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なぜミランとの交渉が決裂した?コンサルティング会社設立のラングニックが抱えた葛藤

2021.07.19

8年にわたり発展に寄与してきたレッドブル・グループを昨年7月に去って以降、新天地に注目が集まっていたラルフ・ラングニック。スポーツディレクターや監督として辣腕を振るってきた“プロフェッサー”は現場復帰に意欲を示していたが、今年7月6日に突如コンサルティング会社設立を発表。予期せぬ決断に至った背景を、現地ドイツ在住のcologne_note氏が読み解く。

 2021年春から夏にかけて、ドイツのサッカーメディアでは常に「監督人事」が主要なテーマだった。

 15年続いたヨアヒム・レーブの同国代表監督の座を、バイエルンで6冠を達成したハンジ・フリックが継ぎ、後釜にRBライプツィヒの若き指揮官ユリアン・ナーゲルスマンが抜擢される。一方ドルトムントにマルコ・ローゼを引き抜かれたボルシアMGは、新監督としてフランクフルトからアディ・ヒュッターを招へいし、その代役にボルフスブルクを率いていたオリバー・グラスナーが就任。わずか半年のうちにブンデスリーガ上位5クラブの間で異例の「監督シャッフル」が行われた。

 メディアが連日取り上げた監督人事の中で、様々なチームの新監督候補として頻繁に挙がっていた名前がある。20年7月に急成長へと導いてきたレッドブル・グループ(RBグループ)を離れ、フリーの身となっていたラルフ・ラングニックだ。

 21年4月にフリックがバイエルン監督の辞意を表明するまでは、ラングニックをドイツ代表監督の最有力候補に推すメディアも少なくなく、サッカー専門誌『キッカー』も同国サッカー連盟のディレクターであるオリバー・ビアホフが、ラングニックと話をする約束を取りつけたと報道。クラブレベルでは、監督とスポーツディレクターのポジションが同時に空いたフランクフルト、過去に指揮官として2度率いたシャルケ、国外クラブではジョゼ・モウリーニョを解任したトッテナムがラングニックと会談を行ったという噂も流れていた。20年夏にミランとの接触が大々的に報じられたように、国内外から多くの関心を寄せられているラングニックが選ぶ次の職場はどのチームか、ドイツでは常に注目されていた。

 そして21年7月6日、ラングニックとの契約締結を発表するクラブが現れる。それは意外にも、ロシアの強豪ロコモティフ・モスクワだった。

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ラルフ・ラングニック文化経営

Profile

cologne_note

ドイツ在住。日本の大学を卒業後に渡独。ケルン体育大学でスポーツ科学を学び、大学院ではゲーム分析を専攻。ケルン市内のクラブでこれまでU-10 からU-14 の年代を指導者として担当。ドイツサッカー連盟指導者B 級ライセンス保有。Twitter アカウント:@cologne_note

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