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日本はセットプレーの新たなフロンティアになる

2017.02.07

『セットプレー最先端理論』発売記念インタビュー

本誌の異色連載「ジョバンニ・ビオのセットプレー研究ノート」の書籍化を記念して、本書に収録された特別インタビューの一部を抜粋して公開! セットプレー専門コーチはいかにして誕生したのか、そしてビオが日本人に感じた未知なる可能性とは――?

セットプレー専門コーチ誕生秘話

ワルテル・ゼンガの電話から物事が動き始めた

──あなたがセットプレー専門コーチという現在の仕事に至るまで、どんなキャリアをたどってきたのかを聞かせてください。

 「私はベネツィアの陸側にあるメストレという町で生まれ育って、当時セリエCのベネツィアの育成部門でプレーしていた。16歳でトップチームに登録された時には、このまま続けていけばプロとしてプレーできそうだという気持ちになったものだ。ところがそんな矢先に、膝の半月板を傷めてしまったんだ。当時は内視鏡手術などの技術がなかったこともあって治療は簡単ではなく、リハビリを続けながら3年ほどプレーしたのだけれど、完全には戻らなかった。そうして20歳になった時、銀行に就職する話をもらったんだ。学校で会計士の資格を取っていたからね。このままプレーを続けるか、それとも就職するかを選択しなければならなくなって、銀行の方を選んだ。膝の痛みをずっと引きずっていたしね」

──それからゼンガと出会うまで、ずっとアマチュアレベルでコーチを続けてきたと。

 「そう。銀行での仕事と両立させるためには、それが唯一の選択肢だった。プロクラブからフルタイムの育成コーチとしてオファーをもらったことも何度かあったけれど、家族を養いながら生活していくことを考えると、銀行を辞めるところまでは踏み切れなかった。そうやって20数年間続けてきて、2004年に『得点力+30%』という最初の本を出版して、それをワルテル・ゼンガが読んだところから物事が動き始めたんだ。

 当時ワルテルはレッドスターを率いていて、ベオグラードから電話をかけてきた。私はちょうど自分のチームの選手たちと一緒にピッツァを食べているところで、『私はワルテル・ゼンガですが』と言われた時、てっきりまた誰かがいたずらをしたと思った(笑)。ゼンガとはまったく面識がなかったしね。ところが電話の主は本物のゼンガで、そこからコラボレーションが始まった。最初の1年はベオグラードと電話でやり取りをしながら、彼がいろいろな相談を持ちかけてきてそれに私が答えるという形だった。その後彼はUAEのアル・アインに移って、ドバイから『ジャンニ、明日の飛行機で来てくれ』という電話をかけてきた。2007年春のことだ。そして、そこから私のセットプレー専門コーチとしてのキャリアが始まったというわけだ」

──カターニアでのデビューはセンセーショナルでした。

 「ただ、最初からチーム全員が積極的に受け入れてくれたわけでは決してなかった。それが変わったのが、ナポリとのデビュー戦だった。2008年4月6日という日付まで覚えているのは、ちょうど私の誕生日だったから。先制点がサイドからのFK、ダメ押しの3点目がCKから決まった。それでチームも一気にこのプロジェクトに確信を持った。その次のシーズンには、中央からマスカーラがFKを蹴る直前、GKの前に立って視界を遮ったプラスマーティが、ユニフォームのパンツをギリギリまで下げてGKの気を逸らせ、ボールがそのすぐ脇を通ってゴールが決まるという“事件”まで起こった。あれは私のアイディアでも何でもなくて、プラスマーティが思いつきでやっただけだったのだけれど、マスコミでは『ビオがまた新しいスキームを考え出した』と騒がれて、さらにやり過ぎだとかアンフェアだとかスキャンダラスな論争にまでなってね。結果的には私にとっていい宣伝になったよ(笑)」

衝撃の“デビュー戦”となったカターニア対ナポリ戦

──パレルモを最後にゼンガとのコラボレーションが一段落したわけですが、それからフィオレンティーナまでの2年間はどんなふうに過ごしていたのですか?

