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4年計画で30億円、そして…。大多和亮介副社長が語る、湘南ベルマーレの3つの成長軸

2024.10.19

【特集】ベルマーレの生存戦略。
「湘南スタイル」と「残留力」の先へ
#7

J1残留争いが佳境になってきた10月、毎年この時期に底力を発揮するクラブがある。23年の予算規模28億円と限られた資金力にもかかわらず、いつも土俵際で驚異的な踏ん張りを見せてきた湘南ベルマーレだ。中小クラブの「残留力」の根源にあるものは何か、坂本紘司社長率いる若い経営陣が目指す「湘南スタイル」の先にあるものに迫る。多くの日本人選手の目が「外」に向き、大きな岐路に立たされているJリーグを生き抜くためのベルマーレの生存戦略とは――?

第7回は、ベルマーレの経営面を担当する大多和亮介副社長に、2023年7月に就任した時点での現状分析、それを踏まえた売上アップのための3つの柱となるプロジェクト、そしてその先に望むクラブの未来像について熱い思いを語ってもらった。

ベルマーレへと導かれた数奇な縁

――大多和さんは新卒で横浜F・マリノスに入り、運営・企画・広報から強化まで様々な仕事をしてきたと伺いました。まずは大多和さんのサッカー界でのキャリアから聞いてもいいでしょうか?

 「私は学生時代アルペンスキーをやっていました。ヨーロッパでは花形スポーツなのですが、日本では一流選手も企業スポーツとしてぎりぎりやっていけるかどうかという状態で、プロスポーツと企業スポーツは何が違うんだろうとずっと考えてきました。それを大学院での研究テーマにして、その研究のためにインターンで横浜F・マリノスにお世話になりました。そのご縁があって新卒で採用していただくことになり、サッカー界で働くようになりました。

 余談になってしまうのですが、2010年のホーム開幕戦が湘南ベルマーレ戦で、開幕前のラジオ番組で(この取材にも同席している広報の)遠藤さちえさんに会いました。その少し前に、雑誌のNumberで湘南ベルマーレの特集記事があり、メイン写真はプレハブをバックに眞壁さんと大倉さんの2ショット、『7億円でJ1へGO』というタイトルだったと思いますが、あのNumberでこんな特集をされて凄いなと感銘を受けた内容でした。それがとても印象に残っていて、仕掛けたのが遠藤さちえさんという噂を聞いていたので、『この人がそうか』と(笑)。その試合は3-0でマリノスが勝利したのですが、1点目が俊さん(中村俊輔)のCKから栗原勇蔵選手が決めて、その時マークをしていたのが島村(毅/現フロントスタッフ)だったと最近判明して、本人と盛り上がりました(笑)」

――当時からベルマーレと縁があったんですね(笑)。

 「そうですね(笑)。2012年に1度マリノスを離れて実家の幼稚園を手伝い、2016年に戻ってきました。ちょうどシティ・フットボール・グループ(CFG)が資本参画した後の過渡期ということもあり、強化部に所属しながら事業部との接続なども見ていました。2019年にJ1を優勝することができ、キャリアの1つの節目だと感じ、女子サッカーを次の挑戦の場に選びました」

――急に女子サッカーというのがユニークな選択ですが、大和シルフィードの代表取締役になった経緯を教えてください。

 「2019年はフランスでFIFA女子ワールドカップが開催された年で、優勝したアメリカのミーガン・ラピノー選手が、凱旋パレード後にニューヨーク市庁舎前でスピーチを行ったのですが、その内容は良い意味で衝撃的でした。ちょうどアメリカ代表は、イコールペイメント(男女チームの賃金格差是正)の活動で協会を提訴していた時期でもあり、アスリートやスポーツそのものの持つ価値が新たな可能性を示し始めていて、その中心に女子サッカーがあった。日本でもWEリーグの誕生が動き始めていた頃だったので、良いタイミングかと思い、それまで地域の街クラブであった大和シルフィードのプロ化をしようということで、株式会社を創設して代表取締役に就任させていただくことになりました。

 コロナ禍もあり計画通りとはいきませんでしたし、なでしこ1部と2部の昇格降格などもありましたが、それでも経営面でパートナー収入・観客数は少しずつ増えて、成長させることができました。ただ、どうしても難しかったのがスタジアム問題。WEリーグに上がるためには厳格なレギュレーションがあり、数年かけて八方手を尽くしましたが、どうしても突破できませんでした。そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのが、ベルマーレでした。たまたまベルマーレは女子(U-15ガールズ、U-18ガールズ)を始めて6年目で、1期生が高3になったタイミングだったんです。まだ女子のトップチームがない中で選手たちの選択肢を拡げられるということもあり、大和シルフィードと事業提携を結ぶことになりました。当時の私としては『感謝しかない』という気持ちでした」

