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「私は人間で、魔法使いじゃない」ドイツ人記者が紡ぐ“ベッケンバウアー伝説”

2021.12.17

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

フランツ・ベッケンバウアー――歴史に燦然と輝くその名を知らないサッカーファンはほとんどいないだろう。選手として、監督としてW杯とブンデスリーガを制し、リベロというポジションの定義を変えたレジェンドの中のレジェンド。そんな生ける伝説は、母国ドイツではどのようにして語り継がれているのか。現地ドイツで長くバイエルン番として取材を続け、ベッケンバウアーと直に接したこともあるというパトリック・シュトラッサー記者に綴ってもらった。

「フランツル」から“国宝”“金のロバ”に

 現在76歳のフランツ・ベッケンバウアーは、おそらくドイツ史上最も偉大で有名なサッカー選手である。その歩みは、何人もの人生を1つに束ねたかのごとく非常に濃密な逸話の数々で彩られている。

 子どもの頃、ベッケンバウアーは母アントニーから「フランツル」(小さなフランツ)と呼ばれる愛らしい少年だった(アントニーは何十年経ってもそう呼び続けた)。その「フランツ」は軽快な足取りのサッカー選手となり、後にメディアから「カイザー」と命名されることとなる。

 彼を語るにあたり、まず紹介したいのがプロになる前のこのエピソードだ。

 ベッケンバウアーの世界的キャリアは、絹の糸に吊るされていた。彼がプロデビューを飾ることとなるバイエルンは、創立地はミュンヘン市シュワービング地区だがハーラッヒング地区を拠点としている。ギージンガー地区出身のティーンエイジャー、フランツにとってハーラッヒング地区は遠過ぎ、当時のバイエルンはそれほど魅力的でもなくまだ田舎っぽいクラブだった。1950年代、アイドルだったのはレーベン(1860ミュンヘンの選手たち)であり、フランツ少年の目標も1860ミュンヘンだったのである。

 ところが、12歳の時に当時所属していたSC1906で1860ミュンヘンと対戦したフランツは、相手のゲルハルト・ケーニッヒに平手打ちを食らわされてしまう。将来1860ミュンヘンへ行くつもりでいたフランツはこの時、「あのクラブには絶対に行かない!」と心を決めたのだった。後に彼はこう言っている。

 「後から思えば、あれは悪い判断ではなかったね」

 バイエルンのファンたちは今でも、この逸話に胸をなでおろすのだ。

 そうしてバイエルンの一員となったフランツは1964年、18歳の時にバイエルンでトップチームデビュー(当時は2部所属)を飾る。当初は得点力もある左サイドの選手だった。1年後にはチームの昇格を受けてブンデスリーガ1部で初めてプレーし、20歳で西ドイツ代表(当時)入り。ちなみに、彼の代名詞と言えばリベロでのプレーだが、この年の9月、アウェイでのスウェーデン戦ですでにリベロとしてプレーしていたことは意外と知られていないかもしれない。

 その後の活躍はご存知の通り。1966年にバイエルンで初タイトルとなるDFBポカール制覇を遂げると、1969年には初のマイスターシャーレを掲げるとともにDFBポカールも制し国内2冠を達成。1970年代にはブンデスリーガとチャンピオンズカップ(現CL)それぞれで3連覇の偉業を成している。また、この間には西ドイツ代表として1972年の欧州選手権と1974年W杯を“連覇”。ドイツ年間最優秀選手になること4回、バロンドールも2度受賞した。

バイエルン時代のベッケンバウアー。最終ラインから攻撃参加しリベロというポジションの常識を変えたのが彼だった

 この活躍により、バイエルンと西ドイツ代表の看板選手として数々のタイトルとトロフィーを手中に収めたベッケンバウアーはW杯王者ドイツの“国宝”となった。それだけでなく、世界中で広告に登場するアイドルやポップスター、つまりは“金のロバ”となったのだ。

