムのサイゴンFC、大宮アルディージャの監督を歴任した後、2023年から2年間、松本山雅の指揮を執った霜田正浩。日本と海外、現場と強化の両方を知る稀有なキャリアを歩む58歳に、松本山雅での挑戦の舞台裏、国内外の戦術トレンド、そして指導論について聞いた。

前編では、松本山雅で目指したプレーモデル、そしてそれを実現させるためのオリジナル用語などの運用面について貴重な実体験を明かしてくれた。

松本山雅の2年間で何に挑んだのか?

――昨シーズンまで率いた松本山雅で、霜田さんが目指していたことを教えてください。

 「23万人の街にサッカークラブが根付いている、Jリーグが掲げていた1つの理想を体現しているクラブだと感じていました。その印象は外から見ている時も、中に入った後も変わりません。そういうクラブをJ2、J1へと昇格させたいというのがまずありました。その上でですが、スポーツダイレクターの下條(佳明)さんからは『松本山雅の新しいスタイルを作ってほしい』と言われました。球際のハードワーク、堅守速攻がクラブカラーでしたが、近年の日本サッカー全体のインテンシティの向上によって、どのクラブもそこは標準装備になってきました。J2、J3はなおさら強度が求められてきています。そんな環境下で勝ち上がるために、クラブとしての良さは保ちつつも新しい武器を作ってほしいということで僕が呼ばれました」

――具体的にはボールを支配するスタイルということでしょうか?

 「リアクションではなく、アクション。主体的に戦うスタイルです。戦い方を定めると研究されるリスクはありますが、それ以上に選手を上手くしたいという思いがあります。松本山雅に来れば選手が上手くなるというイメージを構築して、上手くなるポテンシャルを持った選手を集めるというサイクルを作ることを目指しました。結果を出すこともすごく大事なのですが、『昇格するならこのサッカー』という答えもいまやない。だから、クラブコンセプトを作りながら勝とうということです。経営陣も含めて主体的なサッカーの定義などをみんなで話し合って方向性を共有しました」

――確かに今のJ3は堅守だけで勝てる感じではなくなってきていますよね。「昇格するための答えがない」というのは外から見ていても感じます。実際、2年間J3を戦ってみて、霜田さんは何を感じましたか?

 「一番感じたのは、チーム間の戦力差はほぼなくなっていることです。一昔前はJ1で戦った経験のある名前のあるクラブに選手が集まりがちでしたが、個人昇格が当たり前になった今はYSCC横浜で活躍した福田翔生がベルマーレにステップアップしたように、どこでプレーしていてもJ1、J2のクラブへの移籍は可能です。選手は試合に出ることが大事なので、いい選手が均等にばらけるようになってきていると感じます。予算の差ほど戦力差がない、どこが勝ってもおかしくない難しいリーグになってきています」

――松本山雅のクラブカラーと霜田さんがやってきたスタイルがちょっと合わないなとは思っていましたが、そういう経緯だったんですね。

 「どうせ正解がないのなら自分たちの信じることをやろう、新しいサッカースタイルを共有しながら勝ちたいというのが大きな方針でした。1年目は手探りで選手たちが本当にこのスタイルに適応するのか、少しずつ浸透させていくフェーズでした。内容が良くても勝ちにつながらない歯がゆさも感じました。総論はOK、各論が足りないという感じでしたね。J3は戦力差がないので、ヒューマンエラーも含めてティテールで勝負が決まるんです。2年目はうちのスタイルに合った選手に声をかけ、1年目の積み上げ、選手たちの成長もあり、あと一歩まで行きましたが残念でした」

――2年目はJ2昇格プレーオフの決勝まで行き、後半48分に富山に2-2に追いつかれるという本当にギリギリの試合でした。

 「その試合も非常に悔しいですが、そもそもリーグ4位に終わったのは引き分けの多さがありました。ちょっとしたエラーが起きて、勝ち点3が1になった試合が多かった。その半分以上は勝ち点3にすべき内容の試合でした。今思えば、プレーオフ最後の3分間に出た勝ち切るための部分がシーズンを通してできていなかったと言えるかもしれません。もどかしい、もったいない、もっとできたという感情は今も強く残っています」

実証を通して見えた「3バックブームの理由」

――2年目のシーズン終盤、3バック変更後に5連勝を達成してJ2昇格プレーオフ圏内に上がりました。最近のJリーグでは3バックのチームが増えてきていますが、霜田さんが3バック変更を決断した背景を教えてください。

……

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J3リーグJリーグ小松蓮戦術松本山雅FC霜田正浩

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。

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