 「銀行を早期退職すれば年金をもらえる勤続年数に達したので、フルタイムのプロコーチとしてやっていく決心をしたのがちょうどそのタイミングだった。UEFA-Aライセンスを取るための講習に通いながら、いくつかのクラブとコンサルタント的な形で仕事をしていた。最初はイングランド2部のスワンジー、その後はセリエBのトリエスティーナ、そしてセリエCのターラント、スイス1部のルガーノと、それぞれ1回2、3日ずつ、何度か現地に通ってセットプレーのトレーニングをするというやり方で関わりながらね。最後の頃は毎週月・火にルガーノ、木・金にターラントに通う生活を送ったよ。その後11-12シーズンにはあらためてワルテルとドバイのアル・ナスルでまる1年間過ごした。フルタイムのスタッフとして仕事をしたのはこの時が最初だ」

──そしてその翌年、モンテッラから声がかかってフィオレンティーナ入りしました。

 「モンテッラとは、UEFA-Aライセンスの講習で同期だったんだ。それで私に興味を持って呼んでくれた。1年目でセットプレーから23得点を挙げたのだが、これはヨーロッパで一番多い数字だった。ただ2年目は、ELの負担が増えたこともあってトレーニングの時間が削られ、セットプレーからの得点数も減る結果になった。2年契約を更新しないまま満了してフィレンツェを離れることになったわけだけれど、それから10日ほどして、フィリッポ・インザーギから電話がかかってきて、今度はミランに行くことになった」

──インザーギともすでに面識はあったんですか?

 「ピッポとはなかったけれど、弟のシモーネとはAライセンスの翌年に受けたUEFAプロのライセンス講習で一緒だった。電話でもシモーネから連絡先を聞いたと言っていた」

──現在はコンサルタントという形でキャリアの新しい可能性を探っているということですが。

 「これまでの経験を通じて、私が主導権を持ってセットプレーのトレーニングをする形よりも、主導権はあくまで監督が持ち、私はその監督にセットプレーのトレーニング方法を助言するコンサルタントとして黒子に徹する関係の方が、結果的にトレーニングの質と量を高め、得点にも繋がるのではないかと考え始めた。今はその可能性を探ろうと試しているところだ。先月はブラジルに行って、南米の主要クラブが集まるミーティングで講演する機会を得た。パルメイラス、グレミオ、アトレチコ・ミネイロ、ペニャロール、リーベルプレートといったクラブが強い興味を示してくれたよ。2月にはMLSのDCユナイテッドのプレシーズンキャンプに参加する予定もある。1回につき数日から1週間ずつ、年に何回かコンサルタントとしてクラブを訪れるというやり方ならば、複数のクラブを手伝うことができるし、それと並行して代表チームと仕事をすることも可能になる」

──複数のクラブや代表チームと契約するセットプレー・コンサルタントという、新しい仕事の可能性を開拓する1年というわけですね。

 「クラブへのアプローチなど営業に関してはあるエージェント会社に委託しているのだが、そのエージェントに対しては、コンサルティングやトレーニングに対する報酬は一切取らない代わりに、セットプレーから決まったゴールの数に応じた報酬をもらうという条件で話をしてほしいと言っている。クラブがFWを1人買うためには少なくとも数百万ユーロが必要だが、そのFWがシーズンに2桁ゴールを挙げるとは限らない。しかし私のメソッドでセットプレーをトレーニングすれば10ゴールは固いだろう。どちらが有効なカネの使い方か身をもって実感してもらおうという、いささか挑発的なアプローチだね。代表チームの場合は試合数が少ないからそうはいかないが、日程的にもクラブとは重ならないので仕事として両立が可能だ。こちらは1年ではなくもっと長い単位で仕事をする道を探りたい。そうでないと十分な練習時間を取ることは難しいからね」

