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「現代版ゼーマン」イタリアーノの下でCL出場権獲得なるか?フィオレンティーナが内包するリスクの行方

2024.01.24

23-24欧州各国リーグ:ダークホースの注目監督
第4回:フィオレンティーナ×ビンチェンツォ・イタリアーノ

レバークーゼンがバイエルン、ジローナはレアル・マドリーと冬の王者を争い、アストンビラとフィオレンティーナもCL出場圏内に食い込むなど、例年以上の波乱が起きている欧州各国リーグの2023-24シーズン。シャビ・アロンソ、ミチェル、ウナイ・エメリ、ビンチェンツォ・イタリアーノら、後半戦でも要注目のダークホースを率いる監督たちの戦術と哲学、そしてチームと生み出す相乗効果に迫る。

第4回で取り上げるのは、第20節を終えてセリエA4位を堅持するフィオレンティーナのイタリアーノ監督。名将ズネデク・ゼーマンの後継者との呼び声も高い戦術家の下で展開するスペクタクルなサッカーのリスクとは?

 ユベントス、インテルが首位を争い、それをミランが単独3位で追うという展開で前半戦を折り返したセリエA。その中でもとりわけ熱いのが、残り1つのCL出場枠をめぐる4位争いだ。勝ち点6差という狭い範囲に6チームが固まる混戦の中、ナポリ、アタランタ、ローマ、ラツィオという欧州カップ戦の常連組を尻目に4位の座を守っているのが、ビンチェンツォ・イタリアーノ監督率いるフィオレンティーナ。リーグトップを争うボール支配率(58%)を誇る一方、PPDA(プレス強度の指標)や敵陣でのボール奪取数も1位(※)という、「ポゼッション&ハイプレス」の典型と呼ぶべきアグレッシブなスタイルを貫き、90分を通して相手を自陣に押し込めて攻め切ろうという、セリエAで最もオープンでスペクタクルなサッカーを展開している。

※データはOptaのもの。特に注釈がない限りは『FBref』から引用。

セリエDからセリエAへ。わずか4年での「スピード出世」

 チームを率いて3年目のイタリアーノは、1977年生まれの46歳。現役時代はエラス・ベローナとキエーボという同じ都市の2クラブでキャリアの大半を送り、セリエB304試合、セリエA104試合に出場したセントラルMFだった。H.ベローナがセリエBだった2004-05から06-07半ばまでは、その後JリーグでFC東京、サガン鳥栖、名古屋グランパスを率いることになるマッシモ・フィッカデンティ監督の下でもプレーしている。

 筆者は同監督のスタッフと親交があった縁で、当時何試合か彼のプレーを見ているのだが、[4-3-3]のアンカーとして糸を引くような高精度のロングパスを武器にゲームを作る頭脳派のレジスタだったことを憶えている。後日イタリアーノはあるインタビューの中で「現役時代から監督という仕事に興味を持っており、いつかは自分もやることになると思っていた」と語っているが、当時のプレーぶりは確かにそれを思わせるものだった。

99-00セリエA第14節で当時ベネツィアに在籍した名波浩を追走するH.ベローナ時代のイタリアーノ

 フィジカル能力に頼る度合いが低い頭脳派MFによくあるように30代後半まで現役を続けたイタリアーノは、14年に引退するとすぐに監督の道に進む。当時住んでいたパドバ近郊のセリエD(4部=アマチュアのトップカテゴリー)クラブ、ビゴンティーナ・サン・パオロで育成コーチを務める傍らUEFA-Aライセンスを取得すると、16-17シーズンに同クラブのトップチーム監督としてキャリアをスタート。戦力的に貧弱だったこともあり、途中解任、復帰、降格というネガティブな結果に終わったが、このデビューシーズンの躓きにもかかわらず、イタリアーノの監督キャリアはここから一気に加速することになる。

 翌17-18に同じセリエDのアルツィニャーノをリーグ戦3位に導き、セリエC(3部)への昇格候補を決めるファイナル4も制するという成功を収めると(昇格枠が空かなかったため昇格は実現しなかった)、続く18-19には、かつてプロ選手としてのキャリアをスタートしたシチリア島のトラーパニ(セリエC)でプロ監督にデビュー。リーグ中位レベルの戦力しか持たないチームに、マンツーマンのアグレッシブなハイプレスとダイレクトアタックを組み合わせた超攻撃的かつ野心的なゲームモデルを導入すると、シーズンを通して首位争いを続け2位でフィニッシュ。昇格プレーオフでもカターニア、ピアチェンツァという格上を下して、セリエB昇格をもたらした。

 そしてその夏、セリエBの中堅クラブだったスペツィアと2年契約を結ぶと、やはり戦力的には中位レベルのチームを3位に導きプレーオフに進出、ここでもキエーボ、フロジノーネを下して、クラブ創立114年目にして初めてのセリエA昇格を実現する。

 監督デビュー2年目からの3シーズンで、セリエD、セリエC、セリエBという下部リーグの3カテゴリーで率いたチームをトップ3に導いただけでなく、一発勝負のプレーオフでも3年続けてファイナル4を制するというのは、過去にも例がない偉業である。アマチュアのセリエDから監督キャリアをスタートしてわずか4年でセリエAに到達するというのも、例外的な「スピード出世」と言っていいだろう。

19-20セリエB第4節ペルージャ戦でタッチラインから指示を送るスペツィア監督時代のイタリアーノ

ブラホビッチを引き抜かれた翌季にイタリア杯&ECL決勝進出

 そのセリエAでの1年目(20-21)、戦力的にはリーグ最低レベルという大きなハンデを背負っていたにもかかわらず、ボール保持時、非保持時いずれの局面でもチームの重心を高く保ち、アグレッシブにボールと主導権を握りに行く能動的なゲームモデルに変化はなかった。スポーツベッティングで言うところの「オーバー2.5」、すなわち両チーム合わせて3得点以上が入る試合が全体の7割を超える(38試合中28試合)というオープンな戦いを貫きながら、降格ラインから一定の距離を保って勝ち点39の15位でフィニッシュ。セリエA初昇格クラブに残留をもたらした。

 このシーズン終了を前にイタリアーノはクラブと続投で合意、契約延長(1年+1年のオプション)にサインして、翌シーズンに向けたプロジェクトに着手していた。ところがシーズン終了後の6月、この契約延長を反故にする形でフィオレンティーナの監督に就任することになる。
 
 シーズン終了直後、それまでナポリを率いていたジェンナーロ・ガットゥーゾの次期監督就任を発表していたフィオレンティーナだが、その後チーム強化をめぐる意見の不一致が表面化して契約を解消、改めて新監督を探さなければならない状況に陥っていた。そこでダニエーレ・プラデSD(スポーツディレクター)が白羽の矢を立てたのがイタリアーノだった。鍵になったのは、スペツィアとの新しい契約に100万ユーロの違約金で一方的に契約を解消できるという条項が入っていたこと。フィオレンティーナは決して安いとは言えないこの違約金を肩代わりして、イタリアーノを引き抜いたのだった。

 この2021年夏時点でのフィオレンティーナは、高級ブランド「TOD’S」を経営するデッラ・バッレ家から、アメリカ有数のケーブルTVチャンネル『Mediacom』などを保有するイタリア系アメリカ人実業家ロッコ・コンミッソにオーナーが変わって3年目。過去2シーズンで3度の監督交代を重ねて2桁順位に低迷を続ける中で、何とかして継続性のあるプロジェクトを立ち上げるきっかけをつかもうと模索している状況にあった。結果的には、この時のイタリアーノ引き抜き成功が、まさにそのきっかけとして機能することになる。……

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。