
日本時間1月21日、マンチェスター・シティはプレミアリーグ史上初めてウズベキスタン人選手の入団を発表した。歴史に名を刻んだのはアブドゥコディル・フサノフ。前所属のRCランスで急浮上を遂げ「U-21世界最優秀CB」まで一気に駆け上がった弱冠20歳は、意外なことにプロキャリアを母国で歩まぬままイングランドへの扉を開いている。ベラルーシで幕が上がった元・浪人生の逆転物語を、ウズベキスタンのサッカー事情に精通する吉田蘇東氏に教えてもらおう。
ウズベキスタンが1人の青年に熱狂している。
その男とは、ウズベキスタン代表DFのアブドゥコディル・フサノフ。きっかけは日本時間2025年1月11日、移籍専門ジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏のXでの投稿だ。当時所属していたリーグ1のRCランスとマンチェスター・シティがフサノフの移籍に合意したという。報道によれば契約期間は1年の延長オプション付きの4年半、移籍金は4000万~5000万ユーロ。ランス史上最高の選手売却額であると同時に、2015年にソン・フンミンを引き抜いたトッテナムがレバークーゼンに支払った推定3000万ユーロを超えるプレミアリーグでのアジア人選手最高額の取引成立が、本日ようやく正式に発表された。ウズベキスタン人サッカー選手としても先例のない数字であることは言うまでもないだろう。
We're delighted to announce the signing of Abdukodir Khusanov 🩵 pic.twitter.com/ltXMbzm3TK
— Manchester City (@ManCity) January 20, 2025
しかしフサノフはエリートではないどころか、16歳で母国クラブの育成組織から失格の烙印を押された過去を持つ。それがわずか3年後にマンチェスター・シティへ……。立志伝中の人というより、もはやおとぎ話の登場人物だ。そんな彼の逆転物語には2度の転機があった。
「落伍者」をリーグベスト11に変えたベラルーシでの浪人生活
フサノフは2004年2月29日生まれ、首都タシケント市にあるチロンゾル地区出身の20歳のCBである。186cmの身長は同じポジションの選手の中で飛び抜けた高さではないが、時速37キロともいわれる驚異的な俊足と、恐れ知らずのハードタックルが武器。その強さと速さは、ウズベキスタンで「列車に轢かれるのとフサノフに撥ねられるのは同じこと」と冗談で言われるほどだ。足下の技術にも優れ、ベラルーシ時代はフリーキックやPKのキッカーも任された。若くしてウズベキスタン代表のDFリーダーを務め、すでに同国史上最高の選手との呼び声も高い。
Khusanov is too fast! 😱💨@RCLens pic.twitter.com/JKlNsLnoRV
— Ligue 1 English (@Ligue1_ENG) December 8, 2024
性格はとてもシャイで、「1回インタビューを受けるより、1試合やる方が楽」と語る。ウズベキスタン人には珍しく、自らのプライベートを積極的に発信するようなタイプでもない。大声を張り上げることも自ら積極的に他人に話しかけることもなく、在籍してきたあらゆるチームの関係者から穏やかで寡黙な人物と評される。実父は元ウズベキスタン代表で、2007年のアジアカップに出場経験のあるヒクマト・ホシモフ氏。現在も代理人とともに息子のプロサッカー選手としての歩みをサポートしている(なお、話が逸れるので説明は省くが、親子で名字が異なるのはこの国では普通のこと)。また、アブドゥラヒムという弟がおり、ウズベキスタンでフサノフと同じアカデミーに所属していたが、最近ランスの下部組織に加入した。ポジションはFWで、兄を股抜きして得点するのが夢だという。
5歳時に地元のトシュクチというチームでサッカーを始めたフサノフは、2年後に叔父の勧めでブニョドコルの門を叩く。サイズは小さいが足の速さと技術の高さに目を見張るものがあり、アカデミー入団から数年は2歳年上の2002年生まれのカテゴリーに割り振られていた。当初は攻撃のポジションを務めていたが、のちに父に憧れて同じDFを志していく。しかし周りが身体的に成熟し始める頃になっても細身のフサノフはフィジカル面で見劣りするようになり、「潰される」のを危惧した指導者の判断で2003年生まれのカテゴリーに異動。この頃はCBと守備的MFを兼任しており、U-16ウズベキスタン代表にも選ばれていた。しかしブニョドコルで有望なタレントはアカデミー卒業後に直接Bチームに昇格するのがお決まりだが、16歳のフサノフに提示された進路はどういうわけか、アマチュアのタシケント市1部リーグを戦うU-18チームだった。
当時についてフサノフは多くを語らず「多分、背が低かったから」と振り返る。トップチーム昇格を夢見ていた彼にとって、大きな挫折だったことは想像に難くない。しかし、これが転機になるのだから人生はわからない。父のホシモフ氏が元同僚で友人のウルグベク・アサンバエフ氏に相談したところ、彼からベラルーシ1部リーグのエネルへティクBGUというチームを紹介された。……



Profile
吉田 蘇東
ウズベキスタンサッカーの観察者。高校生で中央アジアに目覚め、大学は不承不承ロシア語を修める。卒業後はCIS諸国にもサッカーにも関係のない進路をとり現在に至る。普段は中央アジアサッカーを気ままに追いながら、仕入れた情報をX(@boziimillionho)で問わず語りに発信している。ひいきチームは特にないが、好きな選手はウルグベク・バコエフとリカルド・フラー。