 もちろん、ピッチ上でのパフォーマンスが傑出したものであったことは言うまでもない。ピッチ上の監督と評されたように、そのプレーでゲームを支配した稀代のリベロは“見えている”ものが違った。であるがゆえに、その口から紡がれる言葉もまた独特で印象に残るものが多かった。

 「私はただの人間で、魔法使いじゃない。もし君がそれを探してるならサーカスへ行くべきだ」

 「前半に唯一動いたのは……風だけだった」

 「誰が一番かわいそうだったかわかるかい? ボールだよ」

ドイツ代表でのベッケンバウアー。ヨハン・クライフとの対決となった1974年W杯決勝は語り草となっている

実は「不本意」から始まった監督キャリア

 一方で、その輝かしい選手時代に比べれば、経験もライセンスもなしでスタートした監督キャリアは彼にとって不本意なものだったに違いない。なにせ、プロ選手としてのキャリアがスタートした頃には「サッカーとは将来いっさい関わりたくない。監督の仕事なんてもってのほかだ」と言っていたくらいなのだから。

 監督としてのベッケンバウアーをひと言で言い表すならば「天才的であると同時に神経質」となるだろうか。その気難しさは、発する言い回しの数々に端的に表れていた。

 「(ピッチに)出て、サッカーをしろ」(「心配する必要はない」という意味の指示)

 「私のチームが今晩プレーしたのが何のスポーツだったのか、今まだ考えているところだ。サッカーでなかったことは確かだ」(敗戦後、チームの出来を評して)

 「前半一番良かったのは、マリオ・バスラーが凍りついてしまわなかったことだ」(ある冬の試合で)

 しかしながら、監督ベッケンバウアーは緻密な仕事により西ドイツ代表を1990年W杯イタリア大会でタイトルへと導いてみせた。そしてこれ以降、彼はドイツサッカーの「後光」と呼ばれるようになった。

監督時代のベッケンバウアー。ドイツ代表以外にバイエルンでも指揮を執り1993-94にはブンデスリーガ優勝を果たしている

後光に差した影…だが本人は

 彼なら水の上を歩くことさえ不可能ではない――ドイツの聖人のような境地に達したベッケンバウアーはカルト的存在となった。

 だが、ひとたびピッチ外に目を向ければとても聖人とは言いがたい別の姿が顔をのぞかせる。ティーンエイジャーの時に望まず父親になっており、浮気して新たに子をもうけ、若くして祖父にもなっている。ただ、本人はバツの悪さを感じるどころかこんなコメントを残している。

 「誰かが何かをしなくてはいけないだろう。みんな子どもが足りないと騒ぐばかりだ」(5人目の子供が生まれる前に)

 それでも誰からも愛されるフランツ、茶目っ気のあるベッケンバウアーはその後、ビジネスマン、エンターテイナー、テレビエキスパート、クラブ役員、W杯組織委員会会長など様々な活動に身を投じていく。

写真は1998年、バイエルン会長時代のもの

 意欲的であり、同時にちゃっかりしていて計算高くもあるだろうか。あるいは、「夏のメルヒェン」スキャンダル(2006年W杯招致の際の買収疑惑)で訴えられた顔は腐敗した詐欺師か道化者か……。ただ、そんな中でも相変わらず屈託なく、反面ナイーブなところは変わらなかった。スキャンダルの渦中に発した本人のコメントを聞いてもらえればそれがわかるだろう。

 「まず日にちを確認したよ。エイプリルフールだと思った。もしかすると誰か冗談を言っているのかとね」(2014年夏、FIFAが90日間の仮処分を決めた時の発言)

 いずれにせよ、その行いによって彼のライフワークである“銅像”を自ら揺るがした、いやもしかしたら破壊してしまったかもしれない。ご光体には影が差した。ここまでのエピソードを読んだあなたは、今となっては健康を害して幸運に去られたただのご老体だと思うかもしれない。

