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「自分には、サッカーしかない」――苦労人・満田誠をA代表に押し上げた、一意専心の覚悟

2022.07.23

広島ユース出身ながらトップ昇格がかなわず、流経大で力を磨き、2022シーズンに満を持して古巣でのプロ契約を勝ち獲った満田誠。シーズン当初の序列は高くなかったが、ひたすらに前を向き続けレギュラーに定着、そしてE-1選手権を戦う日本代表メンバーにまで選出された。「自分には、サッカーしかない」――ユース時代から彼を知る中野和也が苦労人の源泉に迫る。

「俺はプロになるんだ」という強い想い。しかし…

 1人だけ、満田誠だけ、空気が違った。

 サンフレッチェ広島ユースの彼の同期には大迫敬介や仙波大志(現岡山)、川村拓夢や川井歩(現山形)。1年上にはイヨハ理ヘンリー(現熊本)や山根永遠(現群馬)、1年下には東俊希や松本大弥(現金沢)、2年下には鮎川峻や土肥航大(現水戸)らがいた。黄金期とまでは言えないが、多くのプロ選手を輩出したタレント豊富な時代だったと言える。

 その才能たちの多くは、まさに現代の若者たち。サラリとした空気感を身にまとい、大らかな雰囲気を醸し出して、ギラギラとした雰囲気とは無縁。もちろん、努力は惜しまないし試合に出て活躍したいという気持ちはあるが、他を押しのけて前に出るという意欲を押し出さない。

 だが、満田は違っていた。それはまず、広島ユース時代のプレーに現れていた。

 噛みつくようなプレッシャー。相手をなぎ倒すようなドリブル。どんなところからもゴールを狙うシュートの意識も、他の選手とは違っていた。そして何よりも、「俺はプロになるんだ」という強い想いが、170センチの小さな身体から発散していた。

 高円宮杯プレミアリーグWESTでは、同期の明比友宏とともに11得点を記録して得点王。結果は残した。だが、広島の強化部は、彼をトップチームには昇格させることはなかった。

 プロになったのは、大迫・川村・川井の3人。誰もが認める大器=大迫に加え、川村には森﨑和の、川井はミカエル・ミキッチの後継者としての期待もあった。だが、満田に対しては、その得点能力は評価されてはいたものの高さには乏しく、スピードは認められてはいたが浅野拓磨(現ボーフム)ほど突出したものではない。最後まで彼の昇格については議論があったと聞いているが、結論としては見送られた。

 同様の結論を下された仙波や明比は、早々に大学進学へと舵を切る。だが、満田は札幌や鳥栖、山口の練習に参加し、Jリーガーになる道を探った。

 だが、どこからもオファーは届かない。満田自身は「正当な評価だった」と語っているが、一方で人見知りな性格も災いし、練習で力を発揮できなかったことも現実だ。

 しかし、プロ入りは絶対に諦めきれない。小学校の時からずっと、プロの世界を夢見てきた。サッカーをやるのなら、1番上で闘いたいと強く願った。熊本から広島ユースに進んだのも、プロになる近道だと考えたからだ。

 「夢を叶えるためには、覚悟が必要。地元を離れる決心は簡単ではなかったけれど、逆に言えば簡単に夢が叶えられような、甘い世界ではないと思っていたから」

 最終的に彼が進学を決断したのは、高校3年生の年末。その時期からのスタートで彼を受け入れてくれる大学は限られていた。そのうちの1つが、流通経済大学だった。

「日常を楽しむ」ことに興味がなかった大学時代

 年代別代表の選出経験がないことからもわかるように、満田は同世代では決して高い評価を得ていたわけではなかった。

 2019年のU-20W杯は満田にも出場資格はあったが、候補にすら挙がったことがない。近い世代で評価されていたFWやアタッカーでいえば、田川亨介(現サンタ・クララ)であり、宮代大聖(現鳥栖)や西川潤(現鳥栖)、原大智(現アラベス)、そして中村敬斗(現リンツ)といった選手たち。いずれの選手も確かに高さやスピードなど身体能力に秀でているし、そうでない選手であっても圧倒的に技術が高い。その中に割って入る評価を、満田は受けたことがなかった。

 評価を下すのは、もちろん指導者たちだ。だが、その評価眼がすべて正しいわけではない。それは、年代別代表どころかトレセン招集の経験すらほとんどなかった久保竜彦、G大阪の育成組織でプレーしながらユースへの昇格ができなかった本田圭佑や荒木隼人らの例を挙げても理解できる。一方で、若いうちから注目された年代別代表の常連が大人になると失速し、大成せぬままにサッカー界を去った例も多い。

 才能の評価は、本当に難しい。隠れた将来性を見抜くことなど簡単ではないし、マニュアルもなければ多数決で判断できることでもない。たとえ9人が評価しなくても、1人が才能を認めた選手が大成する場合もある。

 ただ、認められなかった選手たちが大成した場合、そこに共通した要素がある。おおざっぱな言い方ではあるが、どんな状況でも諦めず、自分を信じてずっとやり続けたことだ。つまり「続ける才能」を持っているか、そうではないか。それが、運命の分かれ道となる。

 満田には、その才能があった。結果論かもしれない。ただ、彼の言葉から、その才能を類推することはできる。……

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サンフレッチェ広島満田誠

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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