アンス・ファティは終わってしまうのか。ヤマル飛躍、ペドリ復活の影でケガから立ち直れなかった“元メッシ二世”

サッカーを笑え #42
16歳でトップチームに鮮烈デビュー、18歳でリオネル・メッシから背番号10を継承し、バルセロナの未来を担う存在として期待されたFWが、かつての輝きを取り戻せぬまま今季を、そして10歳から過ごしたクラブでのキャリアを終えようとしている。一つのケガに狂わされた22歳のサッカー人生……復活はあるのか。
最も鮮やかで残酷な「新旧交代」シーン
CLドルトムント戦第1レグの86分、自らのゴールで4-0とした後、ラミン・ヤマルは手を挙げて交代を要求した。ケガをしたわけではなかった。出番がない先輩で友人のアンス・ファティにプレーさせるためだった。スタジアムのファンはファティを大喝采で迎え、ライン際で抱き合う2人の姿が翌日のメディアを飾った。このヤマルの配慮は美談とされたが、私は寂しい気持ちで見ていた。
「新旧交代」をこれ以上に鮮やかに、そして残酷に印象付けるシーンはなかったからだ。
この4分間がファティのバルセロナのユニフォームを着ての、おそらく最後のCL舞台となった。そしてリーガでは先週のビジャレアル戦の不出場でホームのファンにお別れする機会を失い、今週末の最終節が最後のバルセロナのユニフォーム姿を披露する機会ではないか、と言われている。
ハンジ・フリックはすでにファティへの信頼を失っていた。ローテーション要員としても計算していない、と本人に伝え、冬の移籍市場での移籍を勧めた、とされる。
フリックはその言葉を最後まで守った。非情に見えるがチームの勝利を最優先する判断だったことはリーグ優勝、コパ・デルレイ優勝、スペイン・スーパーカップ優勝、CL準決勝進出が証明している。
先々週ペドリ復活の明るいニュースを伝えたばかりだが、その影でファティは復活どころか下降線をたどる一方だ。ペドリを輝かせたフリオ・トウスもファティの救世主となることはできなかった。
サッカーも社会同様、光と影があるのだ。
市場価値は4年半で128億円から8億円に
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。