「日本×セットプレー」の可能性

森本と本田、異なる2人の日本人から同じメンタリティを感じた

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──ところで、森本、本田との経験を通して触れた日本人のメンタリティがセットプレーに向いているという話は新鮮でした。

 「日本の読者の気を引こうとして言ったわけでなく、心からそう思っている。当時まだ10代だった森本、20代終わりですでに完成された選手だった本田と、年齢もキャリアもまったく異なる2人の日本人プレーヤーから同じメンタリティを感じた。学習意欲の高さ、監督やコーチに対するリスペクト、エゴイズムを抑えてチームに献身する姿勢、言われたことを責任を持って遂行する意志……。ケイスケはチーム練習が終わった後、毎日のように私とプレースキックの練習をしたがった。フィジカルコーチが故障を心配して止めることもしばしばだったが、そうでなければ毎日1時間でもボールを蹴っていただろう」

──勤勉さに加えて、日本人はトリックプレーのような小細工が結構好きだったりします。高校生レベルのトーナメントでもユニークなセットプレーが見られますからね。

 「実を言うと、私の一番の愛読書は孫子の兵法書なんだ。人生で最も数多く繰り返し読んだ本だし、読むたびに違った新しい発見がある。セットプレーの理論を体系化する時の教科書にもなった。そういう意味で私は東洋の思想や哲学から大きな影響を受けている。まず敵を知り味方を知る、綿密な戦略を立てそれに基づいて具体的な戦術を構築する、常に主導権を握り変幻自在に戦うといった孫子の枠組みは、この本にまとめたセットプレー理論にもそのまま反映されている。私は孫子の兵法をピッチの上に反映させることを考えながら、セットプレーの新しい戦術やスキームを考えているんだ。この状況でどうすれば相手を困難に陥れることができるか、こちらがこう布陣すれば相手はどう動くか、どこにスペースを作り出しボールを送り込むのが最も有効か、そのためには誰をどう動かすか――」

──この本の読者には日本のアマチュアコーチも多いと思います。アマチュアレベルでセットプレーに取り組む上で、プロレベルと何か違いはあるでしょうか?

 「原則的には何もない。変わってくるのは、プレーヤーの絶対的なクオリティだろう。アマチュアと比べればフィジカル、テクニックの両面でプロが圧倒的に上回る。したがって、戦略、戦術、技術というセットプレーの3つのプロセスのうち、最後の技術的プロセスに関してはプロの方がレベルがずっと高いが、戦略、戦術という組織的な動きに関しては、むしろ(指示を忠実に守る)アマチュアの方が完成度の高いプレーができると思う」

──長時間練習が一般的な日本では、欧州でネックになったセットプレーの練習時間が取れないという問題をクリアできるかもしれません。もし日本で仕事をする機会があれば来てくれますか?

 「もちろん喜んで。日本の文化に大きな興味を持っていることはもちろん、さっき言ったように日本人はセットプレーに最も適したメンタリティを持っていると信じているからね。セットプレーの重要性、私の仕事の有効性についてクラブと監督が確信を持ってくれることが大前提になるが、もしそこがクリアされるのであれば、コンサルタントという形でも、あるいはコーチという形でも、日本で仕事をしてみたいという気持ちはある」

◆プロフィール
ジョバンニ・ビオ
Giovanni Vio

1953.4.6(63歳)ITALY

ベネツィア生まれ。2004年に発表した書籍『得点力+30%』で注目を集め、それを評価したゼンガから当時率いていたアル・アインにセットプレー専門コーチとして招かれる。その後ディナモ・ブカレスト、カターニア、パレルモなどを経て、12-13シーズンにはモンテッラのフィオレンティーナを指導し、セットプレーから総得点のほぼ3分の1にあたる23得点を挙げた。14-15シーズンにインザーギに請われてミランにステップアップ、15-16シーズンは英国2部のブレントフォードに渡って見聞を広めた。現在は「セットプレー・コンサルタント」という新たな可能性を模索している。

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Photos: Michio Katano, Getty Images

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Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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