誰からも愛された。誰からも尊敬された。蜂須賀孝治。34歳。ベガルタ仙台で12年間。ブラウブリッツ秋田で1年間。13年に渡るプロサッカー選手という職業を全うし、今シーズンでの現役引退を決断した。そんな蜂須賀と家族ぐるみで親交を築いたのが、ベガルタの若きアタッカー・オナイウ情滋だ。オナイウは蜂須賀に対して「家族のように扱ってもらいました」と言い、蜂須賀はオナイウに対して「息子みたいな感覚です」と言う。一回り近くも年の離れた2人の強い絆を、おなじみの村林いづみが文字にする。
「苦しい中にも大切なことがある」 蜂須賀の背中から学んだオナイウ
「ハチくんに、勝ち逃げされました(笑)」
ベガルタ仙台のオナイウ情滋選手は大きな瞳からポロポロと涙をこぼし笑った。11月5日に発表されたブラウブリッツ秋田の「蜂須賀孝治選手現役引退のお知らせ」。事前に本人から連絡をもらっていたが、改めて発表されると、つい思いがあふれてしまった。
「去年、僕がプロになってすぐの頃、ハチくんが食事によく誘ってくれたんです。仲良くなった息子くんがいろいろなところに『情滋と一緒に行きたい』って言ってくれるようになって、本当に週1~2回くらい一緒に食事するようになりました。ハチくんの家に泊まったこともありますし、家族のように扱ってもらいました。去年は自分も苦しい時間が長かったんです。蜂須賀家に支えられて、シーズンを通してやり切れました」
ルーキーの孤独や葛藤に寄り添ってくれた。先輩・後輩の間柄がいつの間にか「ファミリー」になっていた。オナイウ選手は3人兄弟。一番上に日本代表のオナイウ阿道選手、その下に姉がいて、情滋は末っ子だ。「オナイウ家の次男であり、蜂須賀家では長男。何だろう、情滋は僕の弟というより息子みたいな感覚です」と蜂須賀選手が言うと、「息子のお兄ちゃんみたいな感じです」と奥様も声を揃える。
「『苦しい時間の中にも大切なことがある』ということをハチくんの姿を見て学びました。そういう意味では、ハチくんがいたから今の自分があると言っても過言ではないです。何とかしてピッチで成長した姿を見せたかったなぁ。ハチくん勝ち逃げしちゃったんで、今度言っておきますよ。逃げないでって(笑)」(オナイウ選手)
蜂須賀はもう泣かない。秋田の大切な仲間に囲まれ、モノマネまで披露した笑顔の引退会見
「こんにちは。改めまして、2024シーズン限りでサッカー選手を引退する決断をしました。本当に素晴らしいプロサッカー人生だったと思います。これからも蜂須賀孝治を応援していただけると幸いです。これからもよろしくお願いします。引退は、自分の気力、体力、パフォーマンスを加味して判断しました。自分の性格上、100%か0%なので、その100%が出せなくなってしまったと感じていました。でもブラウブリッツ秋田ですっごく楽しくサッカーをさせてもらって、密度の濃い1年を過ごさせてもらいました。今こうやって集まってきてくれた仲間と共にサッカーをして、この仲間たちに見送ってもらって、引退したいという気持ちが強くなりました。総合的に考えて、今が一番美しいんじゃないかと思って引退を決断しました」(蜂須賀選手)
JR秋田駅に隣接するホテルの立派な会見場には、秋田、仙台両クラブを取材するメディアが集まった。正面には取材記者やテレビカメラが陣取り、その横には更に20席近いイスが並べられた。この日、蜂須賀本人へはサプライズで、ブラウブリッツ秋田のチームメートが集まったのだった。
会見場に現れると、まず仲間の姿に驚き、にっこり。胸の思いを語る表情は清々しく、涙はなかった。仲間がしっかりと蜂須賀の言葉を受け止め、頷き、ほほ笑み、時に茶々を入れた。話している内に脱線し、「質問、何でしたっけ?」と記者に聞き返した。にぎやかで晴れやかな引退会見だった。最後には仲間から「吉田謙監督のモノマネ」を振られ、見事に応えていた。仙台ではたくさんの泣き顔を見てきたので、「ハチくん、良かったね」と、心からそう思った。
仙台での12年はケガとの戦い。仲間のために、ベガルタのためにすべてを注いだ
蜂須賀孝治選手は2012年、仙台大学在学時に特別指定選手としてベガルタ仙台の一員となった。この年のチームはJ1優勝争いをしていたが終盤に主力選手のケガもあり失速。J1の頂点まであと一歩、届かなかった悔しさを抱えながら迎えた最終節FC東京戦、味の素スタジアム。そこで新シーズンへの希望を灯すJリーグデビューを果たしたのが、蜂須賀選手だった。
翌年から正式にプロサッカー選手として歩み始めた。2013年3月16日、第3節柏レイソル戦。この試合が大学の卒業式と重なってしまった。「もうサッカー選手なので」と迷うことなく公式戦を選んだ蜂須賀。そのことを知った仙台サポーターは、試合後に彼へ手作りの「卒業証書」を贈呈した。そこには「これから末永ーく、共に闘っていきましょう」の言葉。12年間、ベガルタ仙台と彼は、サッカーの喜びも苦しさも存分に味わってきた。
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Profile
村林 いづみ
フリーアナウンサー、ライター。2007年よりスカパー!やDAZNでベガルタ仙台を中心に試合中継のピッチリポーターを務める。ベガルタ仙台の節目にはだいたいピッチサイドで涙ぐみ、祝杯と勝利のヒーローインタビューを何よりも楽しみに生きる。かつてスカパー!で好評を博した「ベガッ太さんとの夫婦漫才」をどこかで復活させたいと画策している。