――なるほど。そこでベルマーレとつながりができたんですね。

 「具体的にベルマーレとの仕事が始まったのは2023年1月、水谷前社長が退任して坂本が代表取締役副社長兼GMになった時でした。GMだけでも大変な中で、少しでも経営面や事業面でサポートができたらということで当初は執行役員COOという形で部分的に関わらせていただきました。その後、クラブやクラブに関わるあらゆる人たちと時間を過ごす中で、このクラブの持つ可能性や、何よりトップである坂本の人間性にも感化されて、今年の7月からは代表取締役副社長として、ともに歴史あるベルマーレで戦わせていただいています」

――坂本さんのどんな言葉に共感したんですか?

 「ちょうど去年の夏ごろ、チームが苦しい時期が続いていたのですけど、どんな状況になっても軸がブレないんですね。『目先のことではなく、みんなが築いてきたクラブの歴史の中で次のステージに行かなければならない』と言い続けていました。

 当時の具体的なエピソードとして、10月、11月がスポンサーの更新時期で、とある大型のパートナー様の契約がまとまったんです。ただ、その時期はまだ残留が決まっていなかったので、J2に降格したら金額を下げるという条件付きになってしまって。個人的にもとても悔しくて、『すみません、こういう条件付きになりました』と、そのまま坂本に報告したんです。そしたら、『絶対落ちない』と。もちろん経営者としてはあらゆるシミュレーションはしなければいけないのですけど、その上でそう言い切る。自身が厳しいピッチで戦ってきた人だからこその説得力があって、本物のリーダーシップを強く感じました。この人と一緒にやりたいと」

――坂本さんは現役時代から何度も修羅場をくぐっていますからね。ちなみに、大多和さんが外から見ていた時、ベルマーレはどういうクラブだと感じていましたか?

 「それこそさっき言った2010年にラジオ番組に出演した時に、遠藤さちえさんが『うちは優勝して眞壁を胴上げしたい、とみんなが本気で思っている』と話されていたのが忘れられないというか、そのイメージは強く残っていました。すごく純粋で、一丸になって戦っているクラブなんだなと。ただ実際にこのクラブに入ってみたら、決して感動的な話ではなくて、『単にこの人たちは胴上げが好きなだけなんじゃないか』というのが、のちのちの気づきとしてありましたけど(笑)。とにかくすぐ胴上げするんですよ」

現場が不足分の10億円をカバーしている状態

――(笑)。ここからは経営面について具体的な話を聞かせてください。これから坂本社長とともに新しいベルマーレを作っていくことになりますが、2023年の就任時には経営面での現状をどう分析しましたか?

 「トップチームが毎年残留争いで強さを見せるため『残留力のベルマーレ』と言われることもありましたが、経営も一緒なのかもしれないなと思いました。ライザップグループが経営に参画した2018年以降、コロナ禍もありながら財政的には毎年黒字での最終着地なんです。コロナの2年は営業赤字が1億円くらいあったのですが、クラウドファンディングを通じた多くのファン・サポーター、地域の皆様の支えによってギリギリ純利益を確保していて、その他の年も最後にスポンサー契約が決まったり選手の違約金が入ったり、ありとあらゆる創意工夫を重ねられてきていて、毎年着地させている。去年だったら遠藤航選手がリバプールに移籍した際の連帯貢献金も非常に大きくて、経営の方もすさまじい『残留力』だなというのが、まずありました」

――ベルマーレの財政規模はJ1ではかなり厳しい方ですよね……。

 「昨年度実績だと28億円という予算規模はJ1だと一番下のグループだと思います。一昔前のJリーグは欧州各リーグに比べると『どのクラブにも優勝の可能性があるリーグ』と言われていましたが、2020年から2023年までのトレンドを見ると、チーム人件費と平均勝ち点の相関係数がある程度出ていて、あくまで傾向ではありますが、お金がないと勝てないリーグになってきています。この相関の中でベルマーレは本来の強化費から期待される勝ち点よりも、実際は毎年10~20ポイント多い。金額に換算すると、だいたい10億円相当くらいです」

――現場が強化費の不足分の10億円をカバーしているということですね。……

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。