 だが、本人はこう語っている。

 「本当に素晴らしい人生に、ずっと感謝し続けるだろう」

 4人の息子に恵まれた後、58歳の時に娘も誕生。現在は19歳年下のハイディ夫人と、2人の子供ジョエル(21)、フランチェスカ(17)と一緒にザルツブルクで生活している。

ハイディ夫人とともに写真に収まるベッケンバウアー

 「今はかつてのようにエキサイティングで慌ただしくはないかもしれない。私も前より静けさを望むようになった」

 2016年と2017年に2度の心臓手術でいくつかのバイパスを入れ、腰にも人口関節が入っている。1年前には網膜血管閉塞を起こし、右目の視力はほとんど失われている。

 「私の体は本格的にストを始めた」

 2020年9月に『ビルト』紙のインタビューで今の調子はどうなのかと聞かれた時には、「まあまあだね。この数年間、どれだけいろいろあったことか。あらゆる手術に加え、あの2006年の話。とても消耗したよ」と答えている。

 最後に、私にとってのフランツ・ベッケンバウアーについて書き記しておこう。

 1999年からミュンヘンの地元紙『Abendzeitung』で、2014年からはフリーでバイエルン番記者として取材をしている私は幸運なことに、フランツ・ベッケンバウアーによく会いインタビューさせてもらえる機会もあった。

 もちろん選手や監督にもよるのだが、ここだけの話、インタビューというのは必ずしも純粋に楽しいわけではない。でも、「カイザー」の場合は楽しかった。というのも、彼にはお高くとまったところや偉そうなところがまったくなく、心地良いくらい気兼ねなく接することができるからである。FIFA会長であろうが駐車場の警備員だろうが掃除婦だろうが、誰に対してもいつもフレンドリーに声をかける。スモールトークも好んでするし、茶目っ気がある。それに、常に愛嬌があって親切でもある。

 だが、仕事となると完璧主義者である。そして、それを周りの人間にも求める。その要求が満たされないと、この礼儀正しく繊細な気遣いのできる愛するべき人間が癇癪(かんしゃく)を起こすのだから面白い。

 では、信心深いカトリック教徒を自認し再生を信じるベッケンバウアーのこの言葉で筆を置くとしよう。

 「どの人生も結果として、良い人間になれたと誇れるものであるべきだ。私は努力を続けている」

イベントに出席し、身振り手振りを交え笑顔で語るベッケンバウアー。選手、監督としての実績から神格化された存在ながら、その素顔は親しみやすい人柄で直に接した人たちを魅了したとシュトラッサー記者は明かす

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ピッチを見渡せる最後方に鎮座し、的確な状況判断から好機と見るやDFラインを飛び出して攻撃に関与。正確無比な長短のパスで攻撃を組み立て、時には自らゴールも奪う自由自在のプレーで本来は最終ラインの番人だったリベロの概念を変えた“皇帝”フランツ・ベッケンバウアーが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

そのベッケンバウアーを筆頭に、同じくレジェンドの魔術師ロナウジーニョや今現在サッカー界で主役を張るアーリング・ハーランド、リオネル・メッシ、ブルーノ・フェルナンデス、ジョルジーニョ、ルカ・モドリッチ、ルベン・ディアス、ヤン・オブラクらが一堂に会する“GOLDEN PRIZE Anniversary LEGEND SCOUT”が開催中だ。この他にも★4のフランツ・ベッケンバウアーやロナウジーニョらが手に入るスペシャルログインボーナス、記念キャンペーンに LEGEND TICKET SCOUT、パネルミッション、GB増量キャンペーンと特典がもりだくさん!

 すでにゲームをプレイ中の方はもちろん、「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひ、ゲームにトライしてみてほしい。

<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス

さらに詳しい情報を知りたい方は公式HPへアクセス!
http://sakatsuku-rtw.sega.com/

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Translation: Takako Maruga
Photos: Getty Images

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サカつくRTWドイツ代表バイエルンフランツ・ベッケンバウアー

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パトリック シュトラッサー

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