「僕にとって最高の到達点」アンデル・エレーラ、ボカの“毒”に染められて
EL GRITO SAGRADO ~聖なる叫び~ #25
マラドーナに憧れ、ブエノスアイレスに住んで35年。現地でしか知り得ない情報を発信し続けてきたChizuru de Garciaが、ここでは極私的な視点で今伝えたい話題を深掘り。アルゼンチン、ウルグアイをはじめ南米サッカーの原始的な魅力、情熱の根源に迫る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第25回(通算184回)は、サラゴサ、アスレティック・ビルバオ、マンチェスター・ユナイテッド、パリ・サンジェルマンを経て2025年1月、ボカ・ジュニオルスでプレーするという「夢を叶えた」36歳の元スペイン代表MFについて。
「ボカにいるという、この夢を叶えられること以上に大切なものはなかった」
「この人が僕にボカの“毒”を注いでくれた張本人なんだ」
昨年11月9日、ボカ・ジュニオルスのホーム“ボンボネーラ”でのスーペルクラシコを2-0と制した後、アンデル・エレーラはそう言いながら、最愛の父ペドロの肩を力強く抱き寄せた。その表情は、貴重な勝利による興奮と、自分をボカに導いたルーツへの深い感謝の念に満ちていた。
この日、宿敵リーベルプレート相手に勝ち点3を加算し、2026年度のコパ・リベルタドーレス出場権獲得を決めたボカ。南米王者を決める同大会にグループステージからダイレクトに参加するのは、クラブにとって実に3年ぶり。価値ある一勝に貢献した息子をしっかり支えながら、ペドロも胸を張る。
「私は昔から数え切れないほどここ(ボンボネーラ)に足を運んで、スーペルクラシコを何度も観てきた。でも、まさか自分の息子が出場するスーペルクラシコを観に来ることになるなんて、想像もしていなかったよ」
エレーラの父ペドロは元サッカー選手で、1978年から89年までの活動期間中、最も長く所属したレアル・サラゴサ(1982-88)での試合出場数は200戦を超えるキャリアの持ち主。引退後はサラゴサのセクレタリオ・テクニコ(技術部長)を務めていたが、そこで視察のためにアルゼンチンを訪れた際、ボンボネーラが醸し出す独特の情熱にすっかり魅了され、幼い息子にラ・ドセ(ボカのゴール裏を陣取るコアなサポーター集団)の応援歌を歌ってやったのだという。
「この子はサッカー馬鹿でね、10歳の頃からボカにのめり込んでいた。当時、ラ・ドセの応援歌が入ったCDを買ってきてほしいとせがまれて、車の中ではいつもそれを流していたものだ」
ビルバオに生まれレアル・サラゴサをこよなく愛した少年は、ボンボネーラに足繁く通った父親に“毒”を注ぎ込まれたことにより、遠いアルゼンチンの青と黄金のクラブに強い憧れを抱くようになっていく。その思いはのちに、プロ選手になってから「アルゼンチンに行けるのならボカでプレーしたい」と公言するほど確固たる決意へと変化していった。
とはいえ、マンチェスター・ユナイテッドやパリ・サンジェルマン(PSG)といったビッグクラブでのキャリアを経て、昨年1月にエレーラのボカ入団が現実のものとなった時、驚いた人は少なくなかっただろう。欧州に引けを取らない資金力を誇るブラジルのサッカー界とは異なり、アルゼンチンには経済的なメリットなどない。しかも、ボカでは常に勝つことが求められ、期待に応えられなければファンのみならず、メディアからも容赦なく叩かれる。負けた試合の翌日に一瞬笑顔を見せるだけで、「笑っている場合ではないだろう」と批判されるような立場に置かれるのだ。
だがエレーラは、あえてそんな過酷な環境を選んだ。アルゼンチンのWEBメディア『AZZ』の取材でボカに来た理由を聞かれた際、次のように語っている。
